空がうっすらと白く明けてくると共に、貴族の設えをした馬車は役人たちの立つ北東門へ向かっていた。
「その馬車止まれ!」
槍を持った衛士と役人が声を張り上げると、馬車の少し前を馬で歩いていたヤソンは右手を挙げて御者に合図を送った。ゆっくりと馬車が止まると、馬に乗って後ろについていたアサガが心配げにヤソンの背中を見つめた。
「鑑札を。馬車の中を改める。扉を開けよ」
役人が一人、ヤソンに近づいて命じた。懐に差していた巻紙と鑑札を取り出すと、ヤソンは答えた。
「こちらの馬車には、プティ市長スラナング男爵のご招待によりプティへ向かわれる方が乗っておられる。高貴なお方ゆえ、扉を開けることは敵わぬ」
鑑札を確認し、巻紙を広げた役人はうむと唸った。馬車の中で身を縮めていたナヴィが息を殺していると、両腕を組んで壁にもたれていたガスクがカーテンの隙間から窓の外を伺った。
プティ市長の通行証…本物か?
貴族の馬車など言ってどう誤魔化すのかと思ってたけど、誤魔化す必要はなかったという訳か。
ずっと考えていた謎が解けた。プティ市長のスラナング男爵は、先の内戦で対スーバルン内戦部隊の総指揮をしていた男だ。それがプティ市警団の裏で糸を引いているのなら、俺たちが下手に動かないよう先に手を打ってもおかしくはない。
「最近はスーバルンゲリラの活動も活発で、ダッタン市を出入りする者を厳しく検閲するよう王宮から申しつけられている。中を改めさせてもらおう」
そう言って、役人は巻紙と鑑札をそばにいた衛士に渡し、馬車の扉に手をかけた。その途端、窓のカーテンが開いて中からビロードのマントをかぶった青年が冷ややかな目で役人を見下ろし一喝した。
「無礼者! この方はお前たち下級役人が尊顔を拝せるような方ではない!」
張りのある艶やかな声が辺りに響いて、他の通行人や鑑札を行っていた役人たちが一斉に振り向いた。申し訳ございません! 役人が慌てたように一歩下がり、馬車はまた動き出した。ダッタン市の北東門を馬車と二頭の馬が通り抜けると、しばらくして馬車の中で畏まって座っていたナヴィが真顔で言った。
「アサガの真似」
その言葉に、思わずガスクが吹き出した。顔を見合わせ、二人であははと声を上げて笑った。静かに。まだ役人がこっちを見てるんですよ。途端に馬車の外からアサガの声がして、ガスクとナヴィは慌てて座席に座り直した。それでも堪えきれずに口元を押さえると、顔を真っ赤にしているナヴィを見てガスクが言った。
「こえーな、あいつ。そういう奴なんだ」
「本気で怒ると、結構恐いよ」
「ナメてたな。あんまりアサガをからかわないように、ナッツ=マーラたちにも言っとかなきゃ」
目を細めてガスクが笑うと、ナヴィはふふっと声をもらした。馬車はゆっくりと北東門から遠ざかって、ふいにナヴィはカーテンを寄せて窓から外へ顔を出した。
「危ないですよ」
馬に乗ったアサガが声をかけると、ナヴィは少しだけと言って後ろを振り返った。ガスクがその脇から外を見ると、木々の間からダッタン市の古い町並みが見えた。石造りの建物と町を囲む石垣が小さくなっていくのを眺めているナヴィに、ガスクは尋ねた。
「やっとダッタンから出られたな、お前。嬉しいんじゃないのか」
徐々に速度を上げる馬車の歩みに、風で髪を煽られながらナヴィは呟いた。
「寂しいよ」
リーチャ、グウィナン、ナッツ=マーラ、それにみんなも。
本当はずっとみんなと一緒にいたかった。みんな、僕の初めての大切な友達だった。けれど、僕は僕にしかできないことで、彼らに思いを返したい。
「寂しいのか」
囁くように、ガスクが言った。振り向いて頷いたナヴィは口元に笑みを浮かべていた。その表情を見て笑みを返すと、ガスクは馬車の狭い壁にもたれて目を閉じた。
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