アストラウル戦記

 高級宿の白い部屋は、これまでいたスーバルンゲリラの隠れ家や寺院に比べると清潔で、アサガは目に見えて機嫌がよかった。小さなテーブルを窓際へ寄せ、ローレンへ出す手紙を書いているナヴィを見ると、向かいに座っていたアサガが羽ペンを持つナヴィの手を眺めながら言った。
「こうしていると、アストリィにいた頃を思い出しますね」
「そうかな」
 苦笑してナヴィがチラリとアサガを見ると、アサガはあれがなけりゃねとベッドで眠っているガスクを指差した。ガスクの怪我は抜糸してから随分よくなって、ナヴィの肩を借りながら部屋の中を歩けるぐらいまで回復していた。安らかな表情で眠っているガスクをぼんやりと眺めると、ナヴィは羽ペンをインク壺へ軽く落とした。
「こうやって手紙書いてるけど、ちゃんと届くのかな」
「届けてもらいますよ。トアルとネリフィオはダッタンにいますから、どっちかに頼めば」
「そっか…二人とも早くプティに帰りたいだろうな」
 テーブルに頬杖をついてナヴィがぼんやりと窓の外を眺めると、アサガはため息まじりに言葉を返した。
「そうお思いなら、プティへ向かって下さいよ」
「ガスクが治ったら」
 ナヴィがアサガを見て答えると、アサガはそう言うと思ったと苦笑した。ゆっくりとローレンへの手紙を書き上げると、ナヴィは用心深く、名前ではなくあなたの弟よりと書いてから、吸い取り紙でインクを吸ってそれを折り畳んだ。
「じゃあ頼むね。もう少ししたらプティへ発つと書いておいたから」
「ゲリラのことも書いたんですか? ローレンさまが読んだら腰抜かしますよ」
「会ってから話そうと思って、詳しくは書いてない。途中で誰かに読まれても困るから」
 そう言って、ナヴィは手についたインクを柔らかな紙で拭った。手をちゃんと洗って下さいよ。アサガが封ロウをしながら言うと、ナヴィはうるさそうに鼻にシワを寄せて立ち上がった。
「失礼いたします」
 ふいにノックの音がして、支配人の声が響いた。何か頼んだんですか? そう言ったアサガに首を傾げてからナヴィがどうぞと促すと、支配人はドアを開けて一礼した。
「先日、宝飾をお売りになりたいと仰っておいででしたが、私の知人の、信頼できる宝石商がダッタンを訪れておりますのでいかがかと」
 宝石商? ぽかんとしてナヴィを見たアサガには気づかず、ナヴィは笑って答えた。
「あ、そうか。そうだったな。ここでよければ連れてきてもらえるかな」
「かしこまりました」
「ちょっと待って下さい。宝石を売りたいって、まさかその耳のやつじゃないでしょうね」
 慌ててアサガが言うと、ナヴィはそうだけどと答えながら耳に触れた。
「もうこれしか残ってないんだ。あの使者たちが置いていったお金を使う訳にはいかないし、少しは足しになるかなって」
「とんでもありません!! すみませんが、その話はなかったことにお願いします」
 アサガが言うと、支配人は戸惑いながらもホッとしたように、それではよろしくお願いいたしますと言って部屋を出ていった。アサガ。怒ってナヴィが名を呼ぶと、アサガはガスクを気にして小声で囁いた。
「いいですか。そのピアスは、父王さまがあなたのお誕生日にと特別に誂えさせたものなんですよ。おいそれと売れるような金額のものではないんです。個人の宝石商なんて、身代が傾きますよ」
「でも、お金が」
「金の心配なんて、エウリルさまがなさる必要はありません! 僕だって少しは持ち合わせているし、ローレンさまからいただいたものが十分に残ってるんですから。そのピアスを売ってしまえば」
 言いかけて、アサガは黙り込んだ。何だよ。ナヴィが促すと、アサガはナヴィの手をつかんで言いにくそうに続けた。
「今、父王さまはご病気です。生きておいでの間にあなたが王宮へ戻られ、再びお会いできるかどうか分からないんですよ。ひょっとしたら、それが父王さまのお形見になるかもしれないんです」
「アサガ」
「ですから、どうか大切になさって下さい」
 ギュッとナヴィの手を握りしめると、アサガはそれを名残惜しそうに離した。
「…分かった」
 珍しく素直にナヴィが頷くと、アサガはホッと息をついた。それじゃ、僕はトアルたちに手紙を持っていくよう頼んできますから。そう言ってナヴィの手紙を懐に入れると、アサガはナヴィを残して部屋を出ていった。

(c)渡辺キリ