7
リーチャの葬儀はその死の二日後、グウィナンの所属するラバス教寺院で行われた。
普通なら遺体は家族に下げ渡される所を、リーチャには家族がいなかったためにガスクが引受人となった。男娼ではなく普通の市民として弔われると、リーチャの遺体は焼かれてダッタン市のスーバルン人共同墓地へ埋葬された。
その小指の小さな骨を一つかすめとると、ナヴィはそれを袋に入れ麻紐でしっかりと縛って首から下げた。葬儀が終わって夜が更けるまで軍兵に見つからないよう寺院に匿われ、与えられた狭い一室でナヴィは改めてアサガと堅く手を握り合った。
「アサガ、生きていてくれて本当によかった」
「それは僕のセリフです、エウリルさま。何度も探しにいこうと思っていたんですが、ユリアネ姉さんの傷が癒えるまではとずっと我慢していたんです」
「そうだ、ユリアネは? ユリアネは無事なのか」
ナヴィが尋ねると、アサガは頷いて笑った。あの後、ローレンさまの手のものに助けられ、ずっとローレンさまの別荘で匿われていました。アサガが答えると、ナヴィはアサガの眼帯を見て眉を潜めた。
「これは…あの時の傷か」
ナヴィが眼帯に触れると、アサガは笑みを浮かべたまま頷いた。遠近は取りにくいけれど、まだ戦えるようです。アサガがナヴィを見つめて答えると、ナヴィは眼帯の上からアサガの目を何度も撫でて目を伏せた。
「すまない…アサガ、君の目が」
涙がナヴィの目から盛り上がって溢れた。ポタポタとそれは真っ直ぐに落ちて床に染みを作った。泣かないで下さい。ナヴィの頭を抱くと、アサガはその髪にこめかみを押しつけて目を伏せた。
以前と同じ、そうであることを祈りたい。
王宮にいる間ずっと、僕はあなたのことを見てきた。一生、そうして過ごしていくつもりだった。
なのにあなたの髪は短くなり、僕はあなたが何を考えているのかすらもう分からない。
僕は…僕の知らないあなたが存在することが恐ろしい。
「エウリルさま。一刻も早くここを出ましょう」
ナヴィの匂いを感じながら、アサガはギュッとナヴィの痩せた体を抱く手に力を込めた。
「…アサガ?」
「ここを出て、プティ市へ向かいましょう。ローレンさまがあなたを待っています。エウリルさまがいなくなられた後、ローレンさまは王宮を出られて反王宮派として活動されておられるのです」
「バカな! どうしてローレンが…それに、ローレンには妻子が」
「奥さまもマレーナさまもすでにアストリィを出られ、今は国外へ亡命する準備を進められているそうです。ローレンさまは以前から今の王宮のあり方に疑問を感じられ、今回のエウリルさまの件でその思いを強くされたと仰られていました。エウリルさま、どうかローレンさまを助けて下さい。あなたにならそれができるはずです」
アサガが熱意を込めて言うと、ナヴィは戸惑うようにアサガの体を押し返した。
「僕に、お父さまやアントニアと戦えと言うのか」
「王はすでに病床について長く、実権はアントニアさまが握っています。サニーラさまも未だ力は持っておられるようですが、以前ほど意のままにはならない様子です。僕は、エウリルさまをこんな目に遭わせた王宮を…アントニアさまを許せない。エウリルさま、僕はあなたが行かないと仰られてもあなたをローレンさまの元へお連れするつもりです」
「それは困ります」
ふいに声がして、アサガは目を見開いた。天井板が外れ、ナヴィがビクッと肩を震わせると、埃と共にイルオマが落ちるように机の上に下りてゲホゲホと咳をした。
「イルオマ! お前、一体どこから…」
「以前のように窓からは入れませんので、裏口から入ってきたんです。途中でゲリラに見つかりそうになって、そばにあった部屋に隠れたんですが、外が騒々しくなって出るに出られなくなって…王子が見つかって、本当にホッとしましたよ」
