アストラウル戦記

 それは不思議な光景だった。
 スーバルン人特有の浅黒い肌を持つガスクやナッツ=マーラ、それにラバス教の僧服を着たグウィナンの並ぶテーブルの向かいには、綺麗なはしばみ色の目をしたナヴィやイルオマ、それに一部のオルスナ人のような黒い目のアサガが黙って食事をしていた。上座にはこの寺院の頭首に当たる老いた僧侶が座って、繰り返し粗末なスープを口に運んだ。食事を終えてワインを飲み干すと、ラバス教の祈りの言葉を唱えて僧侶は穏やかな笑みを浮かべた。
「本当は、私たちはアストラウル人との争いを望んでおらんのです」
 アサガが顔を上げると、僧侶は頷いてそうだなとグウィナンへ言葉を向けた。目を伏せたグウィナンが少し考えた後、そうですと答えると、僧侶はまた頷いてアサガとナヴィを見つめた。
「だが、時勢と長年の恨みがそうさせん。正面に立って戦ってくれているのはこの和子たちだが、多くのスーバルン人たちは生活の苦しさに喘ぎ、この和子たちが勝利してくれるのをジッと耐え忍んで待っておる。我が同胞が参政権を得ていたのも今は昔、今ではただ王宮が決めた税を払い、法律に沿い、信じるものを放棄させられ続けておる。お分かりですか」
 僧侶の言葉にアサガが反論しようと口を開いた。同時に、ナヴィの声が静かな食卓に響いた。
「分かります。みなさんの誇り高き魂に敬意を表します」
 イルオマがチラリとナヴィを見た。本当かよ、とからかうような笑みを浮かべてナッツ=マーラが呟いた。目を伏せて口元に笑みを浮かべると、ナヴィは僧侶を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「ここに来なければ、真の意味でのあなたたちの誇りというものを知らないまま終わっただろうと思います。僕は何もかも奪われ、魂すら捨て去ろうとした。けれど、僕に生きていく力と誇りを教えてくれたのはスーバルン人だった。もし僕が」
 スッと頬に涙が筋を描いた。それを手のひらで拭うと、ナヴィは熱を込めて僧侶に答えた。
「もし、過去の僕に知恵と力があればと、自責の念に苛まれます」
「…どうか、ご容赦を」
 アサガが小声で囁いた。スーバルンゲリラに王子だと知れるのはまずい。テーブルの下でアサガが止めるようにナヴィの太ももに触れると、ナッツ=マーラがテーブルの上で両手を組んで口を開いた。
「まあ、お前はたかが貴族の身。王族でもなければ今のアストラウルでは意味がないだろうよ」
「そうだな。それに、お前みたいな泣き虫じゃな」
 ニヤリと笑ってガスクがナヴィを見ると、ナヴィはそんなことはありませんと赤くなった。お言葉ですが。目を伏せて話を聞いていたアサガが、老いた僧侶を見て口を開いた。
「どちらか一方が原因となるような対立が、世に存在するのでしょうか。スーバルン側の意見を聞いていると、一方的にアストラウル人のみが悪いように思われているようですが、近隣諸国から難民として流れてきたスーバルン人たちを無条件で受け入れた先人たちの歴史をお忘れでは?」
 アサガの言葉に、グウィナンがピクリと眉を上げた。アサガ、やめなさい。ナヴィが怒ったように遮ると同時に、ガスクがアサガを見ながら口を開いた。
「いい。そいつが言っていることも間違いじゃない」
「ガスク」
「スーバルン人は昔のアストラウル人の厚情に対する恩義を忘れた訳じゃない。ただ、今自分達がアスティと同じようにこの国で生きていることを主張しなければ、俺たちは滅びてしまう。お前たちに分かれとは俺は言わない。俺たちに話し合う場すら設けない現状で、まさか話せば分かるなんて思ってる訳じゃないだろう」
 ガスクの声は穏やかだったけれど、怒りに満ちていた。ナヴィが謝ろうと口を開くと、それ以上言わせまいとアサガがナヴィの肩をつかんだ。その時、ふいにドアが開いてその場にいた全員が入ってきたスーバルン人を見た。
「ガスク、グウィナン」
 軽武装をして寺院の周りを見張っていたスーバルン人の一人だった。どうした。グウィナンが落ち着いた声で尋ねると、スーバルン人は息を整えてから答えた。
「アストラウル人がガスクたちと話したいと言って訪ねてきたんだ。今、剣は取り上げて、聖堂でカイドとナーニャが見張ってる」
「アスティが? なんの用だ。お前たちの仲間じゃないのか」
 ナッツ=マーラが驚いてナヴィたちを見ると、ナヴィはアサガと顔を見合わせた。トアルかネリフィオかもしれない。アサガが呟くと同時に、スーバルン人が首を横に振って眉を寄せながら言った。
「違う、そいつらの連れじゃない。プティ市から来た使いの者で、『しだん』のリーダーからの言伝を持ってきたと言っていた」
「しだん? …! ひょっとして、私設軍じゃないんですか」
 アサガの顔が見る見るうちに赤くなった。ローレンさまが寄越して下さったんだ。口にするのを寸での所で堪えると、アサガは状況が飲み込めずにきょとんとしているナヴィを見た。
「俺じゃ分かんねえよ。ガスク来てくれよ」
 困ったようにスーバルン人が言うと、ガスクとグウィナンが立ち上がった。とにかく話を聞こう。そう言ってナッツ=マーラと三人で出ていこうとすると、アサガがそれを呼び止めて立ち上がった。
「待って下さい。僕とこの方にも会わせて下さい。僕らの知り合いかもしれない」
 アサガの言葉にグウィナンと顔を見合わせると、後ろにいたガスクは振り返ってアサガを見た。まず俺たちが会ってからだ。険しい表情でそう答えたガスクに、アサガはそれならここで待ちますと言ってもう一度椅子に座り込んだ。

(c)渡辺キリ