「まさか馬も不得手だとは思わなかったわ」 
          「すみません。大きい動物は余り…」 
           アストリィからプティへの最短路を歩いていた二人は、ダッタンからの三叉路にようやく辿り着いていた。このまま大通りを進むの? ユリアネに尋ねられてイルオマが地図を取り出し見ていると、道端の切り株に腰を下ろしたユリアネは水を取り出しながら言った。 
          「まあ、いいけど。騎馬じゃ私、戦えないもの。でも、追っ手が馬に乗っていたらあっという間に追いつかれるわね」 
          「あの後、もしすぐに私たちを追っていたとしたら、この辺りで捕まっていたはずです。でも、その気配はなかった。彼らは恐らくアストリィ周辺の警護を任されている小軍でしょう。プティまで自由に行動できる兵士を使って追っ手をかけているとしたら、次にぶつかるのはこの辺りです」 
           折り畳み式の定規で地図上の距離を測りながら扇状に地図をなぞってイルオマが答えると、ユリアネは地図を覗いて感心したようにへええと呟いた。 
          「あなたって実戦は駄目だけど、こういうことは向いてるみたいね」 
          「まあまあ自信があります」 
          「で、まあまあ自信のある人の意見としては、ここからどのルートを通ればいいと思う?」 
           ユリアネが尋ねると、イルオマは顔を上げて反対にユリアネに尋ねた。 
          「あなたならどうします?」 
          「ええ? そうね…」 
           言いかけて地図を見ながらしばらく考えると、ユリアネは地図をなぞりながら答えた。 
          「普通の旅人ならこの大通りを通るわね。でも、あいつらが馬で追ってくるのなら、こちらの側道を通って山越えした方がいいんじゃない? 山越えなら馬は通れないし、人目にもつきにくいわ」 
          「そうですね、私もそう思います」 
          「じゃ、こっちね」 
          「いえ、大通りを行きましょう」 
           そう言って立ち上がると、イルオマは地図をクルクルと丸めて鞄に差した。なぜよ。ユリアネが眉を潜めると、イルオマは鞄から焼きしめた小さな堅パンを取り出して一つをユリアネに差し出した。 
          「私たちが考えつくことは、向こうも思いつくということですよ。追っ手は恐らくこの三叉路で兵を二つに分け、多い方を発見の可能性の高い側道へ配置します。私ならそうする。そうしない司令官はボンクラです」 
          「司令官がボンクラだったらどうするのよ」 
           怒ったようにユリアネがイルオマの手から堅パンを取り上げると、イルオマは笑いながら歩き出した。 
          「その時は、あなたがやっつけて下さい。ボンクラな司令官を相手に戦うのだから、楽なもんでしょ」 
          「言ってくれるわね」 
           呆れたように答えて、ユリアネはマントのフードをかぶってイルオマを追いかけた。夏の日差しの中でも、アストリィとプティを繋ぐ大通りは貴族の馬車や徒歩で旅をする平民が多かった。その中に紛れると、イルオマは堅パンを少しずつかじりながら歩くユリアネを見て尋ねた。 
          「あなたもひょっとして、追われてるんじゃないですか」 
          「え、どうしてよ」 
           ユリアネが驚いて尋ねると、イルオマは鞄からバナナを取り出して皮をむきながら答えた。 
          「夕べ、宿帳で偽名を書いたでしょう」 
          「ユリアネという名の方が、偽名かもよ」 
           バナナちょうだい。ユリアネが手を伸ばすと、イルオマはバナナを半分に折って渡した。しばらくバナナを食べながら黙って歩くと、ふいにユリアネが答えた。 
          「あなたほどじゃないけど、軍兵に見つかりたくはないわ」 
          「そうですか。私の用心棒を頼んだ時、あっさりと引き受けてくれたから不思議に思っていたんですよ」 
          「いいじゃない。あなただって、あんまり詳しい事情は聞かれたくないんでしょ」 
          「まあ…私の場合は、自分の都合というよりも人に迷惑がかかると言った方が」 
