アストラウル戦記

 ローレンが大寺院に着いた頃には、うっすらと夜が明けはじめていた。
 馬から降りてローレンが近づくと、ガスクやヤソン、イルオマまでがボロボロの姿で、煤や埃にまみれて汚れていた。ナヴィがローレンに気づいてパッと表情を輝かせた。その顔には他のみんなと同様に血や泥がこびりついていた。
「ローレン!」
 ナヴィの声に、みんなが気づいてローレンを見た。馬から離れて駆け寄ると、ローレンがナヴィを抱きしめた。続いて駆け寄ってきたアサガも受け止めると、ローレンはガスクたちを見て呆然とした表情で口を開いた。
「何が起こったんだ。一体、どんな魔法を使ったんだ」
「魔法だってさ、イルオマ」
 ニヤリと笑いながらヤソンが言った。市警団やスーバルン人たち、それにサムゲナンの住人たちも大寺院前の広場に集まりつつあった。ローレンがナヴィやアサガと一緒に仲間に歩み寄ると、イルオマは笑った。
「こちらが圧倒的に人数が少ないのは分かってましたし、奇襲をかけられるような地理的条件もない。そうなればもう、人為外の力を借りるしかないじゃないですか」
「人為外の力…でもどうやって」
 ローレンが尋ねると、プティの地下組織の男たちもローレンの後ろからイルオマに近づいてどうなったんだよと尋ねた。男たちの顔を見回すと、説明するほどのことでもないんですけどと答えてイルオマは東へ視線を向けた。
「自然条件を利用するなら、ここでは天候か動物を使うしかありません。けれど、お天気を動かすなんて人間ができることじゃない、それなら動物を利用するのが一番です。サムゲナンの東地区は牧草地帯が広がっていて酪農家が多いので、牛を使わせてもらいました」
「でも、あんなにたくさんの牛をどうやって」
「牛というのは普段は大人しく草食べてますが、一度キレると恐いんですよ。図体もデカいですしね。この夜の闇の中、可哀想に牛たちは戦闘の音や火事の煙で興奮していた。そこをちょっとつついてやれば、あっという間に暴走する」
「牛の暴走を利用するために、俺たちは四方に分かれて、王立軍兵が大広場に集まるよう誘い込んだんだ。暗闇の中の戦闘だったから、王立軍は自分たちが広場に追い込まれていることには気づかなかったようだ」
 ガスクが続けて言うと、ローレンはよろりと前へ進んでイルオマの手を両手でつかんだ。ありがとう、イルオマ。そう言って、それから続けてローレンはガスクやヤソンたちの手を次々と握りしめて礼を言った。
「礼なら、あいつらに言ってやってくれ。サムゲナンを解放したのはあいつら自身の力だ」
 最後に手を握られて、グウィナンがローレンを軽くにらみつけた。ローレンがグウィナンの示した方を見ると、そこには戦いに参加したサムゲナンの男たちや酪農家たちが立っていた。みな一様に疲れた顔をしていて、ローレンがありがとうと声をかけて頭を下げると、サムゲナンの住人たちは驚いた表情でローレンを見てから口々に答えた。
「あんたは誰だ。こいつらの仲間か」
「礼を言われる筋合いはねえ。俺たちは自分の住む町を守っただけだ」
 スーバルン人の言葉に、ローレンは涙を一筋流しながら黙って男の手をギュッと握りしめた。
「そいつは第二王子ローレン、ヴァルカン公だ」
 ガスクが後ろから言うと、サムゲナンの住人たちは驚いて一斉にローレンを見た。
「何で王子がこんな所に…」
「王子ってのは、ガスクと一緒にいるチビだけじゃなかったのか」
 どこかで事情を聞いたのか、サムゲナンの住人たちの中に混ざっていたキクが呟いた。あいつも王子なのか。住人たちが更に驚いてナヴィを見ると、ローレンは深々と頭を下げて口を開いた。
「飢饉もサムゲナンでの軍の暴動も、全ては私の力が足りなかったせいだ。本当に申し訳なかった。ここまで被害が拡大したのも、私の読みが甘かったせいだ…すまない」
「何でヴァルカン公がここにいるのかは分からんが、ガスクたちと一緒にいるってことは王宮の奴らの仲間じゃねえんだろ。あんたのせいなんかじゃねえよ」
「貴族や王族はふんぞり返って、安全な所にいるもんさ。でも、あんたはこうして来てくれたじゃねえか。その武装、戦うつもりで来てくれたんだろ」
 キクが屈託なく笑いながら言った。そうだな、貴族ならこんな所に来てくれる訳がねえ。他の住人たちが口々に言うと、ローレンは頭を下げたまま涙を流してギュッと目を閉じた。
「八割の兵力を失って、王立軍は夜明けを待たずに撤退しました。みんなに確認してもらったので間違いありません」
 イルオマが口を開くと、ガスクは集まっていた避難民たちにも視線を向けて声を上げた。
「みんな! これから町を復興しなければならないのは大変だが、まだ全てが終わった訳じゃない! 俺たちはこの戦いで、血によって分けられた深い溝を越えて協力しあえることを確かめたはずだ! スーバルン人はこの国ではアストラウル人の協力がなければ生きていけない。それは屈辱ではなく、事実なのだということを自覚しよう」
「俺たちはアストラウルに従属するんじゃない。アスティだって、スーバルン人がいなければやっていけないこともあるんだ。これから俺たちは、この国で生きていけるように戦って居場所を勝ち取るんだ。俺たちを信じて、共に戦ってくれ!」
 ガスクの隣にいたグウィナンが、続けて声を張り上げた。
「グウィナン…」
 胸が熱くなって、ナヴィがグイと汚れた袖で目尻を拭った。エウリルさま? アサガが小さな声で囁くと、何でもないんだと答えてナヴィが口元に笑みを見せた。上りはじめた太陽が、東に立つ高い塔の向こうで輝きを放っていた。光に照らされて眩しそうに目を細めると、サムゲナンの住人たちは頬を赤く染めて一斉に勝ち鬨を上げた。

(c)渡辺キリ