「僕の母と妻は、あの男に殺された」
静かな部屋に声が響いた。
「その部屋には僕しか入れなかったはずという理由で、僕は投獄された。でも、僕は殺していない。どうやってあの男が部屋に入ってきたのかは分からない。けれど、あの男が殺したのは間違いない。自分でそう言っていた」
グウィナンはわずかに目を見開き、それから目を凝らしてナヴィを見た。ナヴィが嘘を言っているようには見えなかった。混乱する頭で必死に言葉を探すと、ナヴィは膝に置いた手をもう片方の手でギュッと握りしめた。
なぜ、また僕の前に現れた。
僕の中のオルスナの血。それを滅ぼすために?
どうしてあの男はそんなにもオルスナを憎んでいるんだ。僕はあの男を知らない。なのに、どうして僕を執拗に追うんだ。
「お前を迎えにきたアスティたちは」
「…アサガは僕の幼なじみで、僕を王宮から逃がしてくれた。後の二人は多分、僕の兄が持つ私軍の者だと思う」
「王宮を出た後、なぜグステ村へ?」
「分からない。覚えてない。でも、川で桟橋に引っかかっていた舟の中にいたとパンネルが言ってた」
握りしめた手に力を込めて、ナヴィは俯いて口をつぐんだ。涙が頬を伝ってポタリと膝に落ちた。両手で顔を覆って、ナヴィはしばらくゆっくりと呼吸を繰り返した。
「僕が王子だと知ったら、パンネルもガスクもみんな僕を憎むかもしれないと思って言えなかった。それに、王宮を出た時から…いや、あの夜、衛兵に捕らえられた時から僕はもう王子じゃない。僕はもう、ナヴィという名のただのアストラウル人だ」
「…」
黙り込んだまま、グウィナンはただジッとナヴィを見つめた。
判断がつきかねていた。こんなことは久しぶりだった。王子エウリルだと分かれば、自分はナヴィを殺すかもしれないとずっと思っていたのに、ナヴィの話を聞くと意志が揺らいだ。
なぜ迷う。
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がると、グウィナンは脇に置いていた剣を手に取った。ナヴィが目を真っ赤に腫らして顔を上げると、そのまま部屋を横切ってグウィナンは廊下へと出るドアノブをつかんだ。
「グウィナン」
慌てて立ち上がったナヴィを振り返ると、グウィナンはその白い肌とはしばみ色の目を見つめた。ナヴィを切っても何も変わらない。ナヴィがいなくなって喜ぶのはむしろ、無実の罪で投獄された王子が王宮を脱してスーバルンゲリラといるという事実を揉み消したい、王宮のヤツらの方だ。
「このことを知っているのは? ガスクは」
「…ガスクは多分、知らないと思う。でも、ナッツ=マーラは知ってる」
「ナッツ=マーラが?」
驚いてグウィナンが尋ね返すと、ナヴィは頷いてグウィナンを見上げた。
「僕が王子だと知って、オルスナへ逃げろと言ってくれた」
「…そうか」
「ナッツ=マーラを責めないで。ナッツ=マーラは僕が君たちとこんなに長く一緒にいることになるなんて思っていなかったんだ」
ナヴィが重ねて言うと、グウィナンはそれには答えず部屋を出た。グウィナン。ナヴィが呼ぶと、グウィナンは振り向いてガスクを頼むと答えた。
「ガスクを何とか動かせないか、方法を考える。それまでそばにいてやってくれ」
「分かった。グウィナン」
「何だ」
低い声でグウィナンが尋ねると、ナヴィは助けてくれてありがとうと呟いた。一瞬呆気にとられると、グウィナンは険しい表情で口を開いた。
「リーチャの敵と、俺を憎んでいたんじゃないのか」
グウィナンの言葉に、ナヴィは沈黙で答えた。足早に遠ざかるグウィナンの背中を見つめると、部屋に戻ってナヴィはベッドサイドの椅子に座った。
グウィナンが市警団といた理由。
それはガスクのため、そして自分が納得するために、あんなに嫌い抜いていたアストラウル人の元へ自ら出向き、話を聞いていたんじゃないのか。
グウィナンが出ていったのはガスクと対立するためだと思っていた。でも、違ったんだ。それならリーチャを殺したことも、許せはしないけれど何か僕に理解できない心の動きがあったのかもしれない。
リーチャ。
胸元に下げたリーチャの骨に手を当てると、ナヴィは目を伏せた。
リーチャ、君はグウィナンを許していた。それがどうしてなのかずっと分からなかった。今も全て分かった訳じゃないけど…ほんの少しだけ、近づいた気がする。
「ガスク。早く目を覚まして、僕の考えを聞いてよ」
思わず口に出して呟くと、ナヴィはガスクの手をつかんだ。その手は大きく、熱っぽかった。静かな部屋の中でガスクの苦しげな寝顔を見つめると、ナヴィは手を握ったまま一心にガスクの回復を祈り続けた。
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