アストラウル戦記

 なぜ誰も来ない。
 荒い息づかいが狭い部屋に充満していた。小さな机に押しつけたフリレーテの体を後ろから覆いかぶさるように抱きしめた。音が大きく響いても、いつもなら少しの物音ですぐにやってくるはずの軍兵は誰一人、部屋を訪れようとしなかった。
「フリレーテさま…お許し下さい」
 口ばかりの謝罪の言葉がもれ、グンナは沸き上がる感情を懸命に押さえつけながらフリレーテの前へ手を伸ばした。机に両手をついて、フリレーテは俯いたままグンナの体を受け止めていた。フリレーテの熱っぽい吐息がグンナの理性を徐々に奪っていった。フリレーテの頭を机に押しつけると、グンナは自身をその体へ割り込ませた。
「…あ」
 なぜ誰も来ないんだ。
 誰か止めてくれと心のどこかで叫んでいた。挿入の瞬間に最後の理性は消し飛んだ。リーチャを抱いた時とは違い、フリレーテの体は溶けて混じりあいそうなほど熱かった。もし悪魔がいたら。息を乱して腰を打ちつけると、フリレーテの服越しに背中に口づけ、グンナはぼんやりとフリレーテの形のいい耳を見つめた。
 悪魔とのまぐわいはこのようなものかもしれない。
 一瞬、そんな考えが頭をかすめた。そこにいるのに、抱きしめても存在を感じることができない。大きく、自分の全てが包み込まれてそこから抜け出せない。フリレーテの腰をつかんでグンナがその顔を覗き込むと、わずかに振り向いたフリレーテと目が合った。
 口元に笑みを浮かべていた。
「!」
 思わずバッとフリレーテから離れて、グンナは大きく息をついた。ぐったりと力を抜いたフリレーテが、机に腕をついてグンナを見上げた。身を起こして脇に倒れていた椅子に足をかけると、フリレーテは机にもたれて足を開いた。
「最後までやれよ。もうこれで終わりにしよう」
 ゾッとして、グンナはマジマジとフリレーテの顔を見た。逃げられない。恐ろしい…真っ青になったグンナを見つめると、フリレーテは目を細めて立ち上がり、グンナの大きな手をつかんだ。
「また叱られたね。院長は悪い人間だよ。グンナの方が正しいと思う」
「…っ!」
 その手を振り払うと、グンナは首を横に振って後ずさりしドアに背を擦りつけた。なぜそれを知っている。あの時、その場にいたのは俺とあいつの二人だけだったはずだ。
「グンナ…可哀想に。あの時も止めてほしいと思っていたのに」
 ゆっくりと手を伸ばすと、フリレーテはグンナの両頬をそっと挟んだ。ふっくらとした唇を覆うと、舌を伸ばしてグンナは貪るようにそこを舐めた。逃げられない。もう、この人からは。体の芯が震えて、グンナはフリレーテを抱いてそのスラリとした右足を抱えた。
 両親が事故で死んでから士官学校に上がるまでの数年間、ダッタンの隣の市にある孤児院で暮らしていた。
 そこには体の弱い少女がいた。少女は孤児院の院長を憎んでいた。いつも熱を出して寝込んでは文句を聞かされ、挙げ句の果てには死んでも誰も困らないとまで言われていた。
 俺は、初めて誰かを助けたいと思った。
 俺は。
「大丈夫…院長は事故だということになった。あの子ももう死んだ。誰も知らないよ」
「お前は悪くない。グンナはあの子が好きだっただけだ」
「力を貸してほしい。グンナ…今度は俺のために」
 フリレーテの声だけが部屋に大きく響いていた。何も考えられないまま、頷いていた。その身に快楽を与えることが与えられた仕事であるかのように、グンナは黙ったままフリレーテの足を抱えて腰を打ちつけた。

(c)渡辺キリ