アストラウル戦記

 ガスクとナヴィがダッタン市の中心街で襲われたとグウィナンが説明すると、部屋にいた仲間たち数人が一斉にどよめいた。ナッツ=マーラがチラリとグウィナンを見ると、グウィナンは言葉を続けた。
「二人を襲ったアスティの内の一人は、以前リーチャのいた娼館に攻め込んだ軍の指揮官だった。もう一人は見覚えがないが、指揮官の男が付き添っているように見えたから、ひょっとしたら上官か貴族かもしれない」
「それで、ガスクは無事なのか」
 仲間の一人が心配げに尋ねると、グウィナンは頷いた。落ち着いて聞いてくれ。そう前置きをして、グウィナンは言葉を選んでから口を開いた。
「ガスクはナヴィを庇って、背中から腰の辺りを切られた。そこにいたプティ市警団が医者と宿を手配してくれたおかげで、二人とも無事だ。医者も、ガスクの傷は見た目より浅いと言っていた」
「その、市警団が取ったとかいう宿、大丈夫なのかよ」
「アスティの貴族が泊まるような高級宿だ。プティ市警団がハメたんじゃなければ、軍に踏み込まれることはないと思うが…とにかく、ガスクが目を覚まさなきゃ動かすこともできない」
「ナヴィが残ってんのか?」
 次々と質問され、グウィナンは頷いて小さなテーブルに置いたコップから水を飲んだ。残ってガスクの看病をするよう頼んだ。そう言って、グウィナンは仲間たちを見つめた。
「アスティの宿なら、俺が残ってナヴィをここへ走らせるよりいいだろう。ナヴィならガスクを守るだけの腕もある。ガスクが回復するまで辛いだろうが、俺たちはこれまで通り情報収集と南地区の警護をしよう」
「グウィナン、プティ市警団の話を聞いたって言ってたけど…そのことについては」
 ナッツ=マーラが促すと、グウィナンは言葉を止めた。
 その場にいた仲間たちみなが、グウィナンが話し出すのを待っていた。目を伏せて考えると、グウィナンはしばらくしてから口を開いた。
「態度はムカつくが、言っていることは筋が通っているように思えた。俺たちの戦力を借りたいというのは建前で、俺たちを同志として迎えておけば、奴らが政権を取った後、余計な処理をせずに済むということらしい」
「余計な処理?」
 ナッツ=マーラが尋ねると、グウィナンは真顔で答えた。
「アスティ同士の戦闘でスーバルン人が死んだ場合、この国に住むスーバルン人が憎しみを向ける相手は誰だ。政権を取った奴らだろう。例え七パーセントでも、禍根を残せば将来、大きな芽になる可能性もある。だが、俺たちを味方にしておけば戦死は仲間のためと言い聞かせることができる」
「ふざけた話だな。舐められたもんだぜ」
 ナッツ=マーラの横で話を聞いていた若いスーバルン人が言うと、ナッツ=マーラは両腕を組んでそうか?と呟いた。グウィナンがナッツ=マーラに視線を向けると、ナッツ=マーラは仲間たちを見回しながら言葉を続けた。
「俺たちの力を借りたいと言ってきた時よりも、ずっと分かりやすくていいと思う。たとえ少数でも、俺たちはアスティと違って外敵に仲間が傷つけられることを許さない。その恐ろしさを先の内戦で知っている奴が、俺たちを取り込んでおこうと考えたんじゃないか」
「じゃあ、プティ市警団のリーダーは、俺たちの親世代の奴だってこと?」
 その場にいた一番若いスーバルン人が尋ねると、そうかもしれないなとグウィナンが答えた。しばらく市警団とガスクの話を続けて、仲間たちは部屋を出ていった。
 部屋に残されたグウィナンとナッツ=マーラは、ドアが閉まるとホッとしたように互いを見やった。その疲れた表情を見て、黙ったままナッツ=マーラはグウィナンをもう一度抱きしめた。心配かけんじゃねえよ。かすれたナッツ=マーラの声が耳元に響いて、グウィナンはその癖のある髪を見て目を伏せた。
