アストラウル戦記

「教練が長引いて、到着が遅れて申し訳ありません」
「ひょっとしたら来てくれないかもしれないと思っていた。ルイゼン、ここに来ることは誰かに?」
「いえ、父にも話していません」
 ローレンの問いにそう答えて、ルイゼンは硬い表情でローレンを見つめ返した。ローレンさま、ルイゼンさま、どうぞお座り下さい。アサガがバルコニーのそばにあったテーブルと椅子をユリアネのそばまで引っ張ってきて置くと、ローレンとルイゼンはありがとうと言って椅子に腰掛けた。
「ルイゼンさまは前にも一度、ローレンさまから知らせをもらったと仰って、薬と医者を寄越して下さったんです」
 そう言って、アサガは窓を閉めながら振り向いて笑みを見せた。こうしていると、まるで王宮の一室で穏やかに話しているような気がした。ここにエウリルがいれば…。目を伏せて考えると、ローレンは身を乗り出すようにして口を開いた。
「ルイゼン。君はもう知っているだろうが、私は皇位継承権を捨てた。だが、これから話すことは全て君の胸に収めてほしい」
「…はい」
 ルイゼンの表情はまだ少し強張っていた。無理もない。私もアサガやユリアネも、すでに王宮と相反する立場にある。ここにこうしていることが王宮に知れれば、ルイゼン自身も処罰される。
 アサガがさっきまでローレンが座っていたベッドに腰掛けたのを見ると、ローレンはルイゼンに向き直った。
「ルイゼン、ハイヴェル卿はもうエウリル探索を命じただろうか。いや、エウリルが王妃殺害の罪で投獄されたことを知っているのか」
 ローレンの問いに、ルイゼンは黙り込んだ。アサガとユリアネがルイゼンの言葉を待つように、ジッとルイゼンを見つめた。
「…父は王宮衛兵の動きから王妃殺害を知り、私にエウリルさま追補の命を下しました」
 顔を上げると、ルイゼンはローレンやユリアネたちへ視線を移して答えた。
「エウリルさまは今、ダッタン市でスーバルンゲリラと行動を共にしておられます」
「スーバルンゲリラ!?」
 アサガが思わず腰を浮かした。エウリルさまはオルスナへ行かれたのではないのですか。ユリアネが尋ねると、ルイゼンは頷いた。
「舟でグステ村まで南下した後、そこでスーバルンゲリラリーダーの母親に助けられたそうです。捜査を命じた諜報部隊の曹長がダッタン市でエウリルさまと接触したのですが、エウリルさまは何も語られず、私たちに迷惑がかかると仰って王宮に戻ることを拒まれました」
「ちょっと待って下さい。ルイゼンさまはエウリルさまを王宮へ連れ戻すおつもりなんですか。エウリルさまは殺されかけたんですよ!?」
 立ち上がって、アサガが声を張り上げた。アサガ。険しい表情でローレンが止めると、アサガはまだ不満そうにベッドの端にまた腰を下ろした。
「ルイゼン、アサガが言っていることは本当のことだ。エウリルを王宮へは戻さずオルスナ三世に託したい。エンナさまが殺されている以上、オルスナ三世ならエウリルを必ず助けてくれる。もちろん、エウリルが殺していなければの話だが」
「エウリルさまが犯人の訳がありません」
 ユリアネが横から口を出した。その確信に満ちた言葉を聞いて、ルイゼンは堰を切ったように口を開いた。
「分かってます。私だってエウリルさまが罪人だなんて思っていない! だからこそ王宮へお連れして、私たちの保護下で国民議会の裁判を受けていただくのです。潔白さえ証明できれば、身分も」
「議会長のシャンドランは、お母さまに王子断罪の進言をした男だぞ」
 テーブルの上で手を組んでローレンが言うと、ルイゼンは驚いて目を見開いた。
「反王宮派とは言っても、それはお父さまが王位についておられる間のこと。アントニアが王位についてお母さまが実質上の摂政となれば、シャンドランが反王宮派から転換して親王宮派に与することも可能性としてない訳ではない」
「しかし、国民議会に属するとはいえ、裁判は独立しています」
「今のこの国で、公正な裁判が行われると思うか」
