フリレーテと顔を合わせるかもしれないと思うと外にも出られず、ナヴィは一日のほとんどをガスクと共に宿の部屋で過ごしていた。必要なものの調達やトアルたちとのやり取り、それにダッタン市の偵察はアサガが積極的に外へ出てこなしていた。アサガはガスクと二人きりになるのを避けているようにも見えた。
ガスクが眠っている間は暇そうにしているナヴィを見兼ねて、宿の支配人が何冊か本を持ってきた。書物を手にするのはリーチャの娼館にいた時以来で、ナヴィは窓辺に座って本を読み、顔を上げては娼館を思い出していた。
みんなはどうしているだろう。
アニタはちゃんとよくなったんだろうか。ナザナやみんなは?
僕のせいでリーチャが死んだと怒っているかもしれない。
考えると切なくて、ナヴィは文字を目で追うことに没頭した。
集中が切れて我に返ると、時々、ガスクが目を覚ましてナヴィを見ていた。数日経つとガスクはベッドの上でなら動けるようになっていた。
「何?」
ナヴィが尋ねると、ガスクは何も言わずにナヴィをジッと見つめた。その視線を感じると頬が熱くなって、ナヴィは口をつぐんだ。
あれはどういう意味?
本当はそう聞きたかった。これまでに何度か抱きしめられた時とは違う、何かを感じていた。ガスクを思うと体の芯が疼いて、それから逃れるようにナヴィは本に視線を落とした。
「あの男…」
ナヴィが再び顔を上げると、ガスクは天井を見上げていた。
誰のこと? ナヴィが尋ねると、ガスクはしばらく考えてから答えた。
「お前を切ろうとしたあの男。一瞬しか見えなかったけど…」
「…」
「あの男のこと、お前は知ってるのか?」
ガスクが尋ねると、ナヴィはベッドの脇に膝をついてガスクを見た。
ガスクに本当のことを。
僕は本当は王子で、フリレーテに母と妻を殺されたことを。
…言えない。言うのが恐い。僕が王子だと知れば、ガスクは僕を憎むかもしれない。でも、このままずっと黙ったままでいていいのか。キュッと唇をかんで黙り込み、ナヴィが身を屈めてガスクの手にこめかみを押しつけると、ガスクは小さくため息をついてナヴィの頭をポンポンとなでた。
「思い出せないか。お前を狙ってきたのは間違いなさそうだけどな」
ガスクの手は温かくて、その感触をしっかりと記憶に留めるようにナヴィは目を閉じた。
「俺とお前が間違えられる訳もないし」
「…うん」
「せめて、お前が狙われている理由が分かるといいんだけど。アサガに聞いてみたらどうだ。何か知ってるかもしれないだろ」
ナヴィが顔を上げると、ガスクはナヴィから視線をそらしてまた天井を見ていた。カアッと顔が熱くなって、ナヴィは思わず身を乗り出すようにベッドに肘をついた。
僕は、本当は。
「もう少し思い出せたらな」
ナヴィの腕にパタリと力なく手を置くと、ガスクは真っすぐにナヴィを見つめた。恐くて、恐くて苦しくて声が出なかった。その大きな手を自分の手でギュッと握りしめると、ナヴィはまたそこに頭を乗せて静かに目を閉じた。
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