スラナング男爵の屋敷でもカーチェ出身の侍女たちが祭りの様子を話していて、エカフィの許しを得て半分ほどの使用人がカーチェのパレードを見にいこうと予定を立てていた。
「子供の頃、一度だけ行ったことがあるよね」
ナヴィがアサガの差し出したティーカップを受け取りながら言うと、ヤソンが意外そうな声で本当に?と尋ねた。ローレンは今日は出かけていて、ガスクは窓際の床に座り込んで自分の武具の手入れをしていた。
「ええ。でも、王子として招待された訳ですが」
ナヴィの代わりにアサガが答えると、ヤソンは書棚からいくつか本を抜き取りながら笑った。
「何だ、俺はまたこっそりお忍びで行ったのかと思ったよ。今年はこの暑さで不作だろうから祭りも取り止めかと思ってたけど、それはないみたいだな」
「カーチェ祭は疫病封じが起源ですから、暑い、ひもじい、水不足、な年は必ずやりますよ」
「そうなんだ。物知りだな」
ヤソンが感心したように言うと、アサガは少し照れたように耳を赤くして、エウリルさまの先生から教えてもらったんですと控えめに答えた。ノヴァン先生か。ガスクのそばに置かれたソファに座っていたナヴィが呟くと、大きなテーブルに書物と商用の書類を運んでいたヤソンが驚いてナヴィを見た。
「ノヴァン先生って、あのノヴァン伯爵?」
「そうだよ。知ってる?」
ナヴィが振り向いて尋ねると、ヤソンの顔はうっすらと赤くなっていた。どうしたんです? 今度はアサガの方が驚いて尋ねると、ガスクがチラリとヤソンへ視線を向けた。
「いえ、何でもないんです。以前、何度か彼の知恵を借りに屋敷を訪れたことがあったから」
ヤソンが落ち着いた様子で答えた。知恵って何を? ナヴィの問いに、ヤソンはテーブルに置かれたつけペンを取り上げて軽く笑みを見せた。
「外商に使う船のことで。エカフィに相談したら、ノヴァン伯爵を紹介されたんですよ。彼は学究の徒で、あらゆる知識に精通しているからと」
「確かに何でもよくご存じだったな。普段は滅多にプティから出られないのを、お父さまが無理に頼んでアストリィへ来てもらったと仰ってた」
懐かしげにナヴィが言うと、ヤソンは苦笑しながら話を続けた。
「王の頼みは聞いても、一介の平民の頼みには頑なで渋かったですよ。結局、彼の弟子に話を聞いたがそちらも手応えなしで、あまり実りのある出会いとは言えなかった…」
ぼんやりと呟くと、ヤソンは数年前の話ですけどと付け加えた。ノヴァン伯爵はローレンと盟約を結んでいないのか。ガスクが剣の手入れをしながら尋ねると、ヤソンは肩を竦めてみせた。
「ローレンや俺だけじゃなく、エカフィからも話してみたが、いい返事はもらえなかった。あの先生、屋敷に籠って研究する以外のことはどうでもいいってさ」
「そんなことないよ。僕には色んなことを教えてくれたよ」
わずかに眉をひそめてナヴィが反論した。少なくとも、不誠実な感じではなかったと思いますよ。アサガが言うと、ヤソンとガスクは顔を見合わせた。
「まあ、誠実だからと言って手を貸してくれるとは限らないさ。戦争だからな」
「ナヴィの恩師だと言うのなら、ナヴィに説得に行ってもらえばよかったですね。もう遅いような気もしますけど」
それだけ言うと、ガスクはまた武具の手入れに、ヤソンは書類に目を通すことに没頭しはじめた。ローレンさまがいないと、僕たちは何をすればいいのか分からないですね。ため息まじりにアサガが言って、それにうんと生返事をしてナヴィは考え込んだ。
|