荷造りをして宿を出ると、イルオマはユリアネとパレードに紛れて東へ向かった。
「やっぱりすごい人ですね! 潰されないようにして下さいよ!」
「どうやってよ!」
人々の話し声に紛れてイルオマが声を張り上げると、隣にいたユリアネは苦笑して大声で返した。でも、確かにこれなら包囲しようがないわね。パレードを見るためにやってきた観光客たちを眺めて、ユリアネは遅れないように懸命にイルオマの後をついて歩いた。
「普段ならちょっとは雨が降って欲しい所ですけど、今日はいい天気でよかった!」
ユリアネに向かって手を差し出しながらイルオマが言った。一瞬、戸惑ってからぎこちなくイルオマの手を握ると、ユリアネは引っ張られるように歩いた。
このまま何事もなくプティへ入って、そこで別れれば終わる。
多分、もう一生会わずに。
「警備のアストラウル兵も、私たちのことには気づいてないようですよ」
ふいにイルオマの声がして、ユリアネは顔を上げた。そりゃそうよ。こんなに人がいるんだもん。ユリアネが答えると、イルオマは周囲を見回してから振り向いた。
「プティに入ってからも、油断はしないで下さいよ。行き先があるなら、すぐにそこへ向かって下さい。あなたは強いから、下手に戦おうとしてしまうでしょ」
「逃げることも時には大事?」
ユリアネが笑いながら言うと、イルオマは大真面目に頷いた。パレードは太陽が天頂を過ぎた頃、プティの最西端から市内へ入った。その辺りはまだ貴族の屋敷も少なく、麦畑や農民の民家が多かった。このまま市の中心部まで続くんです。イルオマがそう言って、ユリアネはホッとして頷いた。道幅は少し狭くなったものの、人は少し減って歩きやすくなっていた。
「プティの中心部まで入ったら、また人が多くなる。貴族が増えて警備も厳重になりますから、この辺りで外れましょう」
ふいに振り向いてイルオマが言った。ユリアネが頷くと、イルオマはユリアネの手を引いてさりげなくパレードの人込みから離れた。脇道へ入るとそこもパレードを見物に来た人々で一杯で、イルオマたちは人並みをかき分けながら少しずつ進んだ。
「この暑さにこの人込みじゃ、誰か倒れるんじゃないかしら」
ようやく人がまばらになって、ユリアネは後ろを見ながら口を開いた。
「まあ、そうでしょうね。プティの医者は今日は大変ですね」
「貴族が思ったよりも多かったわ」
「平民たちに紛れているのが面白いですね」
当たり障りのない話をしながら人込みを抜けると、段々と貴族の屋敷が増えてきた。大きな木の影にわずかに固まっていた店の前で、買い物をする平民たちに紛れながら、イルオマは兵士が辺りにいないかどうか見回してから立ち止まった。
「ユリアネ、あなたはこれからどうするんです?」
ドキッとして、ユリアネはイルオマを見上げた。イルオマの表情はいつもと同じで、軽く口元に笑みを浮かべていた。少しだけ言葉を探すと、ユリアネはニコリと笑って答えた。
「いやね、それはもう言ったわよ。知人を頼ろうと思ってるって」
「そうか、そうでしたっけね」
赤くなって首筋をかいたイルオマを見て、ユリアネは鞄の脇ポケットにさしてあった水筒を取ってイルオマに差し出した。もう一つあるから、これはあげる。そう言って、ユリアネは目を伏せた。
「お別れね。ここまで無事に来れてよかったわ。あなたのおかげでアストラウル兵に襲われずに済んだし」
「それは…私と一緒じゃなければ、どのみちユリアネは兵に追われずに済んだんですから。あ、そうだ」
慌てて懐から小さな麻袋を取り出すと、イルオマは水筒を受け取る代わりに袋をユリアネに手渡した。
「用心棒代です。旅費の足しにして下さい」
「いいわよ。大したことしてないもの」
「いえ、ユリアネがいてくれたから、兵士に襲われずに済んだんです。実は一度、泊まっていた宿で宿帳を改められたんですよ。あなたは寝ていたから知らなかったでしょうけど」
「え、嘘。どこで?」
驚いてユリアネが尋ね返すと、イルオマは目を細めた。
「ダッタンとの分岐点を越えた次の宿ですよ。夫婦だと書いたことで気づかれなかったようです。ありがとう、ユリアネ」
そう言ってイルオマは右手を差し出した。これでホントにお別れ、ね。イルオマを見上げて、少し息苦しさを感じながらユリアネはイルオマの右手を握り返した。その手は温かく、初めて握手をした時よりも少し力強く感じた。ユリアネが軽く笑みを見せると、イルオマは名残惜しげに手を離した。
「正直、あなたとは離れがたいですよ」
「えっ?」
赤くなってユリアネがイルオマを見ると、イルオマは水筒の紐を首から下げながら唇を尖らせた。
「行く宛てのあるあなたはともかく、私はここで情報収集のし直しですからね。その間に兵士に襲われたらと思うと気が気じゃなくて。最近、夜に眠ろうとすると明日は死ぬかもしれないなあと思うんですよ。もう恐くて」
「何よ、情けないわね。あなたの逃げ足なら大丈夫よ。それを言うなら私だって」
