もしあれが、僕を追ってきたものだったら。
ルイゼン、ひょっとしたら君が指令を下しているのかもしれない。
昼間の軍兵たちを警戒して宿を取らずに、民家の納屋を借りて休んでいた。夜が更けて明かりもなく、納屋の狭い床に毛布を敷いて寝転んでいたナヴィは、なかなか寝つけずに何度も寝返りを繰り返していた。
もしルイゼンが僕を捕らえようとしたら、僕はルイゼンに剣を向けるのか。
考えるほどに辛くて、胸が苦しくてやりきれなかった。他の三人を起こさないようにそっと身を起こすと、ナヴィは納屋の扉を開けて静かに表へ出た。
夜は苦手だ。
暗くて静かで、何が潜んでいるのか分からない闇が恐い。
風が吹いて、外は少し涼しかった。納屋の外に無造作に置いてあった小さな椅子に腰掛けると、ナヴィは膝を抱えて周りの様子を眺めた。何か得体の知れないものに巻き込まれていく運命が恐かった。もし、あのまま王宮にいたら。何度考えても出ない答え。
「ナヴィ」
ふいに声がして、ドキッとしてナヴィは顔を上げた。大きな影は小山のようで、ナヴィが名を呼ぶと、ガスクは戸口の脇に置いていた水瓶の水を見て、それを柄杓ですくった。
「飲むか」
「ううん、いい」
ナヴィが首を横に振ると、ガスクは柄杓に口をつけて味をみてから水を飲み干した。暑いな。ガスクが言葉少なに言うと、ナヴィは頷いて自分の膝に顎を乗せて目を閉じた。
「眠れないんだ」
「ああ暑くっちゃな。そう言えば、アサガはハイヴェル卿の兵士に見覚えがあるって言ってたが、お前はないのか。あいつはアストリィに住んでたのかな」
ガスクが尋ねると、ナヴィは目を開いて明かりのついた民家の窓を眺めた。
「覚えてないか。まあ、無理に思い出さなくても、プティにいるとかいうお前の身内に会えばきっと何か分かるだろ」
ナヴィの隣に、地べたに腰を下ろしてガスクが穏やかに言った。その言葉に、急に怒りのような感情が込み上げて、ナヴィは椅子から足を下ろした。
「もうやめてよ。もう…やめてよ!」
ナヴィに頭を抱きしめられて、その声が耳元で振り絞るように響いた。驚いてガスクがナヴィを引きはがそうとすると、ナヴィはその手をつかんでガスクを見つめた。ナヴィの表情は苦しげに歪んで、今にも泣き出しそうだった。何か行き場のない感情を持て余しているようにも見えた。
「…何だよ。どうしたんだ」
手を無理に振りほどいてその小柄な体を抱きしめると、ボソリと呟いてガスクは深く息を吐き出した。俺の知らない何かを、抱え込むなよ。俺に言えない苦しみの正体を、お前はもう思い出しているのか。
ナヴィの体は温かく、小さく息づいていた。胸に当てた耳からナヴィの鼓動が伝わって、ガスクは何度か呼吸を繰り返した後、目を閉じた。
「…ごめん、何でもないんだ」
ナヴィの声が、闇に広がっていく。
体が熱い。
「ガスク」
ふいに身を起こしたナヴィに、ガスクが顔を上げた。ナヴィを抱きしめている今の状況に我に返って慌てて手を離したガスクに、ナヴィは何かを言いかけ、それから眉を潜めた。
「頭クサイ。さっき水をもらった時にちゃんと洗わなかったんだろ」
「しょうがないだろ! アサガが訳の分からないことでうるさくて、ろくに水浴びもできなかったんだから」
真っ赤になってガスクが言い返すと、ナヴィは笑った。その久しぶりに見る笑顔にドキッとして、ガスクは慌てて立ち上がった。
「ガスク、もう寝るの?」
「ああ、お前も早く寝ないと明日が辛いぞ」
「うん、少しだけ涼んでから。おやすみ」
柔らかな声が返ってきて、ガスクはナヴィの頭を大きな肉厚の手でくしゃりとなでてから納屋に戻っていった。扉を閉めても耳にナヴィの声が残っていて、自分が寝ていた床に潜り込むと、ガスクは自分の頭に手を置いて大きなため息をついた。
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