朝からガスクやグウィナンはどこかへ出かけていた。リーチャのいる娼館へも戻れず、ナヴィはあれからずっとスーバルンゲリラの隠れ家に身を潜めていた。
鼻歌を歌いながら武器の点検をしているナッツ=マーラの手元を眺めながら、暇を持て余していたナヴィは口を開いた。
「ゲリラって、ずっと戦い続けてるんだと思ってた」
ナヴィの言葉に、ナッツ=マーラは吹き出して笑った。
「バカ。資金だっていんだろ。カンパもあるけど、ガスクはオルスナの商人相手に取り引きして稼いでるし、グウィナンは元々ラバス教の僧侶だし。カイドだって叔父さんがやってるっていう肉屋で働いてるよ」
「ナッツ=マーラは?」
また剣の刃こぼれを見始めたナッツ=マーラを見上げて、ナヴィが尋ねた。ああもう、剣の扱い方が粗いんだよな、ガスクは。呆れたように呟いて、それからナッツ=マーラは視線をナヴィへと向けた。
「今は情報収集係。元は、王宮衛兵専属の武術師範」
その言葉にドキンとして、ナヴィは思わず口をつぐんだ。
近衛兵を始めとする、ハイヴェル卿が大将軍として率いる国立軍とは別に、王宮には王直属や王太子直属、王宮警備を主体とする衛兵部隊などの王宮衛兵が配置されていた。王子エウリルはルヴァンヌの命により、その幾人かの武術講師から武術訓練を受けていた。ナヴィがナッツ=マーラの横顔を伺うように見ると、ナッツ=マーラはそれに気づいて笑った。
「スーバルン人が王宮衛兵の武術師範なんて、珍しいだろ。別に賄賂送りまくった訳じゃないぜ。ルヴァンヌが五年ぐらい前に衛兵軍の師範を公募した時に、冗談半分で応募したら通っちまったのさ」
「でも師範ともなれば、身辺調査とか。ラバス教信者は駄目でしょう」
「何だ、詳しいな。俺もガスクもゲリラには参加してるが、無信仰だよ。ガスクの父親はラバスの坊さんだったけどな。それに、俺の養父はアストラウル人だ」
前の内戦で死んだけどさ。何でもないことのようにそう言って、ナッツ=マーラは手に持っていた剣を鞘に納めた。
スーバルン人に教えてもらったことはない。ナッツ=マーラに見覚えはない。
ホッとして、ナヴィはテーブルに置いてあったガスクの革の胸当てを取り上げた。使い古したそれはひもが切れかけていて、ナヴィはナッツ=マーラのそばにあったひもを取り上げて替えた。
「ナヴィ。お前は明日、オルスナへ行け」
その言葉にナヴィが驚いて顔を上げると、ナッツ=マーラはこれまでとは打って変わった厳しい表情で言葉を続けた。
「俺もガスクも送ってやれないが、国境まではカイドが付き添う。お前はこれ以上、俺たちに関わっちゃいけない。お前を追う衛兵軍も気になる…オルスナへ入れば、あいつらがお前を追うには一度兵を引いて、国境越えの許可を取りにアストリィまで戻らなきゃいけない。その隙にお前はオルスナ王宮へ助けを求めるんだ」
ナッツ=マーラは武器の手入れをする手を止めて、真っすぐにナヴィを見つめていた。意味を推し量るように黙り込んだナヴィから視線を外して立ち上がると、ナッツ=マーラは無造作に置いていた自分の汚れたズタ袋の中から一通の手紙を取り出した。
「ガスクが持ってたものだ。多分、まだ読んでない。お前のことを貴族だと言っていたからな、あいつは」
その封筒は血で汚れていた。裏を返すと、ローレンがいつも使っている封ロウのLが読み取れた。焦ったようにナヴィがガサガサと音をたてて便せんを取り出すと、そこにはローレンの流れるような書体が並んでいた。
それはローレンからオルスナ三世へと宛てた手紙で、事件についてのローレンなりの考察が書かれていた。
エウリルが二人を殺すとは到底思えないこと。
けれど現状では、アストラウルにいれば王宮の名誉を守るために裁判すら受けられず殺される可能性もあるということ。
ザッと中に目を通すと、目に涙がにじんでナヴィは目を伏せた。ローレンも僕を信じてくれている。会いたい。会ってあの時起こったことを話したい。ローレンなら、僕が分からないことでも何か理解できるかもしれない。
「お前、王子エウリルなんだろ」
ふいに、ナッツ=マーラの声が部屋に響いた。
手紙を持ったまま、ナヴィが顔を上げた。その表情は強張っていた。誤魔化す言葉すら見つからず、口をつぐんでただナッツ=マーラを見つめた。
僕は。
「俺はお前が本当に母親を殺したかどうか、そういうのはどうでもいい。初めはそれをきっかけに、みんな煽って王宮に攻め込もうとか思ってたけどさ。お前みたいなやつが何かの理由があるにせよ、母親を殺すってのが腑に落ちねえ。王妃エンナは穏やかな性格で、エウリルを猫可愛がりしてるって有名だったしな」
手紙をテーブルに置いて視線を伏せたナヴィのつむじを見ると、ナッツ=マーラはテーブルの端に腰掛けて手紙を取り上げた。やっぱりアタリか。確証はなかったが…。便せんを折り畳んで元のように封筒へ入れると、ナッツ=マーラはそれをナヴィの懐へ差し込んだ。
「お前が王子なら、ガスクはどうなる…それに、グウィナンは俺たちよりもずっと熱心な反王宮派だ。たとえ王宮から逃げ出してきたとは言え、王子だなんて知れたら殺されるぞ。あいつもお前が王子だと薄々勘づいてるみたいだし、ガスクがお前といるとイライラしてるのが目に見えて分かるぐらいだからな」
「ナッツ=マーラ、本当に、オルスナへ行けば僕は助かるだろうか」
小さな声でナヴィが尋ねた。その表情は不安定で、ナッツ=マーラは一瞬黙り込み、それからポンとナヴィの頭をなでた。
「ここにいるよりはマシだ。それともここにいて、お前もスーバルンゲリラになって王宮と戦うか?」
からかうようにナッツ=マーラが言った。熱く込み上げる涙を飲み込んで、自分の頭の上に乗ったナッツ=マーラの大きな手をつかんでナヴィは目を伏せた。
明日、オルスナへ行く。
国境を越えれば…そこに生きる希望があるのかもしれない。
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