アストラウル戦記

 ドアの前でアサガと一緒になった。ナヴィがドアを開けると、手当を受けていたイルオマが振り向いた。その向こうにベッドで横向きに寝転んだユリアネがいて、ナヴィはユリアネの元に駆け寄った。
「どうしたんだよ! 怪我したのか!?」
「エウリルさま、ご無事でよかった」
 痛みを堪えているのか、笑いながらも眉を寄せてユリアネがナヴィを見上げた。お前な! 真っ赤になったアサガがイルオマにつかみかかると、ユリアネがやめてと言って身を起こした。
「いたたた」
 その途端、背中を庇って身を屈めたユリアネを見ると、アサガは気色ばんでこの野郎とイルオマに向かって腕を振りかぶった。
「すみませんでした!」
 ガタンと椅子を鳴らしてその場に土下座すると、イルオマがアサガとナヴィに向かって額を床に擦りつけるようにして謝った。毒気を抜かれてアサガが呆然とイルオマを見ると、ナヴィはしゃがみ込んでイルオマの顔を覗き込んだ。
「イルオマ…」
「ユリアネが怪我をしたのは、私の責任です。今は何もできない身ですが、必ず借りは返します」
「僕たちにそれを言ってどうするんだよ。そういうことはユリアネに言えよ。それより、イルオマの家族は無事だったのか?」
 アサガがナヴィの後ろから尋ねると、イルオマは顔を上げて棚に置かれた二つの人形を見た。アサガとナヴィがつられて人形を見ると、イルオマは床に膝をついたまま答えた。
「私の妻と子は…とっくに死んでいたんです」
「え!?」
 驚いてナヴィがイルオマを見ると、ユリアネが寝転んだまま詳しいことは今度でいいでしょと口を挟んだ。
「それより、ローレンにサムゲナンの様子を報告しなきゃ」
「そうだ。ローレン王子はどこです?」
 イルオマが尋ねると、ナヴィとアサガは顔を見合わせた。すぐに来るって言ってたけど。ナヴィが答えると同時に侍女がドアを開いて、ローレンが部屋に入ってきた。
「サムゲナンに向かったヤソンからの伝令が着いたんだ。話を聞いていたので少し遅くなった。イルオマ、いくつか重なる点があるかもしれないが、お前の報告を聞かせてくれ」
 ローレンが入ると小部屋は少し手狭になって、アサガが椅子を引き寄せると、ローレンは立ったままでいいよと言ってアサガを見た。あまり実のある話はできませんが。そう言ってイルオマは立ち上がった。
「私がサムゲナンに着いた時は、すでに王立軍によって暴動は制圧されていました。ただ、住人が家を捨てて避難したために町中は混乱状態にあり、王立軍の中でも司令官の影響下にない傭兵や下官たちが略奪行為をしていました」
「…ひどいな。飢饉が暴動の理由だというのに」
 呟いて目を伏せたローレンを見て、イルオマは言葉を続けた。
「ヤソンたちがサムゲナンに到着する前に、私たちはサムゲナンを後にしたので、その後はどうなったのか分かりません。ただ、サムゲナンから他の地域へ暴動が飛び火するのを避けるため、ハイヴェル卿が通常考えられる以上の数の兵を派遣して、多勢で速やかに制圧する作戦を取ったのではないかと」
「ガスクは? 今、サムゲナンにいるんでしょ」
 はやる気持ちを抑えてナヴィが尋ねると、ローレンは頷いた。
「ガスクの部隊はヤソンたちと合流して、今はスーバルン人が使っているラバス大寺院の地下壕にいるそうだ。サムゲナンの住人が避難しているので、スーバルンゲリラのリーダーとして統率を図っているらしい」
「王子」
 何か気になったのかイルオマが口を挟むと、ローレンは苦笑して、王子はやめてくれないかと言った。
「私はもう王子ではないんだ」
「それでは、どうお呼びすればいいんです?」
「ヤソンたちはローレンと。イルオマもそう呼んでくれ」
 笑いながらローレンが言うと、イルオマは遠慮がちに答えた。
「それでは…ローレン、その避難壕は安全なんですか。いや、周りを王立軍に取り囲まれているのに安全という言い方はおかしいですね。大丈夫なんですか」
「今はサムゲナンの住人たちを守るために、ガスクたちが応戦している状態だ。サムゲナンのことは、ガスクたちスーバルン人の方が王立軍よりも詳しい。プティに住む貴族たちに私兵の派遣を頼んだから、それが到着すれば形勢は逆転するはずだ」
「…」
 考え込んだイルオマを見て、ナヴィが不安気に何だよと尋ねた。取り越し苦労ならいいんですがね。そう言って、イルオマはナヴィを見た。
「ローレンに従うと言った貴族たちは、ローレンが王位に就くと考えてるんじゃないんですか。だとしたら、アントニア王太子の戴冠式が迫っている今、我々につく貴族はどれぐらいいるんですかね?」
「まさか。もし王宮を倒したとしても、その後は民衆主導の共和制を作り上げるとみんなにも説明してある」
「そんなことは口ばかりで、内心はローレンの即位を期待してるんじゃなきゃいいんですけどね…」
 両腕を組んでイルオマが呟くと、アサガが言い過ぎだぞと言ってイルオマを軽くにらんだ。一瞬、重い空気が周りを包んで、何か言おうとナヴィが口を開くと、バタバタと廊下を駆けてくる音が響いてその場にいる全員がドアの方を見た。

(c)渡辺キリ