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すぐに軍兵たちの捜索の手が入るからと、背や腰の傷をザクザクと縫われただけの状態で、ガスクの体はダッタン市の市街地から更に北にある高級宿の一室に移されていた。
スーバルン人のガスクやグウィナンとびしょぬれでみずぼらしいナヴィを見ると、宿の主人は柔らかな物腰で宿泊を拒んだ。丁寧な口調と大金で半ば無理矢理に部屋を取ると、市警団の使者はナヴィに医者から買った薬と金の入った袋を渡した。
「医者の見立てでは傷は見た目よりも浅いらしいが、それでも動けるようになるまでしばらくかかるだろう。私たちはアストリィで用を済ませてからダッタンに戻ってくる。それまで養生するよう伝えてくれ」
「金を受け取る義理も道理も俺たちにはない。助けてくれたことには感謝するが、金や薬までは受け取れない」
ナヴィの言葉に続いてそばに立っていたグウィナンが険しい表情で言うと、使者は苦笑しながら答えた。
「スーバルンゲリラのリーダー殿に何かあれば、わざわざダッタンへ出向いた意味がなくなる。君がどう思っているかは知らないが、我々は君たちの力を必要としているんだ。ここで君たちに恩を売るのも、我々の思惑の内だと思っていただいて結構」
それだけ言うと、使者は不安げにこちらを見ている宿の主人に、面倒に巻き込まれたくなければ軍兵が来てもスーバルン人は泊めていないと言ってくれと頼んだ。使者が宿から出ていくと、ナヴィはグウィナンとガスクが眠る部屋に戻った。
「彼らを信じてもいいのかな」
長い廊下を歩きながらナヴィが言うと、グウィナンはしばらく黙ってから口を開いた。
「どちらにせよ、今はガスクをここから動かすことはできない。軍兵たちも、まさかこんな貴族が泊まるような宿に俺たちがいるとは思わないだろう。しばらく様子を見るしかない」
「ナッツ=マーラに知らせなきゃ」
「俺が行こう。お前はガスクを見てやってくれ」
「僕を信用してくれるのか」
立ち止まってナヴィが尋ねると、グウィナンは振り向いた。
「…あの使者たちよりはな」
低い声で答えると、グウィナンは部屋のドアを開けた。ナヴィが後からついて中に入ると、大きなベッドに手当を受けたガスクが横を向いて眠っていた。
その呼吸は浅く、額には脂汗が滲んでいた。手に持っていた薬をベッドサイドにある小さなテーブルに置くと、ナヴィはガスクの枕元に近づいてそっとその顔を覗き込んだ。
ガスクを巻き込んでしまった。
本当はあの時、僕が切られるはずだった。
ガスクの額の汗を布で拭うと、ナヴィは熱を持ったそこに自分の冷たい手を押し当てた。ごめんなさい…。ガスクの手を握って祈るナヴィの小柄な背中を見ると、グウィナンは口を開いた。
「プティ市警団にはよほど金持ちのパトロンがいるらしいな。長い間ダッタンにいるが、こんな高級宿には入ったことがない」
「…プティは高級住宅街ばかりだから、ひょっとしたらどこかの貴族が手助けしているのかもしれない」
ナヴィが小さな声で答えると、グウィナンは壁際にある装飾のついた鏡台にもたれた。
「お前をエウリルと呼んでいたな」
ビクッと震えて、ナヴィは振り向いた。グウィナンは険しい表情でナヴィを見ていた。ナヴィが黙っていると、グウィナンは構わず言葉を続けた。
「お前は、現国王ルヴァンヌ=ド=ルクタス=アストラウルの第四王子、エウリルだな」
その名をはっきりと意識したのは、随分久しぶりのような気がした。
答えないナヴィを正面から見据えると、グウィナンは息をついた。認めないか。当然か…。目を伏せてグウィナンが更に言葉を重ねようとすると、ふいにナヴィが口を開いた。 |