次の日は朝早くから花火が上がって、その音で目を覚ましたユリアネはそこにイルオマがいないことに気づいた。先に朝食を食べに行ったのかしら。窓を開け放しながら考えて外を覗くと、宿の前の大通りにはまだ人はまばらにしかいなかった。
「ユリアネ、起きた?」
言いながら、腕にサンドイッチの入った紙包みと水筒を抱えてイルオマが部屋に入ってきた。今起きた所よ。ユリアネが振り向いて答えると、イルオマは紙包みを脇に置いてあった台の上へ避難させてから布団を簡単にたたんだ。
「食堂はもう一杯ですよ。ここは結構、評判のいい店のようですね。仕方がないのでサンドイッチを作ってもらいました。食べて準備を済ませたら、宿を出ましょう」
「今日もいい天気みたいね。最近、雨がちっとも降らないから暑いわね」
パタパタと手で顔を煽ぎながらユリアネが言うと、イルオマは少し考え、それから渋い顔で答えた。
「プティの南の穀倉地帯では、干ばつでもう大変なことになっているようですよ。さっきここの主人と話したんですが、小麦の値が去年の倍近くまで上がっているそうです。私は官給品を食べてましたから気づかなかったけれど」
「そうなの。アストリィではそんな話はちっとも聞かなかったわ」
「噂が届くのは最後じゃないですか。王太子がまだ気づいていないなら、マズイですね…」
イルオマの言葉にピクリと眉を上げ、ユリアネがどういうこと?と尋ねると、イルオマはサンドイッチを置いた台を部屋の真ん中へ移動させながら答えた。
「農民たちの暴動が起きるかもしれないってことですよ」
「…」
ユリアネが黙ってイルオマを見上げると、イルオマは水筒からコーヒーをコップに注いだ。まあ、すぐって訳じゃないでしょうから心配しなくてもいいですよ。そう言ってコップをユリアネに渡すと、自分のコーヒーも入れてイルオマはサンドイッチを食べ始めた。
王太子って言ったわ。
イルオマが差し出したサンドイッチの包みを受け取ると、ユリアネはそれをガサガサと開きながらそっとイルオマを見た。王の代わりに王太子が政務をとっていることは貴族の間では公然の秘密とは言え、下っ端の兵士にまでそんな噂が広まっているもんかしら。それとも、それを知ったから脱走したのかしら…。
軍の中でも、重要な位置に?
「どうしたんですか? 人の顔をジロジロ見て」
ふいにイルオマに言われて、ユリアネはハッとして、それからイルオマのあごを指差して笑った。そこにはトマトのソースがベッタリとついていた。いけない。そう言ってサンドイッチを包んでいた紙であごと手を拭くと、イルオマはユリアネに笑い返した。
もし、そうであっても。
脱走したんだもの。もう関係ないはず。それともそうと見せかけて私に近づき、ローレンの居場所を…? 考えれば考えるほど分からなくなって、ユリアネは人のよさそうなイルオマの顔を見つめた。疑いたくない。でも、自分はともかくローレンやエウリルさまに危害が及ぶのは。
「イルオマって」
夢中でサンドイッチを平らげて、イルオマが上目遣いにユリアネを見ると、ユリアネは手にサンドイッチを持ったまま言葉を続けた。
「結構、おっちょこちょいね」
ユリアネの言葉にイルオマは吹き出して笑った。たまに言われます。そう答えてコーヒーを飲み干すイルオマを見てユリアネはまたサンドイッチにかぶりついた。
信じたい。
こんな世界だからこそ、こんな状況だからこそ、あなたを。
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