アストラウル戦記

 プティ市周辺に待機していたローレンの私設軍の兵士とプティ市の民間地下組織は、合わせてサムゲナンにいるガスクたちスーバルンゲリラとヤソンの市警団をやや上回るほどの数だった。それでも王立軍に比べると圧倒的に人数不足で、サムゲナンに着いても町を解放することはできないかもしれないと考えながら、自ら武装し馬を飛ばしてローレンはギュッと眉を潜めた。
 でも、やるしかないんだ。
 これは私が始めた戦いなのだから。松明で道を照らしながら南の穀倉地帯を集団で駆け抜けていると、夜の闇の中、ゆっくりと歩いて避難するスーバルン人たちが見えて、ローレンは仲間に合図して馬を止めた。
 人々は疲れた表情で、女子供も多く、ローレンはサムゲナンから避難してきたのですかと声をかけた。中にはアストラウル人の老人や子供も混ざっていて、互いに助け合うそれは普段では考えられないような不思議な光景だった。
「サムゲナンの大寺院で兵士に取り囲まれた所に、ゲリラとアスティの武装集団が助けに来てくれたんじゃ。あのまま中にいたら、全員捕われておったかもしれん」
「まだサムゲナンに親戚がいるのよ。どうなったのか心配だけど…戻れば戦いに巻き込まれるかもしれないと思うと、町へは戻れないわ」
 ローレンに声をかけられた老人のそばにいた、子供を抱いた女が言った。どこか避難できる場所があればよいが。相当な人数のいる避難民たちを見ると、ローレンはふいに思いついたように言った。
「そうだ。プティの南に王家が使っていた古い教会が残っているはずだ。そこは今、牧師さまが一人で守っておられる。そこへ行けば受け入れてもらえるだろう」
 馬に乗ったまま、ローレンは手にはめていた指輪を外して老人に渡した。
「これを見せれば分かるはず。ヴァルカンに教わったと言ってくれ。その後はこの指輪を売って食費の足しにしておくれ」
 誰か一人、彼らを導いてくれ。ローレンが仲間に声をかけると、俺が行こうと言ってローレンと同じぐらいの年の男が馬で前へ出た。
「俺はプティの南地区に住んでる。牧師とも顔見知りだ」
「頼む。無事に送り届けてくれ」
「分かった。彼らを案内したら、俺もすぐにサムゲナンに戻る」
 そう言って、男は馬から降りた。誰か病人や歩けない老人がいたら、馬に乗せてやれ。男が声を張り上げると、老いた母親を背負っていた女が進み出た。三人ほど馬に乗せて男が手綱を持って先に歩き出すと、避難民の一人がローレンを見上げて尋ねた。
「あなたさまは…」
「この方は第二王子ローレンさまだ。今は王宮を離れて、民衆のために戦っておられる」
 ローレンのそばにいた地下組織の男が言った。避難民たちがそれを聞いてどよめいた。中には目に涙を浮かべて手を合わせる老女もいて、ローレンは小さく頭を下げてから仲間に行こうと声をかけた。
「このような事態を招いたのは、私にも責任があるのだ。お前たちは私を辱めるつもりか」
 苦笑してローレンが言うと、俺たちはあんたを尊敬してるんだぜと仲間の一人が答えた。サムゲナンへ急ごう。仲間と目を合わせて頷くと、ローレンは再び馬を走らせはじめた。
 夜の空に、白い煙が上っていく。
 一時に比べて火の勢いは弱まっているようだった。それでも焦げ臭い匂いは町に入らなくても漂ってきた。サムゲナンの町が見えると、ローレンたちは馬のスピードを緩めて様子を伺った。どこかから音が聞こえるけれど、町の入口には兵士は一人もいなかった。
「どういうことだ」
 肩で大きく息をついて、ローレンが呟いた。
「ひょっとしたら、ヤソンたちの機転で町の外で戦ってるんじゃないか」
 辺りを見回してそばにいた仲間の一人が眉を潜めて言うと、ローレンはとにかくヤソンを探そうと仲間に告げた。はぐれないよう一塊になって北の大通りから町へ入ると、そこには封鎖されていたらしい跡が残っていた。
 どこへ行ったんだ。
 町を南へ下るごとに、音は大きくなっていった。それ以外は恐いほど人の話す声も気配もなく、住人は地下や家の中に避難してるんだろうかと考えながらローレンは辺りを見回した。馬を走らせて大通りを進むと、ふいに地響きのような音が聞こえてきた。
「な…何だ!?」
 互いに顔を見合わせて、それからローレンたちは手綱を弾いて馬を走らせた。王立軍が焚いたかがり火が見えた。東の大広場に人が集まっているようで、そちらから剣同士を合わせる音が聞こえてきた。戦う声も段々大きくなって、地響きは西の方から大広場に向かっていた。
「あれは!」
 仲間の一人が指差した先を見ると、ローレンは目を見開いて息を飲んだ。
「引け! みんな引けえ!!」
 ガスクの声がして、ローレンが馬で大広場へ駆け込むと、そこには兵士たちと戦う市警団やスーバルン人たちの姿があった。ガスクの合図で、それまで戦っていた仲間たちが一斉に大広場から逃げ出した。呆気に取られてそれを追おうとした瞬間、地響きに気づいて、兵士たちは足を止めた。
「な、何の音だ…」
 誰かの声が響いた。
 それも、地響きにかき消された。ローレンが乗っていた馬が騒動に驚いていなないた。ローレンが馬を宥めようと身を屈めた瞬間、大広場に突入してきた大きな黒い影が一気に兵士たちを飲み込んだ。
 悲鳴が大広場にこだまする。
「ローレン、危ない!」
 サムゲナンまで一緒に来た仲間が怒鳴った。馬の手綱を操って、ローレンが大広場から離れた。土煙が家々の二階まで立ち上って、パニックになった兵士たちはまるで蟻のように逃げまどった。
「牛の群…」
 脇道からそれを見ていたローレンが、目を細めて咳き込みながら呟いた。なぜここに牛の群が。砂埃に目を開けていられなくてローレンたちが広場を離れると、大広場から逃げ出した市警団のメンバーがローレンに気づいた。
「ローレン! 来てくれたのか!!」
「あ、ああ…これは一体」
 呆然としてローレンが尋ねると、男たちは額から流れる血を拭いながら答えた。
「すげえよ、あのイルオマとかいう奴。本当に王立軍兵をやっちまった」
「数では圧倒的にこっちが不利だったんだぜ」
 市警団の男たちもどこか興奮していて、ローレンはまだ土煙の上がる大広場へ視線をやりながら、ヤソンたちはどこだと尋ねた。今はどこにいるか分からないが。そう答えると、市警団の男たちはローレンを見上げた。
「この後、兵士たちが引くのを確認してから、避難している町の住人たちに大寺院へ集まるように呼びかける手筈になってるんだ」
「そうか。じゃあ俺たちもそれに加わろう。大寺院へ行けばいいんだな」
 ローレンの隣にいた地下組織のリーダーが言うと、市警団の男は頷いた。すげえぜ。上ずった声で仲間の一人が呟いた。大広場に焚かれていたかがり火は牛の大群に押し倒されて消えていた。その様子を見ると胸がざわめいて、ローレンは自分を落ち着けるように深呼吸してから、仲間たちに行こうと言って馬を走らせた。

(c)渡辺キリ