「…黙って行って悪かった」
「ガスクだって心配したんだ。ナヴィも。あいつらお前を探しに行ったみたいで。多分、ガスクもプティへ行く前にもう一度お前と話したかったんだろう」
「そうか」
「俺もガスクもさ、向いてねえんだよ。お前みたいに落ち着いてモノ考えらんねんだよ。頼むから、俺たちを置いていかないでくれ。最後まで三人一緒だって言ったろ、グウィナン」
 その目には涙が滲んでいた。ナッツ=マーラの涙を見たのは久しぶりだった。悪かったよ。そう言ってポンポンとナッツ=マーラの背を叩くと、グウィナンはとにかく座らせてくれと言って笑った。
「クタクタだ。市街地の宿であいつらの話を聞いてたら外で騒ぎがあって、何かと思って窓から見たらガスクとナヴィがいて、頭に血が上って本当に死ぬかと思った。今回ばかりは、市警団の奴らに感謝しなきゃな。あのままガスクを背負って逃げてたら、軍兵に捕まって一巻の終わりだ」
「お前がアスティに感謝するなんてな。どういう心境の変化だよ」
 からかうようにナッツ=マーラが言うと、グウィナンはベッドに座ってブーツを脱ぎながら苦笑した。変化など…もう遅すぎる。
「ガスクが少しでも動けるようになったら、あのままダッタンの北から市外へ出てプティへ向かった方がいいかもしれない。そのための準備は俺たちがやろう。あのうるさいチビのアスティには、ガスクが回復するまでダッタンにいるように言ってやってくれ。今、ナヴィを連れていかれるのは困る」
「あーあー、あのチビな。あいつホントうるさいのな。さっきもナヴィを迎えにいくって聞かなくて、しょうがないんで一緒に行こうとしてたとこだよ」
「ナヴィみたいな直情型の無鉄砲に仕えてるんじゃ、過保護にもなるだろう。それでなくても王宮は見えない敵の多いところだ」
 グウィナンが呟くと、ナッツ=マーラは窓際に立ったまま目を見開いてグウィナンを見た。ナヴィから聞いたのか。ナッツ=マーラが尋ねると、グウィナンは顔を上げた。
「ナヴィを襲った美形の男が、あいつをエウリルと呼んでいた。貴族でエウリルといえば、この国ではあれしかいないだろうよ」
「グウィナン、それを知ってて」
「今はナヴィがいなければ困るんだ」
 そう言って、グウィナンは汚れた服のままベッドにゴロリと寝転んだ。そのぐったりとした様子を見ると、ナッツ=マーラは静かに部屋を出ていった。
 これまでのグウィナンなら、ガスクと対立してでも信念を貫き通したはずだ。
 そうしなかったのは…ナヴィと過ごした時間のおかげなのか。
 ガスクと同じように。
「リーチャ…」
 部屋のドアを閉めてそこに持たれると、ナッツ=マーラは両手で顔を覆った。リーチャを助けてやりたかった。けれど、グウィナンがリーチャを切ったことも理解できたから、何も言えなかった。
 俺は、もっと早くグウィナンに言うべきだったんだ。
 お前だって変われるんだと。
 俺たちが同志の死を背負って戦わなければいけないことに変わりはない。けれど、死ぬよりも生きることを常に選ぼうとするナヴィは、いつの間にか俺たちの心に変化をもたらしていた。生きろと。どんな時でも、どんな状況でも生き抜かなければいけないんだと。
 涙を飲み込んで顔を擦ると、ナッツ=マーラは自分の部屋へ向かって歩き出した。グウィナンもそう思ってくれているといい。考えながらドアノブを回すと、ナッツ=マーラは静かに部屋に入ってドアを閉めた。

(c)渡辺キリ