アストラウル戦記

 部屋に隠してあった金と食べ物を取り出すと、袋に入れてサマリはそれを肩からかけた。早く逃げなきゃ俺がやられちまう。そう言って、サマリはユリアネを見た。
「親父がアストラウル兵に殺されるのを、ヴィーナは見てたんだ。だからヴィーナは何度もイルオマに兵士をやめてくれって頼んだ。それだけじゃない、アスティの子供を身ごもったって周りからはじかれて、母さんとヴィーナがどんなに苦労したかお前に分かるか」
 吐き捨てるようにそう言って、サマリはイルオマをにらみすえた。
「金なんかいくら送ってきたって、しょうがねえんだよ! イルオマ、お前が兵士を続けたせいで、姉ちゃんは生まれた子供抱いて、屋根から飛び下りて死んじまった。全部お前のせいなんだ! お前が姉ちゃんをたぶらかして、いつか結婚しようなんて言うから!」
 そう言ってはあと大きく息をつくと、サマリはイルオマの胸元をグイとつかんだ。
「どこの世界に、アスティとスーバルン人が一緒になれる場所があるっていうんだよ!? 姉ちゃんだけじゃねえ、俺や母さんもそこら中の笑いモンだ! ヴィーナはなあ…最後までお前の名前を呼んでた。お前がヴィーナを守らなかったから、ヴィーナは死んだんだ!」
「やめろ!」
 顔を歪めて、イルオマは叫んだ。
 やめてくれ。人形を抱きしめたまま呟いて、イルオマはその場に座り込んだ。イルオマの肩をつかんでユリアネが名を呼ぶと、イルオマは歯を食いしばって、涙を目に滲ませながら答えた。
「ヴィーナは生きてる。ファーハも、一緒にここにいるじゃないか」
「違う。それは人形だ。姉ちゃんが子供の頃から大事にしてた、ただの人形だ」
 そう言ってイルオマの手から人形を一つ取り上げると、サマリはそれを怒りに任せて窓から放り投げた。ヴィーナ! 窓にすがりついて叫んだイルオマの姿はどこか切羽詰まっているように見えた。やめて、イルオマ。後ろからイルオマを引きずるように窓から引きはがすと、ユリアネはその背中を抱きしめた。
「…ヴィーナのそばにいたかった。でも、王立軍を除隊してどうやって食べていく。私はそれ以外に、何もできない男なんだ…」
 呟いて、イルオマは床にひざをついて窓に額を押しつけた。
「義父を殺した兵士も、王立軍にいればたやすく調べられると思った。ヴィーナはいつも父親の仇を討ってほしいと言ってた。だから私は…」
「お前がそんなだから、一緒にいてほしいって言えなかったんじゃねえか…」
 囁くように言って、サマリはふと窓の外へ顔を向けた。兵士が戻ってきたな。そう言って眉をひそめると、サマリは鍬を取り上げてユリアネを見た。
「あんた、アスティじゃねえな。あんたは避難壕へ来てもいいぜ。そいつは置いていけ。俺の母さんも避難壕にいるんだ。イルオマと会わせる訳にはいかねえよ」
「…私はイルオマと一緒にいるわ」
 床に手をついて呻いたイルオマの肩を抱いて、ユリアネはサマリを見据えて答えた。
「じゃあ死にな。俺にはもう関係ねえ」
「待って! あなたのお姉さんは、本当にイルオマを恨んでいたかしら。それならどうしてイルオマの子を生んだの? どうしてイルオマが、お姉さんが大事にしてた人形を持ってたの?」
「…」
 黙り込んだサマリに、ユリアネはイルオマの肩を抱きしめて言葉を続けた。
「私たちは今、アストラウル人とスーバルン人が結婚をしてもおかしくないような、そんな国にしようと動いてるの。イルオマだって、同じ気持ちで私たちの所へ来たのよ。イルオマはいつも、あなたのお姉さんを最愛の妻だって言ってた。お願い、あなたのお母さまにもそう伝えて。あなたたちのリーダーも、私たちに賛同してくれてるわ」
「ガスクが…?」
 驚いたように呟いて、それからサマリは首を軽く横に振った。信じられねえ。そう言って、サマリは開いていたドアから部屋を出て階段を駆け降りていった。
 イルオマ。
 ギュッとイルオマを抱きしめると、ユリアネは息を潜めた。
「…ヴィーナは死んでなんかいない…」
 イルオマの声が力なく響いた。しばらくして、外の広場を駆け回る兵士の声が聞こえた。イルオマ、私が。そっとイルオマから手を離すと、床に落ちた剣をつかんで、ユリアネは懐から出した布で剣を自分の手に縛りつけた。
「イルオマ、行こう。ヴィーナを助けるんでしょ。兵士が来るわ」
 ユリアネが声をかけると、イルオマはぼんやりとした表情で顔を上げた。行くわよ。そう言ってユリアネは、剣を縛りつけた方とは反対側の手でイルオマの腕を引っ張った。
「外にいるヴィーナを助けて、プティに帰ろう。こんな所で死んだら許さないわよ。根性出しなさい、男でしょ」
 ユリアネが言うと、イルオマはわずかに笑みを見せた。あなたは王立軍よりもずっと恐いですよ。イルオマが言うと、ユリアネは笑った。
 広場にいた兵士が、玄関の扉を開いて何か話しているのが聞こえた。剣を構えると、ユリアネは小さな人形を抱きしめたイルオマの腕をつかんでドアの脇に身を潜めた。
 あなたを死なせない。
 イルオマ、私があなたを守る。

(c)渡辺キリ