アストラウル戦記

   17

「サムゲナンの暴動を止めに!? ガスクが!?」
 ガスクの行方についてアサガから話を聞いていた。追っ手がかかることを想定してアサガとナヴィは二人でダッタンのそばにある小さな町に、残りはプティへ向かって馬を走らせた。今はサムゲナンで暴動が起こっているので、他の町の王立軍の警備は薄いはずです。周囲を見回し兵士がいないことを確認すると、馬を止めてアサガが言った。
 ガスクが生きてた。
 考えると胸が熱くなって、ナヴィはアサガの背に額を押しつけた。降りましょう。ここからは徒歩で山越えします。アサガが先に降りると、ナヴィはアサガが差し出した手につかまって同じように馬から降りた。
「それで、ガスクは一人でサムゲナンに?」
 手綱を引いて馬を歩かせているアサガについて、ナヴィも歩き出した。ナヴィが尋ねると、アサガはとりあえず馬を売りましょうと答えて近くの農家の扉を叩いた。
「すみません!」
 アサガが声を上げると、奥から鍬を持った老人が出てきて怪訝そうにアサガを見た。その異様な姿にアサガとナヴィが顔を見合わせると、老人は何の用だと尋ねた。
「馬を売りたいんです。安くで構いませんから、金か食物で売ってもらえませんか」
 様子を伺いながらアサガが言うと、老人はアサガの後ろに立つ木に繋がれた馬を見て表の方まで出てきた。お願いします。ナヴィが声をかけると、老人はふうと息をついて答えた。
「食物なんかありゃあせん。だが、金なら少しあるからそれでよけりゃ交換しよう」
「ここは農家ですよね。麦や野菜は売ってしまった後ですか」
 アサガが何の気なしに尋ねると、老人は鍬を持ったまま呆れたように答えた。
「あんたらあ、どこの貴族さまだね。今、腹一杯メシ食っとるのは貴族と王宮の奴らだけさね。けったくそわりい。馬を金で売るぐらいなら、殺して食えばよかろうて」
 ふんと鼻を鳴らして、老人は追い払うように手を振ってみせた。サムゲナンから離れているここでも、そんなに状況は悪いのか。考えてアサガが頭を下げると、ふいに老人の声が二人を追いかけた。
「この先、どの農家へ行っても同じこと言われるだろうよ。これでよかったら持ってけ」
 そう言って、老人は棚からパンとチーズを取り出して袋に詰めた。水は川でくみゃあええ。アサガとナヴィに一つずつ袋を渡すと、老人はため息をついた。
「妻も娘も、流行病で呆気なく死んじまった。後生大事に食いもんなんぞ持って、こんな老いさらばえた姿で一人生き延びた所でどうなるもんでもなかろうて」
「おじいさん…そんなこと言わないで」
 ナヴィが老人の手を握ると、老人は力なく首を横に振った。黙ったままアサガが深く頭を下げると、老人は鍬を杖代わりにまた家の奥へ入っていった。
「アサガ、パンは置いていこう」
 ナヴィが振り向いて言うと、アサガはそう仰ると思ってましたと苦笑して、受け取ったパンの袋を入り口近くのテーブルに置いた。そのまま外に出て家の裏へ回ると、水を水筒に詰めてアサガとナヴィは東に向かって歩き出した。
 ポツンポツンと離れた農家はどこも静かで、広がる畑は草すら根こそぎ抜かれていた。反対に麦畑は収穫されずに、麦の穂は枯れて倒れていた。
「夏まではここまでひどくなかったのに、いつの間にこんなことに…」
 山越えの道を進みながらアサガが呟くと、先を歩いていたナヴィがしばらく黙り込んでから答えた。
「ダッタンにいた時、食うに食えずに子供を娼館に売りにきた女性を見たよ。あの娼館で食べるものは味が悪かったけれど、食べられるだけマシだと館の主人が言っていた」
「でも、それはスーバルン人の話でしょ」
「同じだよ」
 それだけ言って、ナヴィは息を乱しながら坂道を上った。涼しい風が吹いて、ナヴィがマントのフードを脱ぐと、アサガはナヴィの隣に並んで歩いた。
「ガスクがあなたを助けずにサムゲナンに行ったと聞いても、あなたは何も思わないんですか」
 目を伏せたままアサガが尋ねた。
 ナヴィがアサガに視線を向けると、アサガはチラリとナヴィを見た。目が合って、ナヴィは目に笑みを浮かべて答えた。
「スーバルン人が大勢巻き添えになってるのに、ガスクがサムゲナンを捨てて僕を助けにきたら、僕はきっとガスクを許せないと思うよ」
「エウリルさま…」
 アサガがナヴィの横顔を見つめると、ナヴィは歩きながら笑って言葉を続けた。
「それに、アサガが助けにきてくれたから」
「僕はエウリルさまを助けて当然の立場なんです。ユリアネが来なかったのが、信じられないぐらいだな。ユリアネはね、イルオマの家族がサムゲナンにいると聞いて、イルオマと一緒にサムゲナンに行ったんですよ」
「え!?」
 驚いて思わずナヴィが足を止めると、アサガは止まったら疲れますよと言ってナヴィに向かって手を差し出した。まだ手を引いてもらうほどじゃないよ。ムッとして答えると、ナヴィは言葉を続けた。
「じゃあ、イルオマとユリアネもサムゲナンにいるのか。大丈夫かな…」
「分かりません。状況が把握できてませんから。イルオマはともかく、ユリアネは簡単にやられるようなことはないと思いますけど」
 二人はしばらく黙ったまま坂道を上り続けた。山を登りはじめて三分の一ほど来た所で、ナヴィはふいに立ち止まって裾野の町を眺めた。そこは上から見るといつもと変わりなく平和な姿で、アサガが行きましょうと声をかけると、ナヴィはうんと頷いてアサガの後をついて歩き出した。

(c)渡辺キリ