アストラウル戦記

 顔の上半分を布で覆っているために、アサガの表情は見えなかった。
 そっと首筋に手で触れて熱を測ると、ユリアネが言ったようにそこは少し熱っぽかった。大丈夫かな。考えて、ヤソンはまたベッドの脇に座ってアサガの頭を柔らかくなでた。
 いつもナヴィの後を追いかけるアサガの姿は、どこか幼気で、見ている方が切なかった。ナヴィが悪いんじゃない。誰が悪い訳でもない。それでも。
 アサガから手を離すと、ヤソンは黙ったまま眠っているアサガをジッと見つめた。時々、無性に抱きしめてやりたくなる。ナヴィの代わりにとは言わない。ただその目をこちらに向けさせてやれるなら。
「…ユリアネ、水」
 ふいに寝ぼけたような声が響いた。目の上に乗せた布に触れて、アサガがもう片方の手を伸ばすと、ヤソンが黙ったまま枕元にあった水の入ったコップを取ってアサガを抱き起こした。男の匂いが鼻先にふわりと近づいて、驚いてアサガが布をつかんで目を開いた。
「あ…ヤソン」
「目、大丈夫?」
 くしゃくしゃになったアサガの髪を直しながらヤソンが尋ねると、アサガはチカチカする目をギュッと閉じてから答えた。
「平気だよ。大分楽になった。ありがとう…」
 コップを渡されてアサガが口をつけると、ヤソンは手を伸ばしてアサガの目の下を押し下げた。
「少し充血してるな。片目じゃ負担も大きいんだろう。あまり無理するなよ」
「…」
 黙ったまま水を口に含んで、アサガは目を伏せた。
 ほんの少し、笑みを浮かべて。
 その表情は、無理をしてでも守りたいものがあるんだと言っているように見えた。
「…ヤソン?」
 たまらなくなって、ヤソンは腕を回してアサガの頭を抱きしめた。驚いてアサガが名を呼ぶと、ヤソンはアサガの額を自分の肩に押しつけさせて、静かに気配を探るように押し黙った。
 ヤソンの髪は柔らかなくせ毛で、普通のアストラウル人よりもわずかに明るい色合いをしていた。ヒゲと毛先がアサガの耳元をくすぐって、自分の黒い真っ直ぐな髪を思い出してアサガはゆっくりと目を閉じた。
 ヤソンはいつも自由で、僕とは正反対だ。
 自由でいられるのは、強いから。
 そっと身を起こすと、ヤソンはアサガをジッと見つめた。塞がった片目は痛々しく、そしてそれ以上に美しかった。ヤソンの手が閉じた瞼にそろそろと触れるのを、アサガはぼんやりと待っていた。アサガが黒い目でヤソンを見つめ返すと、ヤソンは口を開いた。
「アサガ、俺の所に来ないか」
「え…」
 アサガが戸惑いながら呟くと、ヤソンは毛布の上に置かれていたアサガの手を握りしめて言葉を続けた。
「こんなオッサンの所になんて、嫌かもしれないけど…もし君が、ナヴィの元を離れても行く所がないと思っているのなら、俺が君の居場所になるよ。君がまだナヴィを思っていても、俺がその思いごと君を受け止めてやる」
 ドキンと胸が疼いて、アサガは瞳を揺らしてヤソンを見た。
 心を見透かされたような気がした。『エウリル』を守ることが自分の運命だと思っていた。なのに『エウリル』はもうどこにもいない。なら、僕はどこに行けばいい? ずっとそんなことを考えていた。
「…これから戦いにいくのに、よくそんなことが言えるな」
 目を伏せてヤソンから視線をそらすと、アサガが呟いた。息づかいを感じるほどそばにいて、苦笑したヤソンの首筋に頭を押しつけた。僕はずるい。ヤソンの優しさに付け入って、一人では立てない弱さを言い訳にしている。
 醜くて。
 ヤソンの肩に滴が落ちて、ヤソンは黙ったままアサガの頭をギュッと抱きしめた。その胸にすがりついて泣くアサガの声は聞こえなかった。けれど時々痙攣する喉元や肩が苦しげで、ヤソンは優しい笑みを浮かべてポンポンとあやすようにアサガの背中をなでた。

(c)渡辺キリ