このまま馬車で進むとしても、どこかで一度は止まるはずだ。
馬車の中で、ガスクは両手を前で縛られたまま目を閉じていた。雨が激しくなってきたな。外の様子に耳をそばだて、傷の痛みから気をそらすようにガスクはうっすらと目を開いた。
腹の矢は抜かれて、粗末な手当が施されていた。気を緩めると気絶しそうなほど激しい痛みが、幾度となく襲ってきた。吐きそうだ。揺れる馬車の中で横になったまま座席に頭を乗せると、ガスクは外が見えないかと懸命に目を凝らした。
もう一つ、馬車が動いている。後ろを走ってるな。
ナヴィを乗せた馬車だろうか。それならまだ、希望はある。痛みに顔をしかめて絞り出すように呼吸を繰り返すと、ガスクは黙ったまま道筋を頭に思い浮かべた。
アストリィへ真っ直ぐに向かう道じゃない。
罪人を運ぶ護送馬車が走れば目立つし、罪人の仲間に襲撃されかねない。ひょっとしたら川を船で遡るつもりかもしれない。船に乗っちまえば余計な邪魔は入らないし、アストリィにもダッタンにも行ける。考えていると馬車がガタンと揺れ、体中に激痛が走ってガスクは呻いた。
ナヴィの奴、怪我はしてないんだろうな。
だから逃げろって言ったのに。馬車の壁に頭を押しつけて痛みを堪えると、ガスクは大きく息をついた。別々に運ばれでもしたら、もう終わりだな。うっすらと目を開けてガスクが視線を向けると、止まった馬車の扉が開いて兵士が顔を覗かせた。
「ガスク=ファルソ。これより船で護送する。大人しくしなければ、罪状に妨害行為が加えられることになる」
兵士の声は、雨音で半分かき消されていた。
「今さら、抵抗の上塗りをした所で死刑には違いねえだろ」
喉から空気がもれるような掠れた声でガスクが呟いた。大人しくすれば、これ以上の危害は加えん。そう言った兵士に馬車から降ろされると、プティよりも南西を流れる大きな川の桟橋が見えた。あっという間に髪や服が雨に濡れて、ガスクが周囲に視線を走らせると、もう一台の馬車からナヴィが降りてきて声を上げた。
「ガスク!」
涙まじりの声に、ガスクは小さく舌打ちをした。
これぐらいのことで、死にそうな声出してんじゃねえよバカ野郎。
まだ生きてるじゃねえか。
「大丈夫だ。お前、怪我はないのか」
ガスクが尋ねると、兵士が黙れと言って縛られたガスクの腕をつかんだ。歩け。そう言った兵士に押されてガスクが痛みを堪えて足を踏み出すと、ナヴィは辛そうにギュッと眉を潜めた。川は増水していて、船はすぐには出ないかもしれないと考えながら、ガスクは兵士に促されて桟橋から船に乗った。
まずいな。
甲板の上は雨で水浸しで、罪人を船室に入れろと誰かが叫んでいた。俺はダッタン、ナヴィは恐らくアストリィに連れていかれるんだろう。両脇からがっちりと兵士に支えられ、ガスクは縄を緩めようと前で縛られた手をわずかに動かした。
ナヴィが続けて船に乗せられると、激しくなった雨の中、船員が軍曹に駆け寄ってきて敬礼をした。天候が回復するまで船を出すことはできません。そう言った船員に頷いて、軍曹は両脇からナヴィの腕をしっかりとつかんでいた兵士たちの方へ向き直った。
「罪人を船室へ! 雨が止み次第、出航する!」
ギュッと唇をかんだナヴィは青ざめていて、ガスクは息を潜めた。あいつだけでも船から下ろさなければ。雨のせいで脇腹から血が滲んで、気が遠くなりそうだった。兵士に連れていかれながら振り向いてこちらを見たナヴィに、ガスクは叫んだ。
「ナヴィ!」
一歩踏み出したガスクの体を兵士が押さえた。大人しくしろ! 縄をほどこうとガシガシと腕を動かしたガスクを、兵士の一人が剣の鞘で殴りつけた。よろめいて甲板の手すりに体をぶつけると、ガスクは目を見開いた。
兵士たちの腕を振りほどいたナヴィが、こちらに向かって駆け出していた。王子を捕まえろ! 怒鳴った兵士にも構わず、ガスクの肩をつかんだ兵士に頭から突っ込んで、ナヴィは兵士と共に甲板にドッと倒れ込んだ。
「ナ…」
それは一瞬のことで、何が起こったのか分からずガスクは雨の降り注ぐ空を見上げた。甲板の手すりの向こうで、ナヴィがこちらを見下ろしていた。その後ろから手が伸びて、兵士に引きずられ押さえ込まれるナヴィの姿が見えた。
手すりを越えたガスクの体は、荒れ狂う川へと落ちていった。
あのバカッ!
考えた瞬間、ドボンという音と共に泡が体を取り巻いた。手すりにもたれて不安定な態勢になっていた自分を、ナヴィが川へと突き落としたのだと分かった。雨のせいで増水した川で、ガスクは必死に水面へ浮き上がろうともがいた。俺だけ逃げてどうするんだ。お前は、お前こそ逃げ出さなきゃ、王宮へ戻れば殺される。
「ナヴィ!!」
懸命に水面に顔を出すと、ガスクは叫んだ。船はすでに遠く離れていた。手首を縛られたまま流れてきた大木に必死でしがみつくと、ガスクは大きく息をついてナヴィの名をもう一度叫んだ。
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