アストラウル戦記

 何て光景だ。
 煙のくすぶっているダッタンの古いスーバルン街を見て、ガスクは眉を潜めた。その表情はどこか悲しげにも見えた。アサガとイルオマがアルゼリオの戦闘員を伴ってスーバルン街に着くと、ダッタンに残っていたカイドたちと合流したスーバルン軍は、同胞を大きな広場があるスーバルン寺院前に集めていた。
 戦闘に巻き込まれたスーバルン人は予想よりも多く、ガスクはグウィナンが僧侶として籍を置くスーバルン寺院に集まった人々に一人一人声をかけた。守ってやれなくてすまなかった。頭を下げるガスクを見て、避難してきた老人が皺だらけの手でガスクの血まみれの手をつかんだ。
「我らこそ、何の力にもなれんですまんことだ。王立軍もアルゼリオの奴らも、中にはわしらに避難しろと言ってくれる者がおったが、どうにも間に合わなんだ」
「病人と老人が多くて、逃げられなかったの。ガスク、私たちこれからどうなるの…?」
 子供を抱いたスーバルンの女が、寺院の前の広場に座り込んだ状態でガスクを見上げた。その場にいた全員がガスクを見て、ガスクはグウィナンたちがいる寺院の扉の前に立って声を張り上げた。
「みんな! よく聞いてくれ!! サムゲナンの同胞たちはグステやその周辺の村々に避難している! しかし、ダッタンのスーバルン人がサムゲナン南部まで避難することは物理的に無理だ!」
 不安げにガスクを見上げる避難民たちを見回して、ガスクは力強く声をかけた。
「プティ、サムゲナン、アルゼリオ、そしてヴァルカン公の軍隊が今、このダッタンに集まっている。スーバルン人はこれからダッタンの市街地で、アスティたちと共に一時的に避難所を作ることになる。さっき、その準備を進めるとヴァルカン公から知らせが届いた」
 ガスクの言葉に、スーバルン人たちは驚いて次々と声を上げた。そんなこと不可能だ。我々がよくてもアスティが許さないだろう。人々が口々に言うと、そばで話を聞いていたイルオマがガスクに駆け寄り、スーバルン人に向かって大声で言った。
「みなさん! サムゲナンで起きた暴動で、サムゲナンに住むスーバルン人とアストラウル人は、これまでに対立してきたことが嘘みたいに、力を合わせてサムゲナンを解放に導きました! このダッタンでも、同じことができると私は信じています! あなたたちの身の安全はヴァルカン公が保証します!」
 お前が保証しろよ。後ろで聞いていたナッツ=マーラがニヤリと笑って呟いた。そんな大それた器じゃないんですよ、私は。振り向いて小声で答えると、イルオマは固唾を飲んで話を聞いているスーバルン人たちを見た。
「ガスクは既に、ヴァルカン公と盟約を結んでいる!」
 イルオマをガスクとの間に挟むように隣に立つと、グウィナンはいつものように厳しい表情で言った。
「王宮を倒し新しい国を作る際に、スーバルン人にも参政権を与えるという盟約だ! この戦いが終われば、スーバルン人はこの国で人間としての尊厳を与えられ、誰にも虐げられることなく生きていくことができるようになる! みんな、それまで頑張って生きていてほしい! もう誰にも死なないでほしいんだ!」
 グウィナンの声は、わずかに震えていた。グウィナン…。ガスクが呟いてその横顔を見ると、グウィナンの目は真っすぐに前を見つめていた。シンと静まり返った広場には、何年かぶりにわずかな希望の光を宿した目でガスクたちを見るスーバルン人たちがいた。生きていてほしい。ガスクが小声で囁くと、ナッツ=マーラはグウィナンの隣に飛び出てグウィナンの肩を抱いた。
「みんな! 荷物は最小限に、財産は自分でしっかり守るんだ! 病人や老人にはこれまで通り、動けるものが手を貸してやってくれ!」
「隣の家に人が残っていないか声をかけ合って、準備が済んだらまたここに集まってくれ! 日が落ちるまでには市街地へ移動したい! できるだけ速やかに行動してくれ!」
 ナッツ=マーラの言葉にガスクが言い足すと、スーバルン人たちは立ち上がって少しずつ自分の家に戻りはじめた。手伝ってやってくれ。ガスクがスーバルン軍やアルゼリオの男たちに声をかけると、男たちは頷いて弱々しげな避難民たちに近づいてそれぞれ声をかけた。
「何泣いてんだよ」
 ふいにナッツ=マーラに言われて、アサガは真っ赤になって目をそらした。慌てて目元を汚れた袖で拭うと、何でもないと強気に答えてアサガはさっきの男たちと同じように避難民に駆け寄った。

(c)渡辺キリ