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フィルベントに続いて王妃エンナが病死したと発表され、王宮からオルスナへ向かう使者を乗せた地味な仕立ての馬車に、王宮で続く不幸を感じ取った民衆は不安を隠せずにいた。
フィルベント、エンナ、それにエウリルやローレンまでもが姿を消した王宮はガランとして寂しく、エウリルの婚儀のために集まった貴族たちが自分の領地へ戻っていくのを窓から見ながら、アントニアはぼんやりと呟いた。
「お父さま、私は本当は学者になりたかったのです。ご存じなかったでしょう」
うっすらと汗ばむような暖かい陽気の日だった。ベッドで眠り続ける王へ視線を向けることなく、アントニアは外を走る貴族の馬車の連なりを眺めて言葉を続けた。
「お父さまはローレンの方が王太子に合っていると思っていたでしょう? お母さまは私の方がいいと仰っていたけれど、私もね、彼の方が上手く国を治めるだろうと思っていたんですよ。それもご存じなかったでしょう?」
視線を上げると、アントニアは振り向いてルヴァンヌを見た。頭の中にある堂々とした父の姿とは違い、そこにいるルヴァンヌは小さくどこか頼りなげな表情をしていた。侍女たちは下がらせていて、そこには小姓のセシルだけが控えていた。浅い呼吸を繰り返すルヴァンヌを眺めると、アントニアは子供のように枕元に頬杖をついた。
ローレン…バカな奴だ。
私の戴冠式の前には部屋から出してやろうと、そして、名実共に私の補佐役に据えてやろうと思っていたのに。
「お父さま、ローレンは王宮から出ていきましたよ。アストリィのヴァルカン家はもぬけの空だったそうです。お父さま…私は」
そばにいたセシルがアントニアの表情を伺うと、アントニアは無表情のままルヴァンヌを見つめていた。ふいにルヴァンヌが目を開いて、ジッとアントニアを見上げた。驚いてアントニアが身を起こすと、ルヴァンヌは痩せた手を伸ばしてアントニアの髪をなでた。
「アン、ローレンが出ていったというのは本当か。なぜ…お前たちは昔から仲のいい兄弟だったろう」
その声は厳めしかった王とは思えないほど、優しく慈愛に満ちていた。お父さま、意識がお戻りになったのですね。アントニアの言葉と同時に、セシルが侍医団を呼ぶために部屋を出ていった。少し苦しげに息をすると、ルヴァンヌは手を自分の胸の上へ下ろしてアントニアを見上げた。
「あれには次代の王となるお前を支えるよう、何度も話しておいたはずだ。なぜローレンは出ていったのだ。何か理由があるんだろう」
ルヴァンヌがゆっくりと尋ねると、アントニアは黙り込んだ。その表情に気づいているのかいないのか、ルヴァンヌはアントニアの手をつかんで目を閉じた。
「フィルベントはサニーラが甘やかしたためか、自制心がないようだ。エウリルはまだまだ若く、人を疑うことを知らぬ。その点、ローレンは判断力もあり人を惹きつける人徳もある。私がこうなった以上、お前とローレンとで力を合わせてこの国を治めていかなければならぬ…」
…お父さま、エウリルとエンナのことを覚えていらっしゃらないのか。
その老いた手を握りしめると、アントニアはそこに額を押しつけた。ご病気のせいで、記憶が混乱されているのか。あまりの辛さに思い出すこともできないのか。
このまま逝ってしまえば、もう何も心残ることもないのに。
「お父さま」
「アントニア、私と違ってお前は一人ではない。ローレンもフィルベントもエウリルも、みなお前の弟たちなのだから…」
「…」
「信じるのだ。エウリルは母を殺してなどおらぬ」
アントニアが顔を上げると、ルヴァンヌはまたゆっくりと眠りに落ちていった。ドアが開いて侍医団が入ってくると、セシルがアントニアにベッドから離れるよう促した。
忘れてなどいない。
診察をする侍医団を眺めながら、アントニアはセシルの手をつかんだ。恐怖に似た感情がその身を襲い、震えを抑えながらアントニアは部屋を出た。お父さまは忘れてなどいない。エウリルをただ無心で信じているのだ。
死の淵に立ちながら。それが親というものか。
「愚かな」
立ち止まって、アントニアは呟いた。
全ての証拠が、エンナたちを殺したのはエウリルだと告げているのに、賢王と呼ばれたお父さまの判断力を持ってしても病魔には勝てないのか。
「アントニアさま…お部屋へ戻られますか」
セシルが小声で尋ねた。その言葉に首を横に振ると、アントニアは少し考えてから書斎へと答えた。 |