その日の夜、知らせを聞いたナッツ=マーラとグウィナンが高級宿の一室を訪れると、ガスクの様子を見て二人はホッとしたような笑みを見せた。ナヴィは遠慮して、二人を部屋へ案内するとそのまま書物を持って部屋の外へ出ていった。
「アサガのやつが、何か自分の用のついでにって知らせてくれたんだ。あいつもたまには役に立つじゃないか」
部屋を物珍しそうに眺めていたナッツ=マーラが言うと、ガスクはグウィナンからマントを受け取りながら苦笑した。
「文句言いながらも、面倒見てくれたんだ。感謝しなきゃな」
「どうやらここではナヴィが貴族でアサガが付き人、お前が雇われ用心棒ってことになってるみたいだぜ。俺たちがナヴィと宿に入ったら、ここのオヤジが俺たちを止めようとして、ナヴィに気づいて慌ててお辞儀してやんの」
「プティ市警団の使者がそう言っておいたんじゃないか。事実を説明する訳にはいかないし」
グウィナンがベッドの端に無造作に座って言うと、ガスクがそうかもなと答えた。
ナヴィといると、高級宿の小間使いや雑用係たちも支配人も、みながガスクを丁重に扱った。アストラウル人からそんな風に扱われるのは初めてだった。衰えたガスクの足を丁寧に診ているグウィナンに、ガスクは苦笑した。
「俺たちがここにいても当然であるように、俺たちが変えるんだ」
「そうだな。そんなこと考えたこともなかったけど、アスティにとってはそれが当然なんだから、俺たちだって」
心配げにグウィナンの手元を見ていたナッツ=マーラが言うと、ガスクは笑った。大丈夫だ。そう言って目を細めると、ガスクは足をちょいちょいと動かしてグウィナンの肩を軽く蹴った。
「思い出した。お前、勝手に出てってんじゃねえよ。せめてこいつにちょっと言って行けよ。心配すんだろ」
「ナッツ=マーラに? 何が」
いつものように無愛想にグウィナンが尋ねると、ガスクはベッドの上に足を投げ出して座ったまま、脇に立てかけてあった大剣を取り上げた。
「市警団の奴らに、話を聞きに行ったんじゃないのか」
「何で知ってる」
「ナヴィに聞いた。お前、ナヴィにそう言ったんだろ」
ガスクがグウィナンを見ると、グウィナンは眉を潜めて言ってないと答えた。ニヤニヤとナッツ=マーラが笑っているのに気づいて、ガスクは含み笑いをもらして言葉を続けた。
「ま、いいけど」
「ナヴィはどうするんだ。またダッタンに残ってどうのと言うつもりじゃないだろうな。残していかれたらこっちが困る」
不機嫌そうにグウィナンが言った。剣を鞘からわずかに抜いて鍔を点検していたガスクが視線を上げると、ナッツ=マーラは置いてあった椅子に座って足を組んだ。
「そうだよ。あいつまた駄々こねてんじゃないだろうな」
「それが、今度は素直にプティへ行くって。何かしたいことがあるからって。でもそれ以上は言わねえんだ」
「へーえ。ま、あいつがダッタンにいると、俺たちも何か調子でねえからよ。プティならまだ安心だ」
「それは分からんがな…」
ナッツ=マーラの言葉にそう呟くと、グウィナンは立ち上がった。何で? ナッツ=マーラが尋ねると、グウィナンはテーブルに置いてあったワインを取って栓を抜いた。
「市警団の奴らの泊まっていた部屋には、ダッタン市とプティ市の詳細地図があった。一応、戦場になった時のことを考えて、今の内に買い集めているんだろう。あいつらがガスクを置いてアストリィへ行ったのも、恐らくアストリィの詳細地図を手に入れるためだ」
「でも、あいつらのパトロンは貴族じゃないのか。貴族がプティやアストリィを戦場になんかするかよ」
「まあな…だが、どれぐらい本気で今の王宮に取ってかわろうとしているか、それに寄るんじゃないか。本気じゃない子供同士の喧嘩程度なら、俺たちが手を貸す必要もないだろう」
グウィナンがそう言ってワインをそばにあったコップに注ぐと、ガスクは二人を見比べて答えた。
「俺たちが推測で話したってしょうがない。あいつらのリーダーに話を聞きゃ、もう少し何か分かるだろ」
「そうだ、ガスク。お前一人でプティへ行くって正気か? せめてカイド連れてけよ、カイドを」
ナッツ=マーラが身を乗り出して言うと、ガスクはバカ言うなよと答えて苦笑した。何で。怒ったようにナッツ=マーラが椅子に座り直すと、ガスクは剣を鞘に納めた。
「何が起こるか分からないんだ。もし何かあった場合、死ぬのは俺一人でいい」
「縁起でもないこと言うなよ…」
「ガスクがここにいる間、殺す気ならいくらでもチャンスはあったからな。もし市警団がガスクの命を狙っているならとっくに殺されてるだろう」
二杯目をコップに注いでグウィナンがそれを差し出すと、ナッツ=マーラは微妙な表情でそれを受け取って煽った。
「ナヴィが一緒なら心配ない。カイドより腕が立つし、会談に同席できるかどうかまでは分からんが少なくとも道中は安心だ」
そう言ったグウィナンの言葉に驚いて、ナッツ=マーラが随分ナヴィのこと買ってんだなとからかうように言うと、グウィナンは表情一つ変えずに答えた。
「あいつは使える。アスティにしてはな」
これだよ。ナッツ=マーラが呟くと、ガスクは声を上げて笑った。
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