パヴォルムの別邸は、アストリィから馬で小一時間ほど離れた郊外にあった。
子供の頃、父に連れられて何度かヴァンクエル伯爵とその奥方を訪ねてきたことがあった。けれど、大人になってから来たのは初めてだった。従者を一人連れて馬を駆ると、本邸に比べると小さく、緑に囲まれた屋敷を見てルイゼンは眉を潜めた。
あんなことがなければ、美しい屋敷だと心安らかに思えたのに。
考えながらルイゼンが門番に訪れを告げると、すでに聞いていたのか門番はルイゼンの記章を見て門を開けた。馬に乗ったまま進むと、屋敷の前で待っていた侍女たちがルイゼンに気づいて深々と頭を下げた。
「ようこそお越し下さいました、ルイゼンさま。我が主がお待ちでございます」
侍女頭がそう言って、ルイゼンの馬の手綱を引き受けた。馬から降り、侍女の案内に任せて屋敷に入ると、中は歴史を感じさせるような古びた静謐さでルイゼンを迎えた。ルイゼンがパヴォルムの居場所を尋ねると、先導していた侍女が奥庭におられますと答えた。
「一人で行く。しばらく誰も来ないでくれ」
ルイゼンが言うと、侍女は怪訝そうな表情をしながらルイゼンを見上げ、それでは剣とマントをお預かりいたしますと答えた。マントを脱いで剣と一緒に侍女に預けると、ルイゼンは一人で奥庭へと向かった。
別邸の奥庭は、屋敷に劣らず美しかった。
ルイゼンが近づくと、庭に出したテーブルについていたパヴォルムが気づいて顔を上げた。知らせを受けて、待っていた。そう言って立ち上がると、軍服姿のルイゼンを見てパヴォルムは苦笑した。
「いつもと同じだな、ルイゼン」
「私はお前に会いたくて来たんじゃない」
肩をつかまれ、その手を払いのけてルイゼンは厳しい表情でパヴォルムを見た。ルイゼンが来たら、部屋に通すよう言っておいたのに。王宮で会った時とは違う親しげな笑顔でそう言うと、パヴォルムはルイゼンの手を引き、バランスを崩したルイゼンを抱いて自分の膝の上に座らせた。
「だが、軍服姿もいい」
パアッと頬を赤くして、ルイゼンはベルトに隠していた小刀を抜いた。パヴォルムがその手首を咄嗟につかむと、ルイゼンは両手で小刀を握りしめてパヴォルムをにらみつけた。
「これ以上、触れれば殺す」
「俺を殺せば、お前も、お前の父もただでは済まんぞ」
ニヤリと笑みを浮かべたパヴォルムを見据えると、ルイゼンは手に持っていた小刀を返して自分の喉に突きつけた。息を飲んでパヴォルムがルイゼンを見つめると、ルイゼンは低い声で答えた。
「お前の屋敷で私が死んだとなれば、どうなる。生まれた時からヴァンクエル家の当主として育てられたお前には、監獄暮しは耐えられまい」
ルイゼンが言うと、パヴォルムは息をついてルイゼンから手を離した。嫌われたもんだな。苦笑して言うと、小刀を喉に突きつけたまま立ち上がったルイゼンを見上げてパヴォルムはワイングラスを取り上げた。
「話とは何だ。この間の続き、という訳じゃなさそうだな」
一歩下がってパヴォルムをジッと見つめると、ルイゼンは小刀を握りしめたまま少し躊躇い、それから口を開いた。
「プティからの知らせは届いているか」
パヴォルムが黙ったまま答えずにいると、ルイゼンは小刀を持つ手に力を込めた。グラスを持ったまま椅子の上に足を乗せると、パヴォルムは答えた。
「それで来たのか。このことはすでにハイヴェル卿もご存じだ。なぜお前に命じないのか、プティにやるのが不安なのかと思っていたが、そういうことだったのか」
「…どういう意味」
「エウリルさまだろう。お前が考えそうなことだ。エウリルさまがなぜプティにおいでなのかまでは分からなかったが、王宮の反逆者として訴えが出ている以上、その貴族は恐らくアントニアさまと何らかの同盟を結んでいるのだろう。エウリルさまは、アントニアさまよりもローレン王子と親しかった。王宮を出てローレン王子の元にいるから、重病と発表された。違うか」
