アストリィからプティへ向かう大通りは、行き交う人々でごった返していた。よくいる夫婦のようにも見える二人は、互いに視線を交わして表通りに面した小さな宿屋に入った。
「暑いな。早く涼しくなればいいけど」
そう言いながら宿屋のカウンターに近づくと、バーも営んでいる宿屋の親爺は全く暑いことだと言ってイルオマとユリアネを見た。
「夫婦かい。プティへ? それともアストリィへ?」
「プティだよ。滅多にこの辺りへ来ることはないからね。こいつに貴族さまのお屋敷を見せてやろうと思って連れてきたんだ。すまん、水を一杯」
よく飲むわね。黙ったままユリアネがイルオマを見ると、イルオマは金を払って出された水を飲み干し、持っていた水筒にも水を入れるよう頼んだ。二部屋取りたいんだけど。イルオマが言うと、親爺は笑った。
「近くで祭りがあって、この辺りは今どこも満室だよ。屋根裏でよきゃ安く泊めてやるが」
「どうする?」
イルオマがコップから水の最後の一滴を飲み干しながら尋ねると、ユリアネは一晩ぐらいならいいけどと答えた。じゃあ、夕食と明日の朝食も二人分頼む。イルオマが宿の親爺に話している間に、ユリアネはふと振り向いて宿の食堂を眺めた。
アストリィからプティまでの大通りでは、一階が食堂で二階以上が宿の形式を取っている所が多かった。昼時のためかここもすでに満杯で、食事は食堂で食えばいいと答えた親爺に礼を言うと、イルオマはユリアネに声をかけた。
「先に食事する?」
「さっき食べたばかりじゃない」
「何か物欲しそうな顔してるから」
笑いながらイルオマが言うと、ユリアネは見てただけよと答えてイルオマの肩をげんこつで叩いた。宿の主人に場所を聞いて屋根裏へ上がると、そこはしばらく使われていなかったのか少し埃っぽかった。
「人が多いのは、お祭りのせいだったのね」
表通りに面した窓を開け放して、ユリアネは外の景色を眺めた。
「カーチェの祭りでしょう。明日が本祭りなんです」
「知ってたの?」
「一応」
イルオマが自分の鞄の中からビスケットを取り出して食べながら答えると、ユリアネは何だとガッカリしたように呟いて、窓の桟に肘をかけた。何日か一緒に旅をしていると、相手の事情を知らなくても打ち解けて話せるようになっていた。ユリアネがイルオマを見て、あなたの方が食事したかったんじゃないの?と尋ねると、イルオマはいいんですけどと答えた。
「地図が見たかったし、そんなに腹が減っている訳じゃないんです。でも、何か頭が疲れてるような気がして」
「太るわよ」
「ビスケットぐらいじゃ太りませんよ。ユリアネ、もしその辺を見たかったら行ってもらっても構いませんよ。私、荷物番してますから」
屋根裏の薄暗い部屋で古いランプに昼間から火を入れ、口にビスケットをくわえたままイルオマが言った。上から見ている方が面白いわ。そう言って窓から外を覗くと、ユリアネはチラリとイルオマを見た。
変な男。
これまでの旅の途中で、とりあえず自分を女扱いする気がないことは分かった。初めは別々に取っていた宿の部屋も、金の節約のために一部屋にしようと提案したのは自分の方だった。それでも男女としての一線を越えることはなく、二人はまるで戦友のように旅を続けている。
妻がいるっていうんだから、同性愛者じゃないわよね。
変な男だけど、立派だわ。何かされてもイルオマ相手なら勝てるけど。考えながら窓枠に頬杖をついてユリアネがイルオマを眺めると、ビスケットをサクサクと食べてイルオマは地図を見ながらうーんと唸った。
「何か問題?」
ユリアネが床を四つん這いに這って、イルオマが見ている地図に近づくと、イルオマはユリアネには関係ないことなんですけどと答えた。
「私の探している人の消息がね。さりげなく情報を集めながら来たつもりなんですけど、ここに来て行方が分からないんですよ。プティに入ったことまでは確実なんです。それからがね」
「何だ。軍があなたのことまだ諦めてないなら、プティへ入る前にまた待ち伏せされてるはずだから、それを切り抜ける方法でも考えているんだと思ったわ」
「なかなか鋭い読みですね。でも、それは大丈夫ですよ」
地図をたたみながら、イルオマが笑った。どうしてよ。ユリアネがその場に座り込んで尋ね返すと、イルオマは床の上であぐらを組んだまま水筒の水をコップに注いで答えた。
「祭りがあるって言ったでしょ。明日には大規模なパレードが前の通りを抜けてずっとプティまで続くんです。それに紛れて行けば、自動的にプティには辿り着けますよ。それを狙ってこのルートにしたんです」
「あなたって、ホントに抜け目ないっていうか小狡いっていうか、逃げ足だけはすごいのね」
呆れたような感心したような声でユリアネが言うと、イルオマは褒め言葉として受け取っておきますよと飄々として呟いた。じゃあ、明日でお別れね。ユリアネがぼんやりとして言うと、イルオマはユリアネを見て目に笑みを浮かべた。
「ユリアネがそうしたいなら」
その言葉は妙に胸に馴染んで、心の奥にストンと落ちた。イルオマと別れたら、ローレンを探し出すまでまた一人だ。考えると少し恐くて、ユリアネはわざと明るく笑みを浮かべて答えた。
「そちらこそ、イルオマが別れたいなら明日でさよならしてあげてもいいわよ。でも、ちゃんと用心棒代は払ってね」
「ユリアネはどうするんです? もう行き先は決まってるんですか?」
それはイルオマと出会ってから初めて聞かれたことで、ユリアネは少し驚き、その驚きを悟られないように平然とした表情で口を開いた。
「まだよ。あなたと同じ、これから知人の居場所を探すの。そのために知り合いを頼ろうと思って。プティは広いけど、そのうちにまた会うかもしれないわね」
「よければ…いや、やっぱりやめときます」
「何よ」
言いかけたイルオマの言葉にユリアネが笑いながら尋ね返すと、イルオマは苦笑して、私らしくないことを言おうとしたんですと答えた。
「あなたが誰でも、もし私の敵でも、明日までは同志ですからあなたの知人を探してあげましょうかって、そう言おうとしたんです。でも、あなたを困らせるだけのような気もするから」
「…ありがと」
目を伏せて、さっきのような取り繕うような笑みではなく本物の微笑みで、ユリアネは言葉を返した。もし戦場で私に会ったら、見逃して下さいね。イルオマがユリアネの顔を覗き込んで言うと、ユリアネは軽く吹き出し声を上げて笑った。
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