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王宮のハイヴェル卿が使っている司令室では、エウリル王子逮捕の報を聞いてからずっと慌ただしかった。
「話を聞いたら、すぐにでも飛んでくるかと思っていたが」
黒檀の大きな机の向こうで、ハイヴェル卿は厳しい眼差しを目の前の息子へと向けた。ルイゼンの顔色は悪く、血の気が引いて白かった。そばにいた小間使いにワインと食べ物を持ってくるよう頼むと、ハイヴェル卿はルイゼンを見上げて言葉を続けた。
「落ち着いているな、ルイゼン。既に聞いているだろうが、サムゲナンで暴動が起き、その鎮圧作戦が長引いているため、エウリル王子の裁判はすぐには行われない。その間『何者かによって』命を絶たれることのないよう、十分に配慮して留置を行う」
「その配慮とは…ヴァンクエル伯爵の部隊が行うというのは、本当ですか」
ルイゼンが尋ねると、ハイヴェル卿は頷いた。王子逮捕の功績はパヴォルムにある。今回の作戦を提案したのは彼だからだ。そう言って、ハイヴェル卿は机の上で両手を組んだ。
「ルイゼン、お前の気持ちは分からないでもない。しかし、今守るべきはアントニアさまと王宮だ。ルヴァンヌさまの代理としてアントニアさまが政務を執っておられる以上、我々はそれをお守りせねばならん立場にある」
分かるな。そう言って珍しく息をつくと、ハイヴェル卿は小間使いの持ってきたワインのグラスをルイゼンに渡すよう告げた。
「王宮は危殆に瀕している。今、ハイヴェル家が迷いを見せる訳にはいかないのだ。分かるな、ルイゼン」
「…分かっております、父上」
そう答えたルイゼンに、小間使いがこちらへと言ってテーブルを用意すると、ルイゼンはそれを断って、それからハイヴェル卿に尋ねた。
「父上、ローレンさまの居場所は」
「アントニアさまがエウリル王子から聞き出そうとしたが、拒まれたらしい」
ハイヴェル卿が言葉少なに答えると、ルイゼンは分かりましたと言って敬礼をした。失礼いたします。そう言って司令室を出ると、ルイゼンは歩き出した。
夕べ、アサガから密書が届いた。
ローレンの代筆を兼ねたその手紙には、エウリル救出のために協力してほしいと書かれてあった。自分にできることなど、既にない。眠れずに一夜を過ごし、明け方になってできることが一つだけあることに気づいた。
「ルイゼンさま」
ふいに小声で呼ばれて、ルイゼンが驚いて振り返ると、そこには以前、ルイゼンにエウリル逮捕作戦の一報を持ってきた兵士が別の兵士と二人で立っていた。
「お前…」
「ルイゼンさま、近衛隊から他の部隊へと配属になった仲間たちと連絡を取りました。我々はルイゼンさまをお慕いしております。ルイゼンさまが号令をかけて下さるのなら、我々はいかようにでも動きます」
そう言って懐から巻紙を取り出すと、兵士はそれをルイゼンの手に強引に持たせた。ルイゼンさまに従う者たちの記名書です。ルイゼンさま、ご指示を。もう一人の兵士が言うと、ルイゼンは唇をキュッと噛んだ。
お前たち…。呟いて後は声にならず、手に持った白い巻紙を兵士の手に返すと、ルイゼンは首を横に振ってから答えた。
「エウリルさまのことは、お前たちが考えるべきことではない。いいから、自分達の任務に戻るんだ。サムゲナンで暴動が起き、他の地方でも警戒が続いている。ここでこうしているだけで、罰されるかもしれないんだぞ」
「我々は、ルイゼンさまのためなら死罪すら恐れません」
熱心にそう言って、それから兵士は振り向いた。別の部隊の司令官が、ハイヴェル卿の司令室へ入っていくのが見えた。どうか、これだけはお持ち下さい。そう言うと、兵士は巻紙をもう一度ルイゼンに持たせてその場を離れた。
ダメなんだ。
二人の後ろ姿を見送りながら、ルイゼンは周囲に見つからないよう巻紙を懐に入れた。
お前たちを巻き込むことは、できない。もし見つかれば重罪となるだろう。そんな運命にお前たちを引き込むことなど、私にできるはずもない。
「ルイゼンさま、馬車をお呼びいたしますか。それとも、王宮内に」
立ち止まったルイゼンに気づいて、王宮の小間使いが声をかけた。その言葉に我に返ると、ルイゼンはわずかに口元に笑みを見せ、馬車をと答えてまた歩き出した。
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