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選び抜かれた腕利きの庭師によって、王宮の庭では四季を通じて美しい花々が咲き誇っていた。
その大きな花壇の縁に座ると、フリレーテはアガパンサスの茎を半分ほどで折りとった。フリレーテさま。侍女が咎めるように声をかけると、フリレーテは立ち上がった。
「しばらく一人で歩いてくる。夕刻には戻る」
「なりません。王宮内とはいえ、フリレーテさまをお一人にするなど王太子さまがどのように思われるか」
「なら、瞬きをしている間に消えたとでも言えばいい」
そう言って、フリレーテは歩き出した。王族はいつもそばに誰かがいる状態に慣れているのだろう。排泄の時にすら、そばに水を持って立つ侍女がいる。フンと鼻を鳴らして、フリレーテは綺麗に刈り取られた芝生に足を踏み入れた。侍女が止めるのも構わずそこにゴロリと寝転ぶ。
俺はなぜ、あの王太子に付き合ってこんなバカなことをしているんだろう。
晴れた空を見上げると、フリレーテは目を閉じた。こんな風に無防備に外で眠れることだけが利点か。考えながら目を開くと、ふわりと暖かな風がフリレーテの赤い髪を揺らした。
ミゲルやホッグスたちとは、こんな風に穏やかに暮らしたことはなかった。
幼い頃、ミゲルはたまにしか家に戻らなかった。けれどミゲルに献身的に尽くしていた母が死ぬと、ミゲルはラバス教の指導者としての責を果たしながら自分を育ててくれた。
そばにいるのに、触れられても愛していると言えなかった。こんなに辛い日々を送るぐらいなら、死んだ方がマシだとすら思ったこともあった。
バカだな。本当に死んでしまった。空に流れる雲を眺めると、フリレーテは笑みを浮かべた。可哀想なルイカ。何度生まれ変わっても、お前のそばにはもうミゲルはいない。
エウリルを憎むことでしかミゲルを感じることができない。
「王妃さま、ご機嫌麗しゅう」
ふいに侍女たちが優雅に言って、フリレーテは芝生の上で身を起こした。お付きの侍女に日傘を差し掛けられ、ゆったりとした歩みでサニーラがフリレーテに近づいた。影がフリレーテの顔に差し掛かると、サニーラはフリレーテを見下ろした。
「ご機嫌麗しゅう」
フリレーテが言うと、サニーラは黙ったまま振り向いて侍女たちを見た。腹心の侍女一人を残して他の侍女たちが下がると、サニーラは冷たい表情のままフリレーテを見つめた。
「フリレーテ=ド=アリアドネラ。院の知人を通じて国民議会議長と会い、話したことについては不問とします」
怪訝そうな表情を浮かべたフリレーテに、サニーラはまたジッとフリレーテを見た。
この男が、エンナとハットラント=ド=サウロンを殺した?
フィルベントは、私に嘘は言うまい。それが本当だとして、なぜそのようなことを。王族の敵なのか、それともサウロン公と対立する貴族に買われたか。
…それとも、オルスナに恨みが?
しばらくジッと見つめあうと、ふいに立ち上がってフリレーテは尻についた草を払って芝生を出た。失礼。そう声をかけると、フリレーテはそこに跪いてサニーラの手を取り軽くキスした。
「王妃さま、私がシャンドランなる男と話した内容は、王宮とは関係のない世間話です。そばには誰もいなかったので証明はできませんが、話しかけられたので差し障りのない程度に答えたのみ。それが王妃さまのお気を害したのなら謝ります」
フリレーテが言うと、サニーラは少し頬を傾けてフリレーテの大きな目を見つめた。本当に若く美しいこと。アントニアが執着するのも分からないではない。
だが、この男が二人目のエンナとなれば。
「フリレーテ。シャンドランと内密に連絡を。代わりにそなたの望みを一つ叶えよう」
低く静かにサニーラが囁くと、フリレーテは一瞬、瞳を揺らしてサニーラを見上げた。その白くほっそりとした手にもう一度キスをすると、フリレーテは仰せのままにと答えた。
「サニーラさま、私にこれ以上の望みなどございません。ただ私は、議長と連絡を取ろうにも王宮から自分の意志で出ることの叶わぬ身。どうか王妃さまのお力で私を外へ出していただけませんか」
フリレーテが穏やかに言うと、サニーラはまたフリレーテを眺めてからよいでしょうと答えた。来た時と同じように侍女に囲まれながら去っていくサニーラの後ろ姿を眺めると、フリレーテは目を細めた。
王妃が今、どの程度の権力を握っているかは分からないが、これで少しは事態が動くはず。
部屋へ戻ろう。そばで黙ったまま控えていた侍女に珍しく声をかけると、フリレーテは軽い笑みを唇に浮かべてゆっくりと歩き出した。 |