「やめろって! ナヴィ!!」
「そんなこと言ったって、二人しかいないんだから僕がやるしかないだろ! ジッとしててよ!」
「放っといてくれって!」
「いいからジッとしてて!」
静かな部屋に二人の大声が響いた。真っ赤になったガスクが動けないままナヴィを見上げると、銅製の洗面器を枕元に置いてナヴィは湯に布を浸した。
「放っといたら傷口が膿んじゃうよ。消毒用の薬があればよかったんだけど…」
言いながら布を固く絞って、ナヴィはガスクが着ていた麻の服の紐を解いた。焦って目をそらすと、ガスクは黙り込んだ。
「ダッタンに来る前は、ガスクが僕の世話をしてくれてただろ。そのお返しだよ」
「返さなくてもいいよ、もう」
「あのねえ」
呆れたようにガスクの服を脱がせると、ナヴィは思わず息を飲んだ。肩や背中の新しい包帯の隙間から、無数の刀傷が覗いていた。ガスク、これ。ナヴィが尋ねると、ガスクは答えた。
「いつの間にかこうなっちまった」
「…ひどいよ」
そう呟いて、ナヴィはガスクの背中に触れた。そこには古い傷跡の上にいくつも新しい傷が重なっていて、ナヴィは包帯を慣れない手つきで時間をかけて外した。
「同じように戦ってても、グウィナンはそうでもないから。頭から突っ込んでいくなってよく怒鳴られる」
「…」
黙り込んだままガスクの背を丁寧に布で拭うと、ナヴィはふいに身を屈めて肩の古い傷跡に頬を寄せた。驚いて身を固くしたガスクを見ると、腕の盛り上がった傷に指で触れてナヴィは目を伏せた。
「本当は僕が受けていたはずの傷も、この中にあるんだよね」
「…こないだのこと言ってるなら」
首を横に振って、ナヴィは唇を噛みしめた。その時、ふいに腕をつかまれて、そのまま体を引き寄せられた。不安定な体勢でガスクがナヴィを抱きしめると、ナヴィは慌てて腕をベッドについた。
肌が触れると、そこは温かかった。
一瞬で胸がはち切れそうになって、ナヴィは黙ったままジッとガスクに抱きしめられていた。頭の中が真っ白になった。背に回したガスクの手がナヴィの肩に触れると、ナヴィはガスクの息づかいを感じながら恐る恐る口を開いた。
「…僕」
浮かされたような、熱を感じて。
戸惑うようにガスクを見ると、ナヴィは目を細めた。そっと閉じようとして、ふいにコンコンと響いたノックの音に驚いて目を開いた。互いの顔が見る見るうちに真っ赤になって、ナヴィが身を起こしてどうぞと返事をすると、ドアが開いた。
「失礼します。お客さまがいらしておりますが、どうなさいますか」
その言葉にナヴィが緊張すると、ドアの向こうに立っていた支配人も困ったように、一度はお断りしたんですが、知人なので問題ないと仰られていますと続けた。
「アストラウル人だそうですが、髪は黒っぽく、顔に眼帯をされています。若い方です」
「アサガだ…何でここが」
呆然とナヴィが答えると、支配人はホッとしたように本当にお知り合いの方なんですねと言って下がっていった。ナヴィがガスクと顔を見合わせると同時にまたバンと音を立ててドアが開き、驚いてナヴィがビクッと震えると、アサガが大きな荷物を持ってはあはあと肩で息をしていた。
「全く! 何を考えていらっしゃるんですかって、何度言わせるんです!?」
「アサガ」
「あなたはすぐにあの寺院に戻って…いや、プティへ向かって下さいよ! こんな所でスーバルンゲリラと二人でいて、もし争いに巻き込まれたらどうするんですか!」
「アサガ、アサガ! ちょっと待て!」
すごい剣幕で言い立てるアサガを止めて、ナヴィは大きくため息をついた。よりによってアサガにこの場所を教えるなんて。手に持っていた大荷物を床に置いたアサガを見て、ナヴィは口を開いた。
「ガスクは僕を庇って怪我をしたんだ。それを放ってプティへ行くなんて」
「そんなことはゲリラの仲間たちに任せればいいんですよ。大体、洗面器なんか置いて何やってたんですか。この野蛮男の体でも拭いてたんですか。あなたがそんなことをなさらなくても、ほっときゃいいんです」
「そんなこと言ったって、綺麗にしとかなきゃ傷口が」
「迂闊に近づかないで下さい! 噛みつかれたらどうするんですか!」
「アサガ!」
「じゃあ、代わりに僕がやります」
思わずゲッと言ったガスクをにらむと、アサガはナヴィから手を離して、だからあなたは少し休んで下さいと心配げに続けた。ごめん、アサガ。しょぼんとしたナヴィが答えると、アサガは荷物を解きながら話を続けた。
「グウィナンという僧侶が、あなた一人じゃ心もとないからと居場所を教えてくれたんです。着替えとお金、それから武器と食料も調達してきました。ガスクが立てるようになったらすぐにここを出て、ダッタン市の北東検問の近くで仲間と落ち合い、そのままプティへ向かうようにと」
ちゃんと伝えましたからね。アサガが振り向いて言うと、あいつらこっちに押しつけやがってと苦笑して、ガスクはありがとうと答えた。その顔を見て満足そうにフンと鼻を鳴らすと、アサガは荷物の中の汚れた絹の袋を取り出しナヴィに差し出した。
「お金です。あまり減っていないので驚きました。もっとお使いになっているかと思っていたけど」
「これは…」
「お別れした時に、あなたに渡したものです。スーバルンゲリラの奴らもバカばっかりですね。部屋にあったから持っていけって言われました。黙って取れば分からないのに」
アサガの言葉に、ナヴィは苦笑した。寺院でそれはないだろ。ニヤニヤ笑いながらガスクが言うと、アサガは憮然とした表情で答えた。
「金を奪って、神が何の罰をお与えになると言うんです?」
「神は目に見えるような罰は与えない。その代わり、心に罰を受けるんだ。親父がそう言ってた」
「そうでしょうか」
そう呟きながら着替えを取り出すと、アサガはそれを部屋についていたクロゼットに入れた。アサガ、ありがとう。ナヴィが声をかけると、アサガは黙ったまま小さく頷いた。
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