サムゲナンでの暴動の様子や、町を制圧しようとした王立軍をサムゲナンから追い払ったこと、そしてこれからどうするのかをガスクが易しく説明すると、避難民をグステ周辺に誘導することや、アストラウル人と手を組むことに反対する者もなく、村人たちはリーダーであるガスクに従おうと口々に言った。
「俺たちだって、サムゲナンにいる同胞たちのことは気にかかってたんだ。十分に食わせることはできないが、みなで食料を分け合えば何とかなるさ」
「王宮と戦うとなれば、黙って見てられないよ。この村にだって戦える者はまだいるぞ」
村の男たちが言うと、ガスクはしっかりと頷いて、もしその時が来たら俺たちと共に戦ってほしいと答えた。しばらく状況について村人たちと話し合った後、村人たちが寺院から自分の家へ帰っていくと、礼拝堂の掃除をしてからガスクはユリアネを呼んだ。
「今夜はもうサムゲナンまで戻れないな。ここで泊めてもらおう」
「エウリルさまは…」
心配げにユリアネが言うと、ガスクは迎えにいってくると答えてランタンに火を入れた。
「パンネルが家に帰ったと言ってたから、俺の家族が住んでいた家にいるんだろう。ナヴィと少し話したいから、戻るのは遅くなるかもしれない」
「それじゃ明日の朝、サムゲナンに出発できるように準備しておきますわ。エウリルさまをお願いします」
ユリアネがガスクを見上げて言うと、ガスクは頼むと言って笑みを見せた。パンネルから食べ物とビンに入れた水の入ったかごを受け取ると、マントを羽織ってガスクは寺院を出た。
懐かしいな。
夜道を歩きながら、家々を眺めてガスクは目を細めた。子供の頃、兄貴と一緒に寺院に計算や文字を教えてもらいに通ったっけ。他の子供は水汲みや畑仕事をしていたのに、俺たちだけは貧しくて食えない時も仕事より勉強をさせられていた。
計算ができたおかげで、ジンカがいなくなった今も、どこにいても物を仕入れては売ることで一人で生きていける。
そうか。ぼんやりと考えて、ガスクは足を早めた。
ナヴィが言ってたのは、そういうことだったのか。
村の外れにある一本道を抜けると、小さな家が見えてきた。窓からわずかに明かりがもれていて、ホッとしてガスクは家に近づいた。ドアを開いてナヴィと声をかけると、ガスクはランタンをかざした。
「蝋燭、ないのか?」
床にランタンを置いて、ナヴィはベッドに座っていた。暖かそうな明かりはナヴィの足下を照らしていた。ガスクが埃をかぶった戸棚の引き出しを開けて蝋燭を取り出すと、ナヴィは顔を上げてガスクを見た。
「ガスク…」
その声は掠れて弱々しかった。黙ったままランタンから蝋燭に火を移すと、ガスクはそれをテーブルの上にあった小さな燭台に立てた。まだ暗いな。そう言ってガスクがナヴィを見ると、ナヴィはベッドに座ったまま目を伏せた。
「フリレーテが言ったんだ」
ガスクが手に持っていたかごをテーブルに置いてマントを脱ぐと、ナヴィはグイと目元を袖で拭って言葉を続けた。
「僕の罪は、何も知らず、何も知ろうとしなかったことだと…僕はただ、自分の身に起きた不幸をフリレーテのせいにすることで、フリレーテを憎むことでずっと逃げてきたんだ。なぜ僕が恨まれなければいけないのか、理由が分からないって思い続けてきたんだ」
独り言のように呟いたナヴィの隣に腰掛けると、ガスクは床を見つめた。黙って喉を震わせていたナヴィは、熱い息を吐き出してからまた口を開いた。
「ガスク、ガスクの中にいるミゲルは、僕を恨んでいるのかな。フリレーテが僕を憎むように…ミゲルは僕のおじいさまに殺されたんだ。いや、殺されるよりももっとひどい扱いを受けたかもしれない」
ナヴィの目から涙が落ちた。顔を覆って身を屈めると、ナヴィは呻いた。
僕は愚かだ。
自分以外の苦しみや悲しみを知ろうともしなかった。
僕は悪くないんだと、当たり前のように思っていたなんて。
声を殺して泣き続けるナヴィの肩を、長い腕を回してガスクが抱きしめた。しばらくそうしていると、体温がじわりと伝わった。ナヴィ。ガスクの低い声が、闇に染み込むように広がった。その小柄な背に頬を寄せると、ガスクはナヴィをそっと抱き起こした。
涙に濡れた頬を唇で吸って、小さな頭を抱きしめた。ナヴィが視線を上げてガスクを見ると、ガスクはその顔を覗き込んでナヴィの額に口づけた。ガスク。名を呼んだその唇に軽くキスして、ガスクはナヴィの手を握りしめた。
「ミゲルのことはもうほとんど覚えていないけれど、一つだけ分かったんだ」
ナヴィが泣き疲れてぼんやりとガスクを見上げると、ガスクはその指先にもキスをしてから言った。
「子供だった頃、俺は誰かを憎んだり恨んだりしていなかったと思う。グステにいた間、俺は他の子供たちと遊んだり喧嘩したりして、毎日が騒がしくて楽しかったことしか覚えていない。ナヴィ、お前はいつか、自分がオルスナ人ならよかったとかアストラウル人ならよかったと思ったことがないのは、親父やお袋に愛されたからだって言ったよな」
ガスクの言葉に、ナヴィが戸惑いながら頷いた。その肩をつかんで引き寄せると、ベッドに座ったままナヴィを抱きしめてガスクはその耳元で囁いた。
「俺も、そうなんだと思う。生まれてしばらくは覚えていたミゲルとしての記憶を忘れるぐらい、両親や仲間といることが楽しくて仕方がなかったんだ。ミゲルとして生きていくよりも、ガスクとして生きられた俺は幸せだったんだと思う」
ナヴィの小柄な体を抱きしめて、ガスクはナヴィの背中を優しく何度もなでた。だから、お前はもう泣くな。ギュッとナヴィを抱いて頬をナヴィの頬に押し当て、そこにキスをしてガスクはナヴィを見つめた。
「でも…」
瞳を揺らして呟いたナヴィに、ガスクはムッとして眉を潜めた。
「もうグダグダ言ってんじゃねえ。お前が泣いて後悔して、責任取って死ねばあいつは救われるのか」
「そんなこと言ってないよ! でも、フリレーテが僕を憎む気持ちは、僕にはよく分かるから」
「お前はあいつを殺さない道を、既に選んでるじゃねえか…」
ダッタンで、一度。
ガスクの腕の中で、ガスクの目を見つめながらナヴィは口を開いた。けれど感情は言葉にならずに、ナヴィは黙ったままガスクの首筋に抱きついた。母を、妻を殺したフリレーテを、殺してやりたいと思った。でも僕はフリレーテを殺すことはできなかった。
フリレーテを殺した僕を見たら、お母さまはきっと悲しむだろう。
人を殺すぐらいなら自分が死ぬような、そんな優しい母だった。
「ガスク…」
強くガスクを抱きしめて、ナヴィは呟いた。
その体を抱き返して静かに呼吸を繰り返し、それからガスクはゆっくりと目を開いた。
「なあ…」
「…何?」
ガスクを抱いたままナヴィが言うと、ガスクは言葉を詰まらせ、それから気まずそうに答えた。
「お前がくっつくから、男の生理現象が」
耳まで真っ赤になったナヴィがベッドに膝をついて離れようとすると、ガスクはナヴィの体に回した腕に力を込めて、ナヴィをジッと見上げた。
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