呆れてユリアネが言いかけると、ふいに繁華街の方向で大きな悲鳴が響いた。ビクッと震えてユリアネが振り向くと、騒ぎの方から駆けてきた平民が慌てたように言った。
「大変だ! 新聞記者たちが兵士と喧嘩してるぞ!」
ざわっと声がして、イルオマとユリアネは顔を見合わせた。新聞記者に知り合いはいないですよね。イルオマが尋ねると同時に、その場にいた他の平民たちが騒ぎの方からやってきた男と話しはじめた。
「何で喧嘩になったんだ。大勢でやってるのか?」
「記者の中に、どうもスーバルンゲリラが混じっていたらしい。でも、悪いのは兵士らしいぞ。貴族が通るのに子供が邪魔だと言って母親を殴ったんだと」
「何でゲリラと記者が一緒にいるんだ」
口々に話す人々を見ると、イルオマは驚いたような表情でまさかと呟いた。ねえ、知り合いなの? ユリアネが慌てて尋ねると、イルオマはふいに騒ぎの方へ向かって走り出した。
「ちょっと待ってよ! イルオマ!!」
「知り合いかどうかは、分かりませんが! 知り合いのことを何か知ってるかも!」
振り向いては途切れ途切れに答えて、イルオマはちょっとどいて下さいと言いながら人込みをかき分けた。その背中を見失いそうで、ユリアネは必死にイルオマの後を追った。イルオマ! ユリアネが呼ぶと、路地から大通りへ出てイルオマは左右を見回した。
兵士たちは既に刀を抜いていて、周囲の見物人たちは巻き添えを恐れて遠巻きに離れているために、交戦している場所だけがポッカリと広く丸く空いていた。ユリアネが追いついてイルオマの手をつかむと、イルオマは振り向いて頬を赤くしたまま口を開いた。
「いるかもしれない」
「ええっ!? 嘘!」
「ナヴィ! アサガー!!」
アサガ…!?
ユリアネが驚いて聞き違いかと目を見張ると、イルオマはポカリと空いた穴へ向かってまた人込みをかき分けた。手をつかんだままのユリアネは引っ張られる格好になって、二人で人垣を抜けると、すぐ目の前に剣を振る背の高いスーバルン人の姿が見えた。
「ガスク! 会いたかったですよ!!」
横から出てきたイルオマに急にがしっと脇から抱きしめられ、兵士の剣を受けていたガスクはうわっ!と声を上げた。
「何だお前は!? 俺を殺す気か! お前…」
「本当に本当に会いたかったですよ!!! ダッタンを出たっていう噂を聞いてから、どこに行ったのかあちこち探したんですから!」
「ちょっと、イルオマ! いくら知り合いがいたからって、何も戦闘中の所に出ていかなくてもいいでしょ!?」
背負っていた大きな鞄を捨てるように放り出すと、ユリアネは腰に下げていた携帯棒を慌てて組み立てた。ピリッと眉を震わせ、ガスクはイルオマの首根っこをつかんで自分から引きはがし、剣を振りかぶった兵士の腹を蹴り飛ばした。
「ナヴィ! お前の荷物だ! 何とかしろ!」
イルオマたちが来た方向とは反対に向かって、ガスクが怒鳴った。剣が打ち合う音がして、ユリアネはイルオマをかばうように棒を構えた。あんた、その構えは。気づいたガスクが軽く目を見開いてユリアネを見ると、同時にタタッと石畳を駆けてくる靴音が響いた。
「荷物って何のこと…」
はあはあと肩で息をしながら言いかけて、ナヴィが耳まで真っ赤になった。思わず手に持っていた剣を取り落としそうになって、慌ててそれをつかんだ。こんな時に呼ばないで下さいよ! ナヴィを追ってきたアサガが、ナヴィの後ろから顔を覗かせて息を飲んだ。
「ユリアネ…?」
「ユリアネ! ユリアネ姉さん!!」
アサガとナヴィの声が同時に響いて、ユリアネは弾かれたようにビクッと肩を震わせてナヴィとアサガを見た。
じわりと涙が浮かんで、景色がぼやけた。
「エウリルさ…」
「二人とも、私に内緒で勝手に消えないで下さい!!!」
わああ!と泣きながらナヴィとアサガに抱きつくと、イルオマが声を張り上げて言った。は!? 目の前の光景の意味が分からず、ユリアネは横から襲ってきた兵士を棒でぶん殴ってから三人に駆け寄り、イルオマを後ろから引きはがした。
「ちょっと待って! それじゃ、イルオマの探している人っていうのはエウリルさまのことだったの!?」
「エウリルさまって…何でユリアネがその名を」
ポカンとしてイルオマが言うと、ユリアネは怒ったようにどうしてもよ!と答えた。その途端、ガスクが剣を振り上げ、その向こうで兵士が倒れるのが見えた。
「おい! 何か分かんねえけど、再会ごっこなら後でやろうぜ。今はそれどころじゃねえだろ」
ガスクが低い声で怒鳴った。そうだ、トアルたちが危ない。そう言ってアサガが棒を持って駆け出した。何だか分からないけど、ここを突破するしかなさそうね。ユリアネがイルオマに言うと、イルオマは肩をすくめてユリアネの鞄は私が預かりますよと答えた。
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