夜明け前、北東門には交易のためにダッタン市内へ向かうオルスナの商人やアストラウル人の観光客でごった返していた。ナヴィたち三人は早めに高級宿を出て、まだ暗い内から北東門の手前でヤソンが来るのを待っていた。鑑札を確認するアストラウルの役人が数人立っていて、ナヴィに支えられてその様子を見ていたガスクが、どうするつもりかなと呟いた。
「役人にはまだ人相を知られてないだろうが、この顔は隠しようがないからな。傷だらけのスーバルン人なんて怪しさ極めてんだろ」
「これまではどうしていたんです?」
大荷物を抱えたアサガが北東門の様子を見ながら尋ねると、ガスクは答えた。
「西から山越えか、商人に頼んで荷物のふりをするかどちらかだな」
「荷物のふり…」
「待たせたかな」
顔をしかめたアサガの声と、もう一つ声が重なった。ガスクたちが振り向くと、旅支度をしたヤソンがにこやかに立っていた。
「馬車はあちらだ。リーダー殿ともう一人、付き添いに乗ってもらう。荷は馬車に積んで、そちらの方は馬で移動となるが、構わないかな」
アサガが担いだ荷物を見て、ヤソンは笑いを堪えながら言った。だから服なんか置いていけって言ったのに。赤くなってナヴィが俯くと、アサガは当然のように答えた。
「構いませんけど、僕はこの方と馬車に乗りますよ。長旅の間、野獣と二人にして何かあったら大問題ですから」
「馬車は二人って言ってるだろ。アサガが馬車に乗るなら僕は馬で行くよ」
「何言ってるんですか! 僕があなたを差し置いて馬車に乗れる訳がないでしょ!?」
うるせ。二人を見て顔をしかめ先に歩き出したガスクに、ヤソンが手を貸した。俺が騎馬でいいよ、もう。ガスクが言うと、ヤソンは吹き出した。
「あなたには馬車に乗っていただきたいですね。その方が楽にダッタン市から出られる」
「どういうことだ?」
ガスクがヤソンを見ると、ヤソンは目を細めた。北東門から少し離れた所に小降りの馬車が一台と、馬が数頭準備してあった。ヤソンが連れていた使者はいず、ガスクが他の奴らはと尋ねると、ヤソンは答えた。
「プティへ帰しました。あまり人数が過ぎると動きづらい。そちらこそ、聞いていた人数よりも少ないようですが」
「アサガと一緒にいたアスティは、先にプティへ向かったんだ。あんたは俺たちをよほど気に入ったようだな。こんな大掛かりな準備までして、出迎えはあんた一人か。信用するにはまだ早いと思わなかったのか」
「あなたたちが私を殺す理由もありませんし、もしあなたたちが私を殺しても、私の代わりはいくらでもいますから」
にこりと笑って、ヤソンはガスクを片手で支えたまま、もう片方の手で馬車のドアを開けた。馬車にはきちんと正装をした初老の御者が乗っていて、外装だけではなく内装も壁に凝った絵が描かれているなど、まるで貴族の馬車のように美しかった。ガスクが眉を潜めると、ヤソンは中へ入るよう促した。
「どうせ途中から必要なくなるんだから、ボロ馬車でよかったのに」
ヤソンの手を借りて乗り込みながらガスクが言うと、苦笑したヤソンの肩ごしにナヴィたちが駆けてくるのが見えた。ガスクの不機嫌そうな表情を見て、ヤソンは必要なのでご容赦をと言ってガスクに豪華なビロードのマントとたっぷりとしたショールを渡した。
「これをかぶって窓から顔が見えないよう俯いて、何を言われても黙っていて下さい。間違っても抜刀はナシですよ」
「しかし」
「ナヴィ、君はガスクの向かいに乗りなさい。もし万が一役人が中を覗いたら即、無礼者と一喝して下さって結構」
「え?」
戸惑いながらナヴィがヤソンを見上げると、ヤソンはナヴィの肩に装飾のついたマントを羽織らせ、その手を取ってどうぞと促した。それを見てムッとしたアサガとガスクが同時にもう片方の手をつかんで引いた。三人から腕をつかまれうろたえるナヴィを見ると、ヤソンは笑いながら手を離してアサガの肩をポンと叩いた。
「アサガ、君は馬へ。いくら何でも貴族の乗る馬車に護衛が一人ではおかしすぎる」
「貴族? そう言って通るつもりですか。しかし、鑑札が」
「いいから、君は貴族の従者らしく黙って堂々と馬車に付き添って下さい。そろそろ夜が明ける。日の出前にはダッタンを出たいんだ」
ヤソンがうっすらと明るくなりはじめた空を見上げると、ナヴィは頷いて馬車に乗り込んだ。向かいに座って腰を浮かし、ショールで口元を覆ったガスクの頭からマントのフードをかぶせると、ナヴィは居心地の悪そうなガスクの顔を覗き込んで笑みを見せた。
「いざとなったら、僕が守る。必ずガスクをプティまで送り届けるよ」
「それでお前に死なれたら、俺の寝覚めが悪いじゃねえか」
苦々しくそう言うと、ガスクはナヴィを見上げた。
「ガスクを守って死ぬなら、意味があるから」
荷を積み込むとガタンと大きく馬車が揺れて、ガスクがナヴィの肩を支えるとナヴィはそう言って笑った。バカなこと言うな。ナヴィを向かいに座らせると、小さなカーテンを引いた窓へ視線をそらしてガスクは呟いた。
「意味のある死なんてない。意味のない死がないのと同じだ。全て同じ、ただの死だ」
ガスクが言うと、ナヴィは真っすぐにガスクを見つめた。
馬車は二頭の馬を引き連れ、ダッタン市の北東門へゆっくりと向かっていた。
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