山越えをしてプティに入ったアサガとナヴィは、そこから辻馬車でスラナング男爵の屋敷へ向かった。プティの町はサムゲナンやダッタンの近くの町の様子が嘘のように静かで、アサガはそわそわと外を眺めながら呟いた。
「恐いですね。ここも戦場になるんでしょうか…」
「ハイヴェル卿がローレンを地下組織のリーダーと認識してるなら、プティに攻めてくるかもしれないな」
「エウリルさま、どうなさるおつもりですか」
馬車に揺られながらアサガが尋ねると、ナヴィは黙り込んだ。
ローレンの元へ向かっているものの、まだ王宮と戦う決心はついていなかった。お前の罪は、何も知ろうとしなかったこと。そう言ったフリレーテの目を思い出すと、ナヴィは視線を上げてアサガを見た。
「アサガはどうして、お母さまとハティが殺されたと思う?」
「え?」
突然の問いに、アサガが驚いてナヴィを見つめ返した。ナヴィの真剣な眼差しに気づいて口ごもると、アサガはしばらく考えてから答えた。
「僕にはあいつの考えてることは分かりませんし…フリレーテ=ド=アリアドネラは伯爵家に養子に入る前は、ダッタンにいたんですよね。あまりにも王妃さまやサウロン公と接点がないと思うんですけど」
「そうなんだ。僕もあいつと会ったのは、あの婚儀の夜が初めてだった。あんなに美しい顔を持つ男は、一度でも会えば忘れないよ。なのに見覚えがなかったのは、やっぱり会ったことがなかったからだと思うんだ」
「会ったこともない男に、何でエウリルさまが恨まれなきゃいけないんです」
怒ったようにアサガが言うと、ナヴィは自分の膝に頬杖をついて黙り込んだ。
僕が関わった王宮での催しで、身内が死んだ、とか。
僕が出向いた地方の祭りで、恋人が王立軍兵に殺された、とか。
どうもピンとこない。
「スーバルン人なら分からないでもないんだけど…。ガスクだって、初めはアストラウル人の貴族は大っ嫌いだって言ってたからさ」
「そんなことをエウリルさまに向かって言ったんですか。ホントに無神経な奴だな」
呆れたようにアサガが答えると、ナヴィは苦笑してから馬車の小さな窓から外を眺めた。
「いくら考えても、覚えがないんだ。フリレーテがなぜ僕を憎んでいるのか。なぜあれほど何度も僕の命を狙うのか…」
「あの男がエウリルさまを狙うのは、オルスナが関係してるんじゃないですか」
ふいにアサガが言って、ナヴィは視線を上げてアサガを見た。
「え、どういうこと?」
「どういうことっていうか…はっきり分かってる訳じゃないですけど、エウリルさまだけが恨まれるっておかしいなと思って。もし王宮絡みで恨まれているんなら、アントニアさまやフィルベントさまの愛人になるなんて矛盾してませんか。取り入るためだとしても…あれほどあからさまにエウリルさまに敵意を見せる男が、アントニアさまは平気だなんておかしくないですかね」
「でも、オルスナなんてもっと接点がないよ。僕だって滅多に行かないぐらいなんだから」
ポカンとした表情でナヴィが言うと、アサガは首を捻った。二人してまた黙り込むと、辻馬車はゆっくりと止まって、御者が着いたよと二人に声をかけた。そこはスラナング男爵の屋敷から少し離れた場所で、アサガはナヴィを先に降ろしてから御者に金を渡した。
「僕たちがここで降りたことは、誰にも言わないでくれ」
通常の礼金の倍は入っているかのような重い袋を御者に渡すと、アサガは御者に強い口調で頼んだ。誰かに僕たちのことを聞かれたら、プティを抜けてドーガの港へ行ったと伝えてくれ。アサガが言うと、御者は頷いてまた馬車を走らせはじめた。
「とにかく、フリレーテのことは少し忘れましょう。今はそれ所じゃないでしょう」
アサガに言われて、ナヴィはうん…と呟いて歩き出した。それでも考え込んだナヴィを見て、アサガはため息をついてナヴィの手を引いた。
スラナング邸に辿り着くと、ナヴィとアサガは人目を忍ぶように裏口から中へ入った。イルオマがいたら、もっと上手くやるんでしょうけど。そう言いながらアサガが門番にチップをやって屋敷へ向かうと、ナヴィはローレンはどこだろうと言って足を速めた。
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