アストラウル戦記

「スーバルンたちが学ぶための体制を、整えたいんです」
 時間を惜しむように、離れにあるサロンに入ってソファに腰掛けた途端、ナヴィは話しはじめた。執事が入れた紅茶を眺めながら、ノヴァン伯爵はナヴィの言葉に耳を傾けた。
「彼らの現状は身を守ることと食べることでギリギリで、そこから向上していく術がありません。差別と迫害で、医療を受けることすらままならないんです」
 ガスクがチラリとノヴァン伯爵を見ると、伯爵は黙ったままティーカップを取って口をつけた。そばには執事が一人、静かに控えていた。その様子を見ると、一息ついてナヴィはまた口を開いた。
「僕は今、事情があって王宮にはいません。僕にもっと力があれば、国を動かすこともできたかもしれない。それを怠っていた僕にも非はあると思います。だから、僕はせめて彼らのために教育の場を作りたい。学ぶことは生きることに繋がっていると仰っていた、先生の言葉を思い出したんです」
「…エウリル」
「ノヴァン先生、先生は僕にスーバルンの文化について教えてくれましたよね。若い頃はアストラウルに住むスーバルン人たちの文化を調べてたって。先生なら、ダッタンでスーバルン人に医術や学問を教えてくれる人をご存じかと思って、ご迷惑を承知でお訪ねしたのです」
「スーバルン人か」
 そう呟いて、ノヴァン伯爵はカップをテーブルに置いた。ナヴィがジッとノヴァン伯爵を見つめると、伯爵はしばらく黙り込んでからジロリとナヴィを見た。
「私がスーバルン人の文化を研究しはじめたのは、もう三十年以上も前のことだ。その頃、スーバルン人は今よりずっと数が多く、今より更に独自のコミュニティを形成していた。オルスナでラバス教の迫害が進み、スーバルン人たちはアストラウルの同族を頼って亡命してきたために、たった数年で驚くほど数が増えたのだ」
 そこまで話してノヴァン伯爵は口をつぐみ、それからまた口を開いた。
「スーバルン人が増えたせいで、その年からアストラウルでは飢饉が相次いだ。それだけじゃない。彼らが迫害されているのは、スーバルンという人種がアストラウル人に比べて好戦的で体も大きいためだ。我々は秩序ある世界を望んでいる。国内でスーバルン人たちを保護すれば、彼らは先の内戦のようにまた自分たちの権利を主張して王宮に攻め入るだろう」
「てめえ…本気で言ってんのか」
 低い声で呟くと、バンとローテーブルを叩いてガスクは立ち上がった。ノヴァン伯爵が視線を上げずに黙り込むと、ガスクはノヴァン伯爵をにらみすえて声を荒げた。
「てめえらが何をしたのか、てめえらが一番よく分かってんだろ! ジンカは兄貴やお袋を身勝手に捨てて、ダッタンで孤児院をやっていたような腐れ親父だ。でもな! でも! 親父の孤児院は理由もなく、ただスーバルン人だというだけでアスティにつぶされた! 内戦ではスーバルン人から戦いを挑んだようにお前らは言うが、先に俺たちの同胞を殺したのはアストラウル人じゃねえか!?」
「ガスク!」
 慌ててガスクの胸を押さえると、その顔を見てナヴィが首を横に振った。今は我慢して。小声で言ったナヴィに口をつぐみソファにまた座ると、ガスクはふんと鼻を鳴らして顔を背けた。
「先生、僕は実際にスーバルン人たちと話すまで、彼らが僕と同じようにこの国で暮らしていることを思いもしなかった。でも、そうじゃないんです。諦めさせちゃいけない。手遅れになる前に、自分たちでやっていけるだけの力をつけられるよう助けなければ」
 ナヴィが言うと、ノヴァン伯爵は腕を組んで目を閉じた。沈黙は長く続いた。先生。ナヴィがそっと声をかけると、ノヴァン伯爵は脇に置いていた杖を取ってゆっくりと立ち上がった。
「エウリル、君はなぜ王宮を出た」
「え…」
「王宮に留まるべきであった。ローレンも然り。よく考えたまえ。本当に自分が為すべきことは何だと思う。スーバルン人のことは、次代王たるアントニアが解きほぐさねばならない問題だろう」
「先生!」
 ナヴィが立ち上がって呼び止めると、ノヴァン伯爵は振り向いてナヴィを見た。その目は昔、王宮で見たものとは違い、厳しく冷たかった。執事がドアを開くと、ノヴァン伯爵はガラス張りのサロンを出ていきながら言った。
「王宮に戻りたまえ。そして、自らの罪を償いたまえ。それが、今の君がしなければならない唯一のことだ。スーバルン人のことは私からアントニアに話そう」
「先生…何を」
「エンナ王妃のこと、アントニアから聞いたよ。残念だ」
「先生!」
 ナヴィの声を振り切るように、ノヴァン伯爵はサロンから出ていった。ギクリとして立ち上がると、ガスクはまずいなと呟いた。伯爵を追いかけ閉まったドアを開けようとして、ナヴィはドアノブをガチャガチャと回した。そこにはすでに外から鍵がかけられていた。
「アストラウル兵か」
 ガラスの向こうに、茂みに潜む武装した兵士たちの姿が見えた。剣をスラリと抜くと、ガスクはナヴィを隠すように壁際に立った。血の気が失せて顔色の悪いナヴィの肩を抱くと、ガスクはそれを軽く揺らしてナヴィの顔を覗き込んだ。
「しっかりしろ! しょうがねえだろ、話が通じなかったもんはよ!」
「でも…こんな」
「あいつはハナから話を聞く気なんかなかったんだろ。そういう奴だっていんだろうよ。お前は自分でここに来るって決めたんだから、しっかり突破しろ。死にたくねえんだろ!」
 ガスクの言葉に、ナヴィはゴシゴシと自分の頬を擦ってから自分の剣を抜いた。帰ろう。ナヴィが無理に笑みを見せると、ガスクは同じように口元で笑ってから剣を構えた。

(c)渡辺キリ