アストラウル戦記

 宿から少し離れた食堂に入ると、プティまで貴族の護衛をしてきたスーバルン人や屈強なアストラウル人でごった返していた。ガスクに気づいたスーバルン人の男たちが驚いたように近づいてきて、どうしたんだと尋ねた。
「こんな所でガスクと会うなんて、一瞬夢かと思ったよ」
「俺たちと飲まないか。ダッタンの話を聞かせてくれよ」
「いや、今日は…」
 断りかけたガスクの背を押して、ヤソンがどうぞ遠慮なくと言った。それじゃ、少しだけ。そう答えてガスクが席を立つと、アサガは周りを見てスーバルン人が多いですねとヤソンに言った。
「この食堂は主人がオルスナ人で、スーバルン人の入店を嫌がらないから、自然と集まってくるんだ。安くてメシが旨いからアストラウル人もいるけど、貴族はあまり来ない。アストラウル中探しても、こんな店はここだけだろうな」
「スーバルン人がプティとダッタン市の間で護衛の仕事をしてるなんて、初めて知りましたよ」
「ガスクの仲間の中にも、元は雇われ護衛をしながら国中を旅してたっていう人がいたよ。給金が安く済むし、スーバルン人がいると盗賊に襲われにくいんだって」
 ナヴィがワインのコルクを抜きながら言うと、アサガはそうなんですかと答えてぼんやりと店内を見回した。ああ、メシが来たぞ。店主が持ってきた大皿を見て満面の笑みを浮かべ、ヤソンはカゴに山盛りになっていたパンを取り上げた。
「ヤソンがこんな大衆的な店を知っているとは思わなかったな」
 大皿に乗った魚からは湯気が立っていた。アサガがパンをナヴィの皿に置いて言うと、ヤソンはナイフとフォークで魚を器用に切り分けながら、なぜ?と尋ねた。
「だって…」
「初めてスーバルンの寺院に来た時、ヤソンは随分えらそうだったよ」
「えらそうってね」
 アサガの代わりにナヴィがパンを頬張りながら言うと、アサガはその言い方がおかしかったのか苦笑して魚をナヴィの皿に取り分けた。確かに、君たちとこんなに馴染めるとは思わなかったな。そう言って、ヤソンはワイングラスを取り上げた。
「ヤソンはどうしてスーバルン人の所に来たの?」
 ナヴィの声に、店のどこかでドッと笑う声が重なった。チェロとバイオリンが鳴り始めると、テーブルの間を縫うように男と女が手を取って踊り出した。まるで奇妙な問いでもされたかのように、ヤソンは不思議そうにナヴィを見て、それからああと呟いた。
「私の知人が!」
 アコーディオンを弾きながら、中年の男がステップを踏んでテーブルの間を踊り回り、その音に負けないようにヤソンが顔を寄せたナヴィとアサガに大声で答えた。
「スーバルンの文化を研究していて、少しだけど話を聞いたことがあって、俺もスーバルン人には興味を持っていたんだ! それに、俺たちを支えてくれている人が、スーバルン人も含めた国民の総意が反映されるような国づくりをと!」
「ガスクは、先の内戦でスーバルン人と戦った人がヤソンたちの中にいるって言ってたけど!」
 ナヴィが大声で怒鳴るように言うと、アコーディオン弾きは踊りながらナヴィたちのテーブルから遠ざかっていった。三人で視線を合わせると、ヤソンはニヤリと笑った。
「なかなか鋭いね」
「おい、ナヴィってあんたか?」
 ふいにヤソンの言葉に重なるように、さっきガスクと一緒に別のテーブルへ行ったスーバルン人が二人、興味深げに後ろからアサガの顔を覗き込んだ。ナヴィは僕だよ。驚いてナヴィが振り向くと、スーバルン人の一人が物珍しそうに口を開いた。
「へええ、あんたの噂はダッタンから来た仲間から聞いたよ。ガスクがアスティのチビを拾ったって、みんな驚いてたぜ」
「お前たちも一緒に向こうで飲まないか。勘定を押しつけるようなことはしねえからさ!」
 笑いながら言ったスーバルン人の青年の笑顔は、どこかカイドに似ているような気がした。腕をつかまれたナヴィが戸惑いながらも立ち上がると、アサガは僕はいいですと言った。
「そうか? 気が向いたらいつでも来いよ」
「アサガ、一緒に帰ろう。先に食事が終わっても待ってて」
 スーバルン人に挟まれるようにしてガスクがいるテーブルに向かいながら、ナヴィは振り向いてアサガに声をかけた。笑みを浮かべながら手を振ると、アサガはそのままの表情で口を開いた。
「行ってきたらどうです。スーバルン人に興味あるんでしょ」
「今夜はいいよ。アサガに付き合うよ」
 そう言って、ヤソンはアサガのグラスにワインを注いだ。どうして? ワインの色を見つめてからアサガがヤソンへ視線を向けると、ヤソンは目を細めて笑いながら答えた。
「俺まであっちへ行ってしまったら、君は一人で食事するんだろ。そんなのおいしくないじゃないか」
「子供じゃあるまいし、食事ぐらい一人でできますよ…」
 そう言ってナヴィに取り分けた魚の皿を取り上げると、アサガはそこにフォークを突き立てた。たくさん食べるといい。そう言ってナイフとフォークで器用に野菜を切り分け、ヤソンは口に運んでおいしそうに目を細めた。

(c)渡辺キリ