随分長い間食堂で待たされ、僧侶から部屋へ戻るよう促されて狭い一室に案内された。何を話しているんだろう。ナヴィが呟くと、イルオマと小さなテーブルに向かい合って座っていたアサガは頬杖をついてため息をついた。
「ローレンさまの伝言があれば、すぐに聞きたいのに。僕達に会わせないつもりじゃないでしょうね」
「もしそうだとしたら、ローレンの使者じゃなかったってことだろう」
ナヴィが答えると、そんなはずありませんよとアサガは眉をひそめた。
「こんなタイミングで、ローレンさま以外のどのアストラウル人がスーバルンゲリラに用があるっていうんです? 僕らに聞かれちゃまずいことでも話してるんじゃないんですか」
「彼らはそんなんじゃないよ。アサガは知らないだろうけど…」
ナヴィの言葉に、アサガは思わず立ち上がった。
「下品で野卑で乱暴で、力に任せて自分たちの要求を押し通そうとする野蛮なスーバルンゲリラのやり方は、十分に知ってますよ。あなたはどうかしてます。確かに世話にはなったかもしれないけど、それに恩義を感じる必要なんかないんですよ」
「下品で野卑なのは間違いないが、野蛮だの何だの突然現れたお前に言われるほどひどくはないな」
ふいにドアが開いて、ガスクが顔を出した。ドアは少し隙間が空いていたらしく、ノブを回す音は聞こえなかった。アサガがムッとして何か言おうと口を開くと、それを遮ってナヴィは立ち上がった。
「ガスク、アストラウル人の使者って…」
「あいつらはお前たちを知らないと言ってる」
ガスクの言葉にアサガは顔を真っ赤にして、そんなはずない!と声を上げた。ガスクを押しのけるように部屋を出ると、柵の下に聖堂が見えた。武装したスーバルン人に囲まれながらそこに立ってグウィナンと話す顔は見知らぬもので、アサガは階段を駆け降りた。
「あなたは私設軍の使者じゃないんですか。僕たちを迎えにきた」
アサガが息せき切って尋ねると、背の高い方のアストラウル人がアサガを見て驚いたように首を横に振った。いえ、違います。そう言ったアストラウル人の前にナヴィとイルオマも降りてきて立つと、アストラウル人はラバス教寺院に似合わない三人を見て怪訝そうに答えた。
「私たちは、プティ市から来たプティ市警団の伝令です。スーバルンゲリラに我らのリーダーとの会談を請うため来たのです」
「プティ市警団…」
呆然と繰り返して、アサガはナヴィと顔を見合わせた。どこかで聞いたことがある。貴族が多く住むプティ市で王立とは別に作られた市立軍隊で、プティ市長の命で貴族平民関わらずプティ市全体の治安を守っているという。
それがなぜ…。不安げに瞳を揺らしてナヴィがガスクを見上げると、ガスクは落ち着いた様子でプティ市警団の伝令を横目で見ながら言った。
「とにかくお前たちのリーダーの話を聞いて、後日、スーバルン人の総意として返事をする。今日の所は帰ってくれ」
「分かりました。私たちはダッタン市のクラカ地区にあるエスミナという男が営む宿屋に逗留しています。いつプティへ発てるのか、一週間以内にお返事を」
そう言って頭を下げると、アストラウル人たちは武装したスーバルン人たちを一瞥してから聖堂を出ていこうとした。その背中に、ふいにグウィナンが声をかけた。
「一週間もかからないだろう。明日、改めてくれ」
「明日、ですか」
驚いてアストラウル人が振り向くと、グウィナンが厳しい表情で頷いた。
「すまないがこちらにも都合がある。三日後…いや、四日後に改めよう」
そう言ってアストラウル人たちが出ていくと、ナッツ=マーラがグウィナンを見た。
「勝手なこと言うんじゃねえよ。何だよ、明日って」
「お前もガスクもどうかしてる。共闘なんてあり得ないだろう。話を聞く必要もない。今すぐに追い返してもよかったぐらいだ」
「いや、俺は可能性を感じてる」
聖堂の高い天井に、ガスクの低い声が柔らかく響いた。
