王子。
バカだな、俺は。何も知らずに敵である王宮の王子を守っていた。
夜の闇は慣れていた。自分の居場所のような気すらしていた。剣を抱えて宿が見える道端で石の上に座っていたガスクは、周囲の気配を感じながら目を凝らした。
何度も何か言おうとしていたナヴィの話を、一度もまともに聞こうとしなかった。
パンネルは知っていたんだな。あいつがエウリル王子だということを知っていて、それでもナヴィという名を与えたんだ。
考えて、立てた膝にもたれるようにして組んだ両腕に顎を沈めると、ガスクは息をついた。少しずつ頭が整理されてきた。
ナヴィがグステ村に現れた頃、エウリルが病床についたと発表があった。あれは本当に病気になった訳じゃなく、王宮を出てグステ村にいたからだったんだ。でも、なぜ。
考えていると頭が痛くなって、ガスクはグシャグシャと髪をかき回してから立ち上がった。俺が想像したって、はっきり分かる訳じゃない。それならこれ以上考えてもしょうがない。
「ガスク」
ふいに声がしてガスクが視線を向けると、男が油紙に包まれたパンを持って近づいてきた。闇の中でも、背の高さと声でヤソンだと分かった。夕飯まだでしょう。そう言ってヤソンが魚の酢漬けと野菜を挟んだパンを差し出すと、ガスクはそれを受け取ってまた石の上に座った。
「驚いてないな。お前、知ってたのか?」
「ナヴィのことですか。知りませんでしたけど、なるほどと思っただけです」
もう片方の手に持っていたミルクのカップをガスクに渡すと、ヤソンは木のそばに座ってガスクを見上げた。何で納得してんだ。ガスクが尋ねると、ヤソンは宿の明かりを眺めながら答えた。
「ナヴィが貴族らしいのはアサガの態度を見ていれば分かりますし、エウリル王子が王宮にいないことは知っていましたので。スーバルンゲリラと一緒にいることまでは、聞いてませんでしたけど」
「どこかから情報を仕入れてたってことか」
「そのことを私に教えてくれたのは、第二王子ローレンです」
ヤソンの低い声に、パンにかぶりついていたガスクが動きを止めた。
「…え?」
パンを落としそうになって慌てて持ち直すと、ガスクは思わず立ち上がった。どういうことだ。そう言ったガスクの険しい声に、ヤソンは冷静に答えた。
「私があなたの元へ共闘の打診へ行く前に、ローレンから連絡があったんです。正確には、私たちのスポンサーであるスラナング男爵の所にですけど。私だけローレンの話を少し聞いてからプティを発ったので、それで遅れたんですよ」
「どういうことだ。それじゃ第二王子は今、王宮にいないということか」
「そうです。まだ公表されていませんが、ローレンは王位継承権を捨てて我々の側についたんです。あーあ、プティであなたたちを驚かせようと黙ってたのに」
呑気にそう言って笑うと、ヤソンは呆気にとられたガスクを見た。
「それじゃ、あいつは」
「詳しくは聞いてないので分かりませんが、ローレンと同じように王宮とは無関係となっている可能性もある、いや、その可能性が高いということです。アサガはプティでナヴィの身内が待っていると言いましたよね。それがローレンなんだろうと私は思いましたけど」
だから、なるほどと言ったんですよ。そう言って、ヤソンは腰に差した剣を抜いた。今度は私にも分かりましたよ。ヤソンが声を潜めると、ガスクは手に持っていたパンをくわえてカップを石の上に置いた。
「アサガから聞いたんですが、逃げてもいいって言われたんですって? 確かに、エウリル王子を追ってきた王立軍兵から王子を守る義務は、あなたにはありませんけど」
「お前は」
パンを飲むように急いで食べてガスクが尋ねると、ヤソンはニヤリと笑って答えた。
「弟王子に恩を売っておけば、ローレンと話しやすくなるでしょ」
「打算的だな」
「それが私の長所なんです」
そう言って、ヤソンは先に駆け出した。暗闇で何人いるかは分からない。この男がどれだけ使えるのかも分からない。なのに、俺は行くのか。剣を抜いて片手に持つと、ガスクはヤソンを追った。
「間違えても私を切らないで下さいよ!」
「切られたくなければ、俺から離れるな! 命の保証はないぞ!」
闇の中で揺れるランタンは、ナヴィが休んでいる宿を目指していた。細い道筋に見えるランタンの横から突っ込むと、ガスクは王立軍兵か!と怒鳴り、明かりに照らされた軍服を確認してから剣を振り下ろした。
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