そうじゃない。握りしめた小刀が震えて、ルイゼンは黙り込んだまま小刀を握り直した。ローレンさまもエウリルさまも、反逆者などではない。むしろ、裏切ったのは王宮の方だ。
そう言いたくても声にならず、ルイゼンはキュッと唇を噛み締めた。手筈はどうなっている。ルイゼンが震える声で尋ねると、パヴォルムは言葉を選ぶように黙ってからルイゼンを見上げた。
「軍律を一番よく知っているのはお前だろう、ルイゼン。お前には教えられん」
「パヴォルム!」
「もう決まったことだ。プティ近郊に配属していた私の部隊には、今日にも知らせが届くだろう。今から追いかけても間に合わない。ルイゼン、お前にはエウリルさまを助けることはできない」
すでに。
絶望感が襲って、ルイゼンは小刀を握る手を緩めた。その瞬間、顔にワインをかけられてルイゼンがあっと声を上げると、パヴォルムはルイゼンの腕を後ろにひねり上げて地面にその身を押しつけた。ルイゼンの手にあった小刀が、衝動で石畳に落ちてカランと音を立てた。腕の痛みにクッと眉を潜めたルイゼンを跨ぐと、パヴォルムは逃げられないようにルイゼンの頭を地面に押さえつけて、その耳元に囁いた。
「お前にはエウリルさまは助けられない。混乱しているとはいえ、王宮の力は強大だ。アントニアさまが即位されれば、今以上に多くの貴族が王宮に寝返るだろう。今、ローレンさまに協力している貴族たちもだ」
「パヴォルム…お前」
「お前にエウリルさまを与えることは、できないな」
耳元で囁かれて、ルイゼンは目を見開いた。
一瞬、エウリルの笑顔がよぎった。今すぐ、プティへ。懸命にパヴォルムから逃れようとしてもがくと、ルイゼンは声を荒げた。
「パヴォルム! 離せ…!」
「エウリルさまを助ければ、お前も反逆者だぞ」
「反逆罪で捕らえられれば、死罪になってしまう! 離してくれ、頼む!」
叫ぶルイゼンの口を塞ぐと、パヴォルムはその首筋に唇で触れた。
渡さない。
お前は私のものだ。私を恨むなら恨めばいい。憎めばいい。
誰よりもこの姿を、声をお前の胸に刻み込むがいい。
「ルイゼン」
あの夜とは違って、正気のルイゼンは拒む力も強く、パヴォルムは力を込めてルイゼンの頭を石畳に押しつけた。屈辱に青ざめてルイゼンがパヴォルムをにらむと、パヴォルムはルイゼンが舌を噛まないように、口の中に金の糸で縫い取りをしたハンカチを押し込んだ。乱れた息が熱く、パヴォルムの右手が軍服のボタンを外すと嫌悪感でルイゼンは震えた。目尻に涙を滲ませながら、ルイゼンは懸命に抗おうと首を強く横に振った。
諦めない。諦めたくない。パヴォルムの大きな手は、ルイゼンの胸を蹂躙した。エウリルさま。ギュッと目を閉じた瞬間、下りた手が柔らかく握りしめて、ルイゼンはハンカチを押し込められた喉元から低い声を上げた。
「ルイゼン、大人しくしていれば怪我をせずに済むんだ。私はお前を愛してる。お前の悪いようにはしない」
耳元で囁かれて、ルイゼンはギュッと目をつぶった。石畳でこすれたこめかみから、血が滲んでいた。顔に傷がついてはまずいな。そう呟くと、パヴォルムは上手く息ができずに大人しくなったルイゼンのシャツの袖を引っ張ってそれを結んだ。
体も、いつかは心も。
がんじがらめにしてやろう。逃げられないように。
「…愛してるよ」
後ろ手に縛られた格好になって、顔を背けたルイゼンの耳元を熱い舌で舐めまわすと、パヴォルムはその耳元で囁いた。ビクリと体を震わせたルイゼンを見て、それからルイゼンを仰向けに寝かせてパヴォルムは苦しげなルイゼンの表情を眺めた。一度快楽を与えた体は、二度目は以前よりも早く反応を見せていた。満足げにルイゼンの額を押さえると、パヴォルムはもう片方の手を下へ滑らせてルイゼンの体を嬲った。
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