イルオマは以前と同じように、軍服ではなく庶民のような格好をしていた。頭についたクモの巣を払っているイルオマを怪訝そうに見つめると、アサガはナヴィを守るように一歩前へ出てナヴィに尋ねた。
「何者です? ゲリラの仲間じゃないですよね…」
「こいつは、ルイゼンに派遣された諜報部隊の曹長だ。僕を連れ戻しに来た」
「ルイゼンさまの!?」
アサガが驚いて尋ね返すと、イルオマはパンパンと服の埃を払ってから答えた。
「私はルイゼンさまより、王子をアストリィへお連れするよう命ぜられています。王子がお怪我をされると私の首が飛ぶんで、無理強いはせずにご説得申し上げている状態ですが」
「僕はまだプティにもアストリィへも行けない。大体お前、あの戦闘の時はどこへ行ってたんだ。僕がやられたら困るのはお前なんだろ」
怒ったようにナヴィが言うと、イルオマはけろっとした表情で机にもたれたまま答えた。
「しばらくダッタンにいると伺いましたので、ルイゼンさまへ報告に行ったんです。留守だったんで、言伝を頼んできましたけどね。おかげさまで子供にも会えました」
「そりゃよかったな…お前がいない間に、アストラウル王立軍兵に襲われて、こっちは大変だったんだぞ」
ため息まじりにナヴィが言うと同時に、ふいにドアが開いた。ナヴィとアサガがそちらを見ると、怪我をした肩を包帯で巻いたガスクが部屋を覗いて声をかけた。
「夕飯だぞ。そっちの奴も食えよ。ラバスの僧侶さまの思し召しだ…何だ、一人増えてんじゃないか」
ジロリとガスクがイルオマを見ると、ナヴィが焦ったようにこれは…と言いかけた。私はこの方の連れです。ナヴィの言葉を遮るように、イルオマはアサガを示して答えた。
「怪しい者じゃありません。民間人ですよ。この方を連れ戻しに来たんです」
「嘘つけ」
即座にそう答えると、ガスクは飯が食いたきゃ下りてこいと付け加えた。
「何で分かったんでしょう」
「バカ」
閉じたドアを見てイルオマが言うとナヴィは赤くなってイルオマを睨み、それから部屋を出た。ガスクは階段を下りようとしている所だった。ガスク。ナヴィが呼び止めると、ガスクは振り向いた。
「今の…」
駆け寄って心配げにナヴィが言いかけると、ガスクは口元でニッと笑って答えた。
「軍人だろ。重心がわずかに左に傾いているからすぐに分かる。お前を捕らえに来たヤツらの仲間には見えないから、俺もやり合う気はないけどな」
「…感謝します。ガスク、僕は」
「迎えに来てもらえてよかったじゃないか。これで俺も肩の荷が下りる」
ジッとナヴィを見つめて、ガスクは呟いた。
そうだ。これでナヴィをオルスナまで連れていかなくても、昔から知り合いらしいあのアスティたちが何とかしてくれる。
俺のようなスーバルン人の、しかもゲリラのリーダーなどやっている男に関わるよりも、ずっと安全に生きのびられる。ナヴィの大きな目を見ると、リーチャを思い出してガスクは視線をそらした。
「ガスク、僕は…ここに留まりたい」
ふいにナヴィに言われて、ガスクは驚いてナヴィの顔を見つめ返した。以前言っていた娼館の奴らのことでか。ガスクが尋ね返すと、ナヴィはそれもあるけど…と言いよどんだ。
リーチャ、君の決着がまだ着いてない。
僕はどうしても、納得することができないんだ。
「駄目だ。お前は落ち着いたらすぐにあいつらと一緒にここを出ろ。俺たちといたことは忘れて、帰れるなら家に帰りな。ナヴィ、俺たちはお前を守れない。お前が死ぬ所を俺は見たくない」
最後は消えそうな呟き声で、ガスクが言った。不満そうに眉を寄せるナヴィに言い聞かせるようにいいなと重ねて言うと、ガスクはナヴィの頭をくしゃりとなでてから階段を下りていった。 |