アストラウル戦記

   14

「全く、急にいなくなったのはイルオマの方だろ。なのに怒るなんて」
 次の日はまだカーチェの祭りが続いていて、昨日、騒ぎを起こしたナヴィやガスクたちはほとぼりが覚めるまでとスラナング男爵の屋敷内に留まっていた。
 世話になっていながら何も返せるものがないからと、アサガが止めるのも構わず、ナヴィはイルオマと庭師一人を連れて朝のうちに庭に出て、伸びてきた雑草を引き抜いていた。貴族の割には小さな敷地とはいえ、雑草は簡単に抜き終わるほどの量ではなく、三人は庭を歩き回りながら目に見える雑草を黙々と抜き続けた。
「イルオマのことを待ってたら、いつ戻ってくるか分からないだろ。それにルイゼンに命じられて僕を連れ戻しにきた軍兵を、何で待ってなきゃいけないんだよ?」
「エウリルさま、他の人には優しいのに私には随分厳しくないですか」
「イルオマはちょっとぐらい言ったって、堪えないんだもん」
「ひどいなあ」
 抜いた雑草を麻の袋に押し込みながら、イルオマは屈託なく笑った。ほらね。そう言って一緒に笑うと、ナヴィは自分が持っていた麻の袋を二つ肩に抱えた。
「エウリルさまはうちの旦那さまよりもずっとずっとお偉い方だと聞いとりましたが、草抜きがお上手でございますなあ。貴族の方がそんなことをされるとは思ってもみませんでした」
 白髪まじりで腰はわずかに曲がっているものの、しっかりとした足取りで庭師はナヴィのそばに置いてあった庭道具を取り上げた。
「草の入った袋は燃しますんで、屋敷の裏にある炉へ運んでくだされ。わしは火と水を持っていきますんで」
 そう言って、気のよさそうな初老の庭師は庭の奥にある道具小屋へ庭道具を片づけにいった。イルオマと二人で屋敷の裏へ向かって歩き出すと、ナヴィは借りた長靴をカポカポ言わせながらイルオマを見上げた。
「お前、ユリアネと偶然出会ったってホント? 知ってたんじゃなくて?」
「ガスクがそう言ってたんでしょ。でも本当に偶然ですよ。ユリアネは異国人だろうなとは思ってましたけど、ていうか初めて出会ったのはオルスナの外交官の屋敷の前だったんで、オルスナ人だろうなとは思ってましたけど」
「そうなんだ。何でガスクが言ったって分かった?」
 ナヴィが尋ねると、イルオマは笑いながら答えた。
「エウリルさまにそこまで頭が回る訳…と、エウリルさまは素直なご気性ですから、聞いたまま信じてしまわれることが…とと」
「いいよ、もう。みんなそう言うんだ。でも、僕だって疑ってることぐらいあるよ」
 ホントにガスクは僕のこと好きなのか、とか。
 言えないな。首筋まで赤くして足を速めると、ナヴィは少し考えてからまた口を開いた。
「二人でプティまで来たって言ってたけど、まさかユリアネと恋人同士になった訳じゃないよね。お前、妻子がいるって言ってたろ」
 いつもよりも厳しい表情でナヴィが尋ねると、イルオマは当然ですよと怒ったように答えた。早足でナヴィに追いつくと、イルオマは真っ直ぐに前を見ながら口を開いた。
「ダッタンでグンナに喧嘩を売った後、アストリィの知人に頼んで妻と子をサムゲナンの実家へ連れていってもらいました。義父は亡くなりましたけど、親戚はまだいるんで」
「サムゲナンか。それならいいけど。でも、本当はサムゲナンより国を出るように言った方がいいかもしれないよ」
 目を伏せて呟くと、ナヴィは少し考え込むように黙り込み、それから驚いて顔を上げた。
「グンナに喧嘩売ったって何だよ。グンナって、ダッタン市でしつこく追ってきた軍兵の司令官だろ」
「そうですよ。私、彼とは同期だったって言ったでしょう。彼に用があったんで、ついでに除隊してエウリルさまについていくって宣言してきたんです。養成学校時代から彼のことは大っ嫌いだったんで、胸がスッとしました」
 にこやかにそう言って、イルオマは呆れたように口を開けてイルオマを見上げているナヴィに気づいた。何か言いたいことでも? イルオマが尋ねると、ナヴィは首を横に振って答えた。
「いや、わざわざ喧嘩を売るってのが分かんないなって」
「エウリルさまは売られてばっかりでしたもんね。ちょっとはパートナーを見習ったらどうです?」
「パートナーって誰のことだよ」
 赤くなって焦ったようにナヴィが言うと、イルオマは屋敷の裏へ回り込みながら振り向いてナヴィを見た。
「今、エウリルさまが思った人のことですよ」
「ガスクはここでローレンと一緒に戦うけど、僕は別の伯爵家へ用を済ませに行くよ。その後もここに戻ってくるかどうかはまだ決めてないし」
「やっぱりガスクのこと思い出したんじゃないですか…ええっ!?」
 驚いてイルオマが立ち止まると、ナヴィはスタスタと構わず歩き続けた。ホントに意地悪なんだから。ぶつぶつ言いながら後を追って、それからイルオマはナヴィの隣に並んで尋ねた。
「エウリルさまはローレン王子と一緒に戦うもんだとばっかり思ってましたけど、違うんですか。私、グンナにそう言っちゃいましたよ」
「勝手なこと言うなよ。まだ分かんないよ…お父さまやお兄さまと戦うんだぞ。ローレンだって迷いながらやってるんだ。僕にはまだ決められない」
 イルオマから目をそらしたままそう言うと、ナヴィはそれよりもと声の調子を変えて笑ってみせた。妻子ある身でユリアネを泣かせたら、僕がお前を切るからな。半ば本気でそう言ったナヴィにあり得ませんよと答えると、イルオマはナヴィの表情を伺いながら歩いた。
「エウリルさま」
 しばらく歩いて炉が見えた頃、後ろからスラナング邸の侍女がナヴィを見つけて声をかけた。麻袋を抱えたまま二人が振り向くと、侍女は驚いたように駆け寄ってきて言った。
「まあ、エウリルさまにこのようなことをさせるなんて」
「いいんだよ。自分からやるって言ったんだ」
 ナヴィが苦笑すると、侍女は後で庭師にきつく言いつけなくてはと怒ったように言葉を続けた。やめてよ、叱るのは。ナヴィが慌てて宥めると、侍女はため息をついてからナヴィを見て告げた。
「ローレンさまがお呼びでございます。いつもの書斎に」
「分かった。先に行って、すぐに参りますって伝えてくれ」
「かしこまりました」
 丁寧にお辞儀をして侍女が屋敷の方へ戻っていくと、ナヴィとイルオマは顔を見合わせた。とりあえずこれを運んでしまおうか。そう言って、ナヴィがまた先に歩き出した。ちょうどいい。僕からも話したいことがあったし。考えながら抱えていた麻袋を炉のそばへ置くと、腰を伸ばしてナヴィはうーんと顔をしかめた。

(c)渡辺キリ