グウィナンが目を見開いて息を飲んだ。ガスク。ナッツ=マーラが名を呼ぶと、ガスクは聖堂の燭台を置くテーブルにもたれ、両手を組みながら答えた。
「さっきアスティが言ってたように、今の俺たちにはダッタン市にいる王立軍兵を押し返す力すらない。戦うたびに押されて逃げ回っているのが現状で、こちらから仕掛けることも、王立軍兵の全体数を把握することすらできていない。こんな状態でアスティに勝てるのか」
「それならアスティと共闘する時点で俺たちの負けじゃないのか。俺たちの敵は何だ。アスティじゃないのか」
冷静を保とうと、ゆっくり言葉を選びながら噛んで含めるようにグウィナンが言った。ガスクはまっすぐにグウィナンを見つめ返していた。違う、と心のどこかで感じている。
「グウィナン、俺たちの敵はアスティじゃない」
グウィナンがかすかに目を見開くと、ガスクは眉を寄せてはっきりと答えた。
「俺たちの敵は、俺たちの誇りを踏みにじるもの、謗り嬲るもの。現体制側の王宮であって、アスティという民族や個人じゃない」
「俺は認めない!」
声を振り絞ってグウィナンが怒鳴った。その声は静かな聖堂の天井まで大きく響いた。ガスクをにらみつけると、グウィナンは指先まで震わせた。
「俺はそんなもの認めない! 俺たちを助けてくれるアスティなんて、これまでいたのか!? アスティという人種が俺たちスーバルンを踏み台にして安寧と暮らしているから、俺たちは苦しみを強いられているんだ! ガスク、俺は」
「アスティの中にだって、現体制に虐げられるものはいる。個人の中にはスーバルンと共存しようと考えているものもいるはずだ」
「本気か、お前」
呆然とグウィナンが呟いた。まるで理解できないと表情が伝えていた。そばで聞いていたナヴィがふと視線を伏せた。熱い感情が込み上げていた。
僕は、ガスクの助けになりたい。
この人やスーバルン人たちが今よりもずっといい暮らしができるように、助けたい。今の僕には何の力もないけれど、僕にも何かできることがあるかもしれない。
リーチャ、もう誰も君のように死なせたくない。
「本気だ。このまま戦い続けて全滅するぐらいなら、たとえアスティでも現体制への疑問を持つものと共闘する可能性を俺は取りたい」
ガスクが言うと、グウィナンは首を横に振って何か呟いた。それは言葉にはなっていなかった。待てよ、ちょっと落ち着けって。グウィナンとガスクの肩をつかんで、ナッツ=マーラがため息まじりに言葉を吐き出した。
「俺たちのリーダーは確かにガスク、お前だ。でもお前個人の考えをスーバルン人の総意としては認められない。向こうの真意だって話を聞いてみなければ分からないし、共闘するにしてもまずは長老方を説得してからだ」
「ナッツ=マーラ、お前…」
低く怒りのような感情を含んだグウィナンの声に、ナッツ=マーラはグウィナンの肩からそっと手を離した。その表情はどこか穏やかで、ガスクがナッツ=マーラを見ると、ナッツ=マーラはガスクからも手を離した。
「グウィナン、俺はガスクに賛成だ。もう誰にも死んでほしくない」
その場にいたゲリラたちが息を潜めて三人の様子を伺っていた。戸惑いの色を見せ、頼りなげな表情で答えが出るのを待っていた。しばらく黙って二人を見ていたグウィナンは、ふいに厳しい表情で口を開いた。
「俺には、認めることはできない。もしお前たちがアスティと手を組むなら、俺は出ていく」
「グウィナン…」
「俺に賛同するものを連れて、俺は俺の戦いを続ける。それだけだ」
ナッツ=マーラが名を呼ぶと、グウィナンはそう言い放って聖堂を出ていった。ガスク。そう呼んだナヴィの声に、ガスクは唇を引き結んだままグウィナンが出ていったドアを見つめた。
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