「どうしたんです?」
ふいに小さな声で呼ばれて、ナヴィは振り向いた。何でもない。そう言って窓から視線を離すと、ナヴィはソファに寝転んで疲れたような表情で眠っているローレンの顔を覗き込んだ。
「ベッドに行った方がよくない?」
ナヴィが小声でアサガに尋ねると、ローレンに頼まれて手紙の整理をしていたアサガは苦笑した。さっきもお起こししたんですが、ちっとも目が覚めないんですよ。アサガが言うと、ナヴィはソファの肘置きに腰を下ろしてローレンの顔をジッと見つめた。
痩せたな。
一目でそう思うほど、ローレンの頬は王宮にいた頃よりもほっそりと痩けていた。自分が思う以上に大変だったんだろうな。考えながらナヴィがローレンの上にかけられた毛布を引き上げると、ローレンは小さく息をついてまたソファに沈むように眠り込んだ。
ナヴィたちはあれからエカフィの好意で、ガスクやヤソンと共にスラナング邸に滞在していた。ローレンと互いに王宮を出てからの出来事を報告し合うと、ローレンは最後に本当に無事でよかったと言ってナヴィを抱きしめた。助けられなくてすまなかった、と。そう言い続けて苦しげに顔を歪め、それからローレンは笑った。
今、生きていることを喜ぼう。
ローレンの言葉は、どこか追いつめられ切羽詰まっているようにも聞こえた。
「ローレンのせいじゃないのにね」
よく眠っているローレンから離れてアサガのそばにあった椅子に座ると、ナヴィは小さく呟いた。それでも、兄王子として責任を感じていらっしゃるんです。ナヴィを見て手紙をトントンと束ねると、それに紐をかけてアサガは息をついた。
「この手紙のほとんどが、ローレンさまに国政を期待する言葉が書かれているんです。でも、彼らは期待するだけで何もしてくれない。ここに来て思ったんですけど、本当に国のために動いているのは今や王宮でも貴族たちでもなく、ヤソンやガスクたちなんじゃないですかね? 今日だってヤソンはガスクを連れて平民たちと決起集会やってるんだし…」
「でも、スラナング男爵のような人だっているじゃない。彼はもし王制が廃止されて民主制になって、自分の財産がなくなったとしても構わないって言ってるじゃないか。立派な人だよ」
「そりゃ、彼はヤソンと一緒に対外貿易やってるんですから、貴族としての領地が没収されても困りませんよ。本当に苦しいのは、いつだって平民なんですから」
テーブルに頬杖をついてため息をつくと、アサガは今のはただの愚痴ですと付け加えた。ダッタンからプティへ来るまでに、アサガもいろんなものを見て感じていたんだな。ぼんやりと考えているとふいにドアのノックの音が響いて、アサガは立ち上がった。
「どなたです? ローレンさまが眠っておられるので、静かに」
「ガスクさまがお帰りになられて」
「ああ、ちょっと待って下さい」
侍女の言葉に笑いを堪えて、アサガが振り向いた。ガスクさまって。そう言って声を殺して笑うアサガに自分も真っ赤になって笑いを堪えると、ナヴィはアサガの背中を叩いてから部屋を出た。
「ガスク」
ちょうど廊下を横切ってきたガスクの姿を見て、ナヴィがパッと表情を明るくして名を呼んだ。アサガがそっと部屋のドアを閉めると、ナヴィは部屋の中を気にしながらガスクに近づいた。
「今、ローレンが眠ってるんだ。もうぐっすりだよ」
「疲れてるんだろ。庭で話さないか。屋敷の中は落ち着かない」
ガスクが言うと、ナヴィは笑いながらいいよと答えて歩き出した。ナヴィはローレンから借りた貴族のような服を着ていて、これまでの平民姿よりもどこかしっくりとして似合っていた。
「お前って、本当にローレンの弟なんだな。耳がそっくり」
庭に出ながらナヴィが振り向くと、ガスクはナヴィの耳を軽くつまんだ。そうかな。そんなこと初めて言われたよ。そう答えると、ナヴィは屋敷に沿って歩きながらガスクを見上げた。
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