いつも食事を差し入れにくる兵士が、今日は来なかった。
何かあったんだろうか。不安を覚えてベッドの上でうずくまっていたナヴィは、手を伸ばしてテーブルに置かれた水差しを取った。水を古い器に移して口に含むと、それをゆっくりと飲み下してナヴィは息をついた。
あの後、アントニアと話したいというナヴィの言葉は無視され、何度も怒鳴ったためにナヴィの声は軽く掠れていた。
ナヴィの入れられた牢が見える所で見張りを続ける兵士も、交代の兵士が来ないことを不審に思っているのか、何度もちらちらと出口の方を見ていた。何かあったんだろうか。考えながらナヴィがベッドに戻ると、ふいに足音が響いて、マントを着てフードをかぶった男が姿を現した。
兵士じゃないな。
誰だ。ナヴィが目を凝らしていると、牢番の兵士がひっという声を上げた。驚いてナヴィがまた立ち上がると、マントを着た男が倒れた牢番の兵士の腰の辺りを探って鍵を取り上げるのが見えた。
あれは…。
「ルイゼン!?」
兵士を斬り殺したのか、ルイゼンの顔は真っ赤な返り血を浴びていた。胸がドキンと鼓動を打って、ナヴィが鉄格子に駆け寄ると、ルイゼンは震える手で鉄格子の南京錠に鍵を差し込んだ。
「ルイゼン、どうして君が」
ルイゼンの血まみれの手を見てナヴィが掠れた声で尋ねると、ルイゼンは鍵を回して南京錠を開けた。鉄格子が開くと、ルイゼンは大きく息をついて、目の前のナヴィの顔をジッと見つめた。
こうして面と向かい合うのは、随分久しぶりのことだった。
「…ルイゼン!」
ナヴィがルイゼンを抱きしめると、ルイゼンはその痩せた体を抱きとめてギュッと目を閉じた。お助けするのが遅れて申し訳ございません。ナヴィの耳元で囁くと、ルイゼンは力を込めてナヴィを抱きしめた。
もっと早くこうするべきだった。
ルイゼンの目に涙が滲んだ。急いで来たために、呼吸はまだ荒いままだった。それでも懐かしいナヴィの匂いに気づいて、ルイゼンはナヴィの顔を覗き込むように見つめた。
「エウリルさま」
「ルイゼン、何てことを…!」
ルイゼンの両腕を強い力でつかむと、その返り血を見てナヴィは青ざめた顔でルイゼンを見上げた。君が兵士を切ったのか。ナヴィが尋ねるとルイゼンは頷き、ナヴィの腕をつかみ返して口を開いた。
「アサガから極秘に連絡が来たのです。エウリルさまを助けるために協力してほしいと。今夜、迎えにくる手筈になっていて、私は見張りの兵を引かせて彼らを待つ予定だったんですが」
「アサガが?」
驚いてナヴィが尋ね返すと、ルイゼンは頷いた。
「私にはここの兵を動かす権限がありません。私は父から、エウリルさまや王宮とは関わりのない部隊に移動させられています。アサガたちに危険のないようあなたをお助けするには、こうするしか…」
「だからって…ルイゼン、君の手が」
ナヴィの大きな目から、涙がこぼれた。その頬に触れようとして血に汚れた自分の手に気づくと、ルイゼンは黙ってナヴィの体を抱きしめた。温かなナヴィの体は、狂おしいほどの恋情をかき立てられた。もしこのままあなたと行けるなら。そう考えた瞬間、脇道から大勢の足音がルイゼンたちの耳に届いた。
「エウリルさま、行って下さい。ここにいては死罪を免れることはできない」
「でも」
「お願いです。逃げて下さい」
できることなら、エウリルさま。ずっとあなたを抱きしめていたかったけど。
ルイゼンがナヴィの体をドンと押し出すと、脇道から剣を手にしたアサガが飛び込んできた。アサガ! ナヴィが声を上げると、アサガはナヴィの姿に気づいてくしゃりと顔を歪めた。
「エウリルさま!」
ナヴィに抱きついて、アサガはギュッと目を閉じた。気を許すと涙が溢れそうで、懸命に感情を抑えてアサガはナヴィの顔を見つめた。
「エウリルさま、この血は!?」
ナヴィの服についた血に気づいてアサガが青ざめると、ナヴィは黙ったまま首を横に振った。おい、大丈夫か!? 後ろをついてきていたナッツ=マーラがナヴィの顔を覗き込むと、ナヴィは大丈夫と答えて振り向いた。
「ルイゼン!」
少し離れていた所に立っていたルイゼンは、ナヴィの顔を見てわずかに笑みを浮かべた。
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