これまで王宮兵として単独行動をしたことはほとんどなかった。
士官学校卒業後すぐに赴任したサムゲナンから、数年後にようやくアストリィへ戻ると、ほとんどの任務が王宮内での要人の警護だった。任務をこなすことだけを考えていれば、自分の中にある残虐さも孤独も自覚せずに済んだ。
王宮から支給された剣で軽武装すると、グンナはダッタン市の対スーバルンゲリラ部隊駐屯地の一室の窓から外を眺めた。最後の戦闘で受けた傷はまだ痛んだけれど、ようやく動ける程度に回復していた。フリレーテに宛てた単独行動を求める許可書の返事はまだなかった。
もし何か問われても、市の見回りの途中で罪人を見つけたので対処したと言えばいい。
王子エウリルはまだダッタンにいるのか。それとももう脱出しただろうか。
対スーバルンゲリラ部隊の兵たちは当てにならない。多数が圧倒的に有利となるはずの戦闘で、二倍以上の人員を配置して取り囲んだのに突破された。それに向こうには、これまで王立軍や王宮衛兵軍に自由に出入りして情報を集めることのできたイルオマもついている。
イルオマ=アレギナ…もう数年前になる士官学校時代のイルオマを思い出すと、グンナは鼻に皺を寄せて息を詰めた。イルオマのことはよく覚えていた。苦々しい思い出と共に。
士官学校の同期の中で唯一、どの分野の授業でも適わない男がいた。二グループに分かれて作戦を立てる実戦さながらの訓練をした時、イルオマは敵チームのリーダーではなかったが、補佐役として教官も目を見張るほどの優れた能力を持っていた。
士官学校を出ても平民出身者はまず地方配属になるのに、イルオマだけはアストリィの王立軍の中心部隊に配属されていた。
それからは一度も、噂すら耳にすることはなかったのに。
もしも。
イルオマがエウリルに…スーバルン側についたとしたら。
厄介だな。考えながら机の上のナイフを手にすると、グンナはまたナイフを置いて振り向いた。そこには平民姿の男が音もなく静かに立っていた。その美しい顔立ちを見ると、グンナは息を飲んで敬礼をした。
「フリレーテさま、なぜこのような所に…」
あまりの現実感のなさに、グンナは言いかけて言葉を濁した。
ダッタン市を公式に訪問しているなら、他に護衛の者がいるはず。
それにその姿は。
「グンナ。お前の失策は咎めない。今日はダッタン市の現在の状況を聞くために来た」
「しかし、フリレーテさま」
「ダッタン市の最新の詳細地図を。対スーバルン部隊に頼むより、お前の方が話が早いだろう」
まだ呆然としているグンナをおかしそうに見上げると、フリレーテは狭い部屋の本棚にいくつも立てられていた地図を取ろうとした。後ろから手を伸ばしてその手を遮ると、グンナは息を飲んで目の前にあるフリレーテの赤い髪を見つめた。
失策…?
まだ終わっていない。
確かに多数同士の戦闘では王子を捕らえることはできなかったが、スーバルン人たちとやり合うことが任務ではないと言ったのは、フリレーテさま、あなたじゃないのか。
フリレーテの手を強くつかむと、グンナはその体を本棚に押しつけるようにして言葉を探した。頭の中は真っ白で、何も浮かんでこなかった。言い訳すらも。
「…っ」
つかまれた腕の痛みに顔をしかめて振り向くと、フリレーテはグンナをジッと見上げた。グンナの表情はどこか切羽詰まって、見開かれた目はどこか恐怖に彩られているようだった。何も恐いことなどない。落ち着いた声で言うと、フリレーテはグンナの目を見つめて言葉を続けた。
「お前の失策は咎めないと言ったろう。アントニアさまには報告していない。王子の件は私自身が片をつけるつもりだ」
フリレーテの声は部屋に静かに広がっていった。
何が恐ろしいというのか。護衛もつけぬ貴族など…戦闘の訓練を積んできた自分なら悲鳴すら上げられぬまま息を止めることもできるはず。
なのに、何がこんなにも恐ろしい。
「グンナ、ここには誰もお前を叱る者はいないよ」
そう囁いたフリレーテの声が響くと同時に、グンナはフリレーテを強く抱きしめていた。歯の根の合わないほどガタガタと震えると、グンナは恐怖を覆い隠すように夢中でフリレーテの体を弄った。
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