 ルイゼンにきっぱりと答えると、ローレンは真剣な表情で言葉を続けた。
「王の代替わりを見越して、シャンドランはフリレーテを通じてアントニアに近づこうとしているのかもしれない。フリレーテの狙いが何なのかは分からないが…ルイゼン、王妃エンナとハティを殺したのは、フリレーテ=ド=アリアドネラだ」
 ローレンの声は低く、かすれていた。
 ルイゼンがローレンを見つめると、ローレンは小さく頷いた。静かな部屋の外で鳥が鳴く声が聞こえた。震える手をもう片方の手でギュッと押さえると、ルイゼンは大きく息をついた。
「フリレーテ=ド=アリアドネラは今、王太子に一番近しい貴族として王宮に留まっています」
「まさか。フィルベントが死んだ後、王宮を辞さなかったのか」
「フィルベントさまが生きておられる間に、王太子の命で王宮内に一室を与えられ、密命を受けてエウリルさま探索の指揮を執っています。まさか、アリアドネラが…」
「そんなの…エウリルさまが見つかったら、殺されるに決まってます! ローレンさま!」
 立ち上がって、アサガがローレンの腕をすがるようにつかんだ。アサガ。落ち着かせようとローレンがアサガの肩をつかむと、アサガは真っ赤になってローレンの腕をつかむ手に力を込めた。
「お願いです。僕を連れていって下さい」
「アサガ」
 驚いたようにユリアネが名を呼んだ。振り向いて頷くと、アサガはローレンから手を離して感情が溢れ出すのを堪えるように眉をギュッとひそめ、言葉を続けた。
「連れていって下さい。殺される前に、エウリルさまを探し出さなければ。僕はほんの少ししかローレンさまの力にはなれないけど、エウリルさまは違います。きっとローレンさまの助けになります。それに、こんな王国なら僕はもう…」
「それ以上言わないでくれ。アサガ」
 ルイゼンの声がそれを遮った。ルイゼンさま。まだどこか呆然としたように呟いて、アサガは額を手で押さえて目を閉じたルイゼンを見つめた。
「ローレンさま、私はあなたがこれからしようとしていることを咎めない。けれど、これ以上協力することはできません。私は…いや、ローレンさま、どうかお元気で」
「ルイゼン…」
 立ち上がったルイゼンを見上げて、ローレンも腰を上げた。唇に軽く笑みを浮かべると、ルイゼンはどこか悲しげに目を細めた。ルイゼン、感謝する。そう言って手を差し出したローレンに首を横に振ると、ルイゼンはドアのそばに立てかけた剣を取って腰に差した。
「ローレンさま。エウリルさまは今、ナヴィという名でダッタン市のラマナ地区にある青い屋根の家に潜伏しています。三日前の情報なので確かではありませんが…。その前は、ブッタリカというアストラウル人が営む娼館におられたとも聞いています。どちらかに行けば、エウリルさまに会えるかもしれない。もし会えなくても何か分かるでしょう」
「ルイゼン、そこまで分かっていて君は…」
「私はこのことを、教練が済みアストリィへ戻り次第すぐに父に報告します」
 小さな声で呟くと、ルイゼンはローレンから目をそらしてドアを開き、部屋を出た。カツンカツンと靴音が部屋の外で遠ざかっていった。
「ダッタンには夜までにつけるだろうか」
 しばらく黙り込んでいたローレンが呟くと、アサガはしっかりと頷いた。
「僕も」
 部屋を出ようとしたローレンに、アサガが声をかけた。ジッとアサガの目を見ると、ローレンは来てくれるかと反対に尋ね返した。アサガが頷いて振り向くと、ベッドに座っていたユリアネがフッと笑みを浮かべてアサガを見上げた。
「分かってるわよ。私も連れていけなんて言わないわ。アサガ、お願い」
「ユリアネ、君は怪我を治すことを考えてくれ。必ずエウリルを連れて戻るから」
 ローレンが言うと、ユリアネはにこりと笑った。ご武運を。ふと笑顔を引いてユリアネが呟いた。その言葉に頷いて、ローレンとアサガは安心させるように笑みを見せてから部屋を出ていった。

(c)渡辺キリ