宿の使用人に湯をもらって体と頭を拭き、アサガが部屋に戻るとヤソンは宿で借りたハサミで器用に髭を切っていた。真夜中を過ぎてもまだ戻らない二人に少し気をもんでいると、そんなアサガを見てヤソンは笑みを浮かべた。
「アサガ、髪を切ってあげようか。随分、ボサボサになってるからさ」
アサガが拗ねたような表情でヤソンを見ると、ヤソンはアサガを椅子に座らせてシーツを肩からかぶせた。宿の人に怒られませんか。アサガが尋ねると、ヤソンはちゃんと外で髪を払うさと答えてハサミと櫛を手に持った。
二人とも、帰ってこないな。
ぼんやりと考えながら、それでも口に出すのが嫌でアサガが黙っていると、ヤソンはアサガの髪を切りそろえながら、チラリと窓の外を見た。
「ガスクが一緒なら大丈夫だろうが、少し遅いな」
「みんなそう言うんですね」
アサガがブスッとした顔で答えると、ヤソンは笑った。
「君が一緒でも、同じことを言うと思うけどね」
「嘘。僕の方がガスクより弱いのは、自分でも分かってますよ。でも、強いから守りきれる訳じゃないでしょ」
「そうだよ。ガスクは強いけれど、『だから大丈夫』な訳じゃない」
耳元の長く伸びきった髪にハサミを入れると、ヤソンはもっと短くするかいと尋ねた。手鏡を渡されてその中を覗き込むと、アサガは目を閉じた。
「もっとずっと短くして下さい。エウリルさまが戻ってきたら、あの方の髪も切って差し上げないと。明日はスラナング男爵に会うんでしょ。みっともない姿で男爵の屋敷へ行く訳にはいきませんから」
「そうだな。でも、ついでだからナヴィもガスクも俺がまとめて切ってやるよ。アサガ、君は髪を切り終わったらもう眠りなさい。何だか疲れてるみたいだから」
「…」
黙り込んだアサガの髪を、ヤソンは短く切っていった。パサリと髪が落ちるたびに、何かが滑り落ちていくような気がした。その焦りに耐えながらジッと静かに黙り込んで、アサガはしばらくしてから口を開いた。
「もう…僕がエウリルさまのことを何もかも見て差し上げなくても、いいんですね」
「そうだな。ナヴィは王宮にいた頃は何もできなかっただろうが、君と再会するまでにいろんなことを経験したようだから。アサガ、肩の荷が下りたんじゃないか」
苦笑してヤソンが言うと、アサガは俯いた。今だって、僕がいなくてもエウリルさまは一人で大丈夫なんだ。
いや、今はもう僕以外の人間がそばにいるから。
頭をポンポンと軽くなでられて、アサガは俯いたまま膝に置いた手をギュッと握りしめた。アサガの髪は黒くて綺麗だな。チョキチョキとハサミを動かして、ヤソンが呟いた。そんなことを言われたのは初めてだ。アサガが目尻を手の甲でグイと拭って言うと、ヤソンは落ちた髪を払いながら目を細めた。
「君は、君の自由にすればいい。ナヴィのそばにいたいならそうすればいいし、離れたければいつでも離れればいい。アサガ、君が決めてもいいんだよ」
俺たちが求めているのは、そういう世界なんだ。ヤソンの声は柔らかく優しかったけれど、どこか力強く緊張感があった。
目を伏せて後頭部の髪を切ってもらうと、終わったよというヤソンの声にアサガは視線を上げた。どうぞ。そう言われて差し出された手鏡には、髪を切る前よりも少しスッキリした表情の自分がいた。ありがとう。はにかんだようにアサガが言うと、ヤソンはどういたしましてと答えてニコリと笑った。
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