           言いかけて、イルオマは顔を上げた。自然に通り過ぎましょう。イルオマが小声で言うと、ユリアネは大きな宿の前に立つ軍兵に気づいて深くフードをかぶり直した。 
          「何かしら」 
           囁くような声でユリアネが尋ねると、イルオマはバナナの皮を鞄の中に放り込んで答えた。 
          「宿の主人から事情を聞いているようです。盗賊でも出たのかもしれません」 
           小声で話しながら二人で宿の前を通り過ぎると、宿の主人と話していた軍兵がチラリとイルオマを見た。 
          「おい」 
           ふいに話しかけられて、ユリアネが緊張したように顔を強張らせた。ユリアネを落ち着かせるようにその背に手を置いてイルオマが振り向くと、軍兵は近づいてきてイルオマに尋ねた。 
          「お前たち、ダッタンから来たのか。それともアストリィから」 
          「アストリィの方角ですが、その向こうにある国境の田舎村からやって参りました」 
          「夫婦か」 
          「はい」 
           変わった顔立ちのユリアネを眺め、国境と聞いて納得したのか兵士は行けと言って先を促した。ユリアネが先に歩き出すと、イルオマは兵士を見上げて尋ねた。 
          「何かあったんですか」 
          「ちょっと…行きましょうよ」 
           ユリアネが足を止めて咎めた。それにも構わずイルオマが宿の主人にも何か起こったんですかと尋ねると、主人は兵士に遠慮しながらおずおずと答えた。 
          「二日前、ここで兵士さんが民間人に殺されましてね。ご遺体を引き渡しておった所で」 
          「民間人に!? 喧嘩か何かですか」 
           イルオマが驚いて尋ね返すと、兵士はため息をついて答えた。 
          「いや、数人の兵士が騎馬の民間人四名に襲われた。この辺りも物騒になったものだ」 
          「…」 
           何か言いたげな主人を見て、イルオマは恐いですねと呟き頭を下げてから歩き出した。ユリアネの隣に並んでゆっくりと自然に見えるよう歩くと、兵士が見えない所まで来てからイルオマは口を開いた。 
          「その民間人か兵士かは分かりませんが、どうやら宿が襲われたみたいですね。恐らく兵士の方が略奪行為をして、民間人がそれを止める形で戦闘になったんじゃないですか」 
          「どうして分かるの」 
           驚いてユリアネがイルオマを見ると、イルオマは淡々と答えた。 
          「窓から見えたんですが、使用人が宿の中を片づけてました。外に綺麗な椅子や家具が乱雑に置いてありましたし。あれは中で使っていたものを、略奪者が外へ運んだんでしょう。宿の者が家具を運び出すなら、もっと丁寧に扱うはずです」 
          「どうして分かるのよ。その民間人が盗賊かもしれないじゃない」 
           ユリアネが尋ねると、イルオマは笑いながら答えた。 
          「宿の主人が、何か言いたそうな顔してましたからね。まあまあお喋りな方のようでしたから、盗賊だったら盗賊だったって言うでしょ。本当のことを言わなかったのは、そばに兵士がいるからです。兵士が略奪行為をしたと兵士の前では言えなかったんですよ」 
          「あなたって、見てきたみたいに言うわね」 
           おかしそうに言うと、ユリアネは歩きながら大きく息をついた。 
          「それにしても、さっき兵士に声をかけられた時は息が止まるかと思ったわ。なのにイルオマったら、余計なこと聞くんだもん」 
          「すみません。何かあったと思ったら聞かずにはいられないんですよね。でも、私たちには関係のないことでよかった」 
          「本当よ。もう余計なことに首を突っ込まないでよ」 
           軽く握った手でイルオマの腕を小突くと、ユリアネは何だかお腹が空いたわねと言った。さっき私のバナナ半分食べたじゃないですか。イルオマがムッとして答えると、ユリアネはケロッとした顔でそうだっけと言って笑った。 
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