アストラウル戦記

 アストラウル兵とスーバルンゲリラの小競り合いは、この町では珍しいことではない。
 切り合う音や呻き声がすると、人々は固くドアを閉じて家の中に身を潜めた。人影のない不可思議な町は、ガスクの元へ走ったあの夜のようにまた今夜ここにあった。
 剣を持って立つナヴィの背側から、暖かく柔らかな風が吹いていた。グウィナンが振り向いてナヴィを見ると涙はもう乾いていて、ナヴィはグウィナンをジッと見上げた。
「何でリーチャを切った。同郷の仲間だって言ってたじゃないか」
「…」
 剣を右手で構えると、グウィナンは刃先をナヴィへ向けた。兵士たちの向こうでグウィナン!とガスクが叫んだ。
「娼館へ入る前に周りに兵士がいないか確かめたのに、俺たちが中へ入った途端に取り囲まれたのは、リーチャが通報したからだ」
「そんな…リーチャかどうかは分からないだろ」
「リーチャがアストラウル兵の指揮官の名を呼んだ」
 キュッと唇を引き結んだナヴィをジッと見据えて、グウィナンは眉根を寄せた。剣を持つ手がわずかに震えていた。両手で握りしめた剣を構えて腰を落とすと、ナヴィは目から涙の粒をポロポロとこぼしながら呟いた。
「リーチャはグウィナンやガスクたちのことが、本当に好きなんだ」
 グウィナンが剣を振り上げた。それを受けようとナヴィが剣を持つ手に力を込めた。
「やめろ!」
 ギンと固い音が響いて、グウィナンの剣が根本から折れた。驚いてナヴィが剣の持ち主を見ると、そこでは顔を真っ赤にしたガスクが剣を振り切って息を切らしていた。
「勝手に出ていったと思ったら、今度は仲間割れか! 今はここを突破することが先だろ!」
 ガスクが怒鳴りつけると、グウィナンは後ろ!と叫んだ。ナヴィが動いた。その一瞬早く、剣がガスクの肩を貫いていた。
 ガスクの顔が歪んだ。
 ガスクの肩を通り抜けた剣は長く、血で汚れていた。剣先からポタリと鮮血が落ちた。ナヴィの足がガクガクと震えた。ガスク。声にならない言葉が呼吸と共にかすかにもれた。
「死んだ部下たちの借りは返したぞ、ガスク=ファルソ」
 グンナの剣がズブリと引き抜かれた。焼けつくような痛みが左肩を襲って、ガスクがそこを押さえると同時にグンナは一歩下がって剣を振り上げた。
「ガスク!」
 グウィナンが真っ青な顔で名前を呼ぶと、その声にアストラウル兵が襲いかかってきた。咄嗟に倒れていた兵の剣をつかむと、グウィナンは切り掛かる兵士の剣を受けながらガスクの名をもう一度呼んだ。
 グンナの剣が、ガスクの背をかすめた。間一髪で頭から突っ込むと、ナヴィがガスクの脇腹に飛び込み剣を避けて押し倒した。ナヴィとガスクが二人で地面にドッと倒れると、グンナが剣についた血を振り落とした。
「…!」
 真下からナヴィの剣が突き上げられ、わずかに身を引いてグンナはそれを避けた。軌道が読めない。これがオルスナの剣か。冷や汗がこめかみから流れて、ナヴィの剣をギリギリでいなしながらグンナは後ずさりした。
「このまま生きていて、どうするつもりだ」
 ピッと鼻先を剣が掠めて、ナヴィは右へ避けながらグンナをにらんだ。
「ゲリラにでもなるつもりか。奴らはお前を…アストラウル人を受け入れることは絶対にない。それを承知で、奴らを利用し生き延びるつもりか」
「利用?」
「そうだ。軍兵は永久にお前を追い続ける。そこにいる人間全てを巻き添えにしてな。あの男娼がゲリラに切られたのも、元はお前がここにいたせいだろう」
 僕は。
 生きているだけで、そこにいるだけで。
 アサガとユリアネのように、パンネルのように、キクたちのように…リーチャのように。
 振り向いて、ナヴィは肩を押さえてうずくまるガスクの横顔を見た。その顔色は悪く、表情は苦しげに歪んでいた。ガスクがいつも助けてくれるから、僕はガスクに甘えてしまう。周りの人に甘えてしまう。
「ぼけっとすんじゃねえ!」
 ふいに後ろから声がした。ナッツ=マーラがグンナの剣を間一髪で受け止め、力任せに押し返した。クッと眉根を寄せ、グンナが取り囲め!と大声で他の兵士に指示をした。呆然とグンナを見つめたままのナヴィの頬を、ナッツ=マーラはパンッと大きな音をたてて殴った。
「死にたいのか!」
 ハッと我に返って、ナヴィはナッツ=マーラを見上げた。はっ、はっ、とふいにナヴィが大きく呼吸を繰り返した。顔色が見る見るうちに白くなった。しっかりしろ! ナッツ=マーラが怒鳴った瞬間、グンナの率いる軍兵の輪の一番外側が乱れた。
 ナッツ=マーラがナヴィの腕をつかんだまま息を殺した。剣を交わす金属音が何度か響いた。グンナが冷静に指示を出して兵の三分の一がそちらへ向かうと、グウィナンに支えられて立ち上がったガスクが他の仲間に散開しろと怒鳴った。
「指令とはいえ、お前たち、恥を知れ!」
 ふいに大きな声が、騒音の合間を縫ってナヴィの耳に届いた。
 あれは…あの声は。
「グンナさま。北西の方角より現れた敵は三名、いずれもアストラウル人です。味方一名負傷」
 伝令のような小柄な男が駆け寄り、グンナに耳打ちをした。ナッツ=マーラに引きずられるように路地へ入りかけていたナヴィがもがいた。ナヴィ!? 右手に剣を持ったままナッツ=マーラが振り向くと、ナヴィはナッツ=マーラに先に逃げてくれと言い置いて路地から飛び出した。

(c)渡辺キリ