アサガが宿の主人に聞いて手配した医者はガスクを見て驚き、それからナヴィとアサガに懇願されて渋々ガスクを診察した。傷が少し膿んでいることと疲れが重なっていることを告げて薬を渡すと、医者は不審げな表情をしながら部屋を出ていった。
「大したことなくてよかった。とにかく今日はゆっくり休みましょう」
食事を済ませてガスクの様子を見にきたヤソンが、安らかに眠っているガスクを見てホッと息をついた。あなたたちも少し疲れているようだ。そう言ってアサガやナヴィの顔色を見ると、ヤソンはしばらく話してから自分の部屋に戻っていった。
「あの男、かなりやり手みたいですね。もしガスクが回復したらいつでも出られるように旅の手配をしていましたけど、手際がよかった」
「プティ市警団のリーダーの腹心の部下なんだろ。ガスクがそう言ってた」
眠っているガスクを起こさないよう、食事を乗せたトレイを窓際のテーブルに移動させてナヴィが言うと、アサガはなるほどねと頷いてナヴィが座りやすいよう椅子を引いた。
「アサガ、もうそういうことはしなくてもいいんだよ。僕はお前の主人じゃないんだから」
昼間、ガスクが話していたことを思い出してナヴィが困ったようにアサガを見上げると、アサガはいいえと答えながら目を伏せた。
「僕にとって、やっぱりあなたはエウリルさまのままなんです。あなたはナヴィと呼ばれることに慣れたでしょうが」
「でも」
「安心して下さい。あいつの前では絶対にエウリルさまとは呼びませんから」
少しふてくされたようにアサガが答えると、ナヴィはごめんと呟いた。謝るのも礼を言うのもなしですよ。そう言って、アサガはそろそろと手を伸ばしてナヴィの肩に触れた。
「あなたを助けると決めた時、僕は一度、命を捨てたんです。あなたのためじゃない。僕の魂のために、捨てたんです。もしあなたを助けられなかったら、自分を許せないまま一生を終えていただろうと思います。だから、あなたはもう謝ったり礼を言ったりしなくてもいいんです」
腕を回してナヴィの頭を抱きしめると、胸から沸き上がる情熱を押さえ込むように少し息を整えて、それからアサガはナヴィの髪に頬を押しつけた。
僕は…あなたを。
でもエウリルさま、あなたは。
「アサガ…僕はお前に感謝してるんだ」
顔を上げると、ナヴィは笑顔を見せた。アサガが名残惜しげに手を離すと、ナヴィはだってと言葉を続けた。
「お前が助けてくれたおかげで、僕はたくさんのことを知ったんだ。これからも知りたい。アサガ、だからお礼は言わせて」
ナヴィの言葉に、アサガは苦笑してそれなら礼だけはと答えた。それではまた明日の朝と言ってアサガが出ていくと、部屋は急に静かになった。
馬車に乗っていたために体は汚れていなかったけれど、気温が高く汗をかいていて、洗面器に水を入れて丹念に体を拭いた。顔を拭って鏡を見ると、そこには蝋燭の光に照らされた自分の顔が映っていた。
僕は、誰だ。
鏡から視線をそらして服を着ると、燭台を持ってナヴィはベッドに戻った。隣のベッドで眠っていたガスクが、蝋燭の明かりに気づいてゆっくりと目を開いた。燭台をサイドテーブルに置くと、ナヴィはガスクの顔を覗き込んだ。
「苦しくない?」
その言葉には答えず目を細めてナヴィを見上げると、ガスクは手を伸ばしてナヴィの顔をなでた。大きな肉厚の手が頬に触れると、ナヴィはカアッと赤くなって思わず目をそらした。ガスクの目は蝋燭の火に照らされて黒く、濡れたように光っていた。闇の中で、ガスクの浅黒い肌も精悍な顔立ちも引き締まった体も美しかった。寝ぼけてるのかな。考えながらナヴィがチラリとガスクを見ると、ガスクは自分の腕を枕にして横向きにゆっくりと寝返りを打った。
「!」
ふいに手をつかまれナヴィがビクッと震えると、ガスクはすうっと目を閉じてそのまま眠り込んだ。その手は熱のためか火照っていた。ドキドキする胸を押さえて手を握ったまま隣のベッドに座ると、ナヴィはしばらくガスクの寝顔を蝋燭の明かりの下で眺めた。
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