アストラウル戦記

   エピローグ

 王立軍の全面降伏により、アストラウル国で起きた王制廃止に向けての内戦は終結した。
 ハイヴェル卿以下、戦いに参加していた武官は全て解放軍の捕虜となり、責任を問う裁判が行われるまで、解放軍の影響下に置かれることとなった。国王アントニアと王妃ノーマ、王太子と王女は行方が知れず、大王妃サニーラとその付き人だけが、王宮から西に五キロほど行った所にある王族の領地内で見つかった。
「戦い死んでいく王立軍を前に逃げるなんて、やはりこの国を任せられる人間ではなかったんだよ」
 プティの地下組織でリーダーをしていた男が、吐き捨てるように言った。王宮の政務室で、円卓を囲んで国内各地や内戦時の小部隊のリーダーたちが集まり、連日のように会議を開いていた。円卓の一席に座っていたローレンがそれは違うと眉を潜めて絞り出すように言うと、円卓を囲んでいた男たちが一斉にローレンを見た。
「アントニアは王太子の頃から、国について兄弟たちの誰よりも真剣に考えていた。一番の読書家で見識も広く、普段は柔和でそんな素振りは見せなかったが、若い頃から王となる覚悟もあった。アントニアが降伏を前に王宮から逃げ出すなんてあり得ないことだ」
「なら、どうして霊廟には誰もいなかったんだ。血の跡は残されていたが、自害して果てた様子もない。内戦中もオルスナ派兵を行ったり、やはり最後には気が狂っていたとしか思えない」
 別の男が言うと、ローレンは黙り込んだ。逃げたとはっきり分かれば追っ手がかかる。黙っておいた方がいい。そう言っていたガスクを思い出し、ヤソンが眉を潜めて黙っていると、お言葉ですけどね、と、ローレンの後ろで立ったまま話を聞いていたイルオマが口を挟んだ。
「飢饉に限らず、国の貧乏対策で国外派兵をするというのは、わりとよくある手ですよ。手っ取り早く領土を広げれば、税金だって入ってくる食料だって手に入る。もし数カ月早くオルスナ派兵に踏み切っていたら、反対に暴動なんて起こらなかったかもしれませんよ」
「バカな。お前はオルスナと戦になっても構わないっていうのか」
 呆れたように地下組織の男が言うと、イルオマはそんなことを言ってるんじゃありませんと冷静に答えた。今はいなくなった人間のことを話している場合じゃないだろ。同じくスーバルンの代表として円卓についていたグウィナンが言うと、アストラウル人たちがグウィナンを見た。
「被害にあった国民の救済と、町の復興が第一だ。国庫を開けて、ダッタンとアストリィの食い扶持稼ぎを考えなきゃ、これから本格的な冬を迎えれば、避難所の老人や病人がバタバタ死んでくぞ」
 それはあんたの父母かも知れないんだぜ。グウィナンが言うと、地下組織の男は分かってるよとぶっきらぼうに答えた。しばらく避難所の状況報告と今後の対応について話し合われた後、ダッタンから来た中流階級の平民が遠慮がちに尋ねた。
「ヴァルカン公、あなたの所へはいずれかの貴族や王族から連絡はないのですか」
 ローレンが平民の男を見ると、男はローレンを真っ直ぐに見つめていた。会議が始まるまでに話をしていたのか、数人が同じようにローレンを見ていた。
「それは…ないこともないが、面会は断っている。今、貴族や王族をアストリィへ入れる訳にはいかない」
「何が言いたい訳?」
 グウィナンの後ろにいたカイドが、両腕を組んで男たちを見回した。言いたいことがあるならはっきり言った方がいい。ヤソンが言葉を添えると、平民の男が答えた。
「だから、貴族や王族を徹底的に排除しているのに、ヴァルカン公がここにいるのはおかしくないのかと」
 目を見開いて、ヤソンが平民の男を見た。ざわりと声が上がって、ローレンが眉を潜めて息を殺した。ちょっと待って下さいよ! イルオマと共に後ろで会議を聞いていたアサガが気色ばんで怒鳴ると、それを抑えてヤソンが円卓の上に両手を組んで口を開いた。
「ローレンは内戦が始まる前から、第二王子としての立場も王位継承権も捨てている。サムゲナンでもダッタンでも、私財を投じて避難民の食料を調達し、彼らを安全な場所まで避難させたんだ。今も、彼らが住む仮小屋の一部はローレンの金を使って立てたものだ。それに、彼は実際にアストリィで自ら剣を持って戦った。それ以上に、ここにいる資格が必要なのか?」
「サムゲナンでローレンが同胞を助けてくれた恩義を、スーバルン人は忘れない」
 グウィナンが冷ややかな目で平民の男と、それに賛同しているらしい男たちを眺めた。
「お前たちアスティは、よほど薄情にできているらしいな。ローレンが命をかけて守ろうとしたものは、こんなものだったのか」
 平民の男が黙り込んだ。しかし、芯では考えを改めていないことは態度を見れば明らかで、沈黙が政務室を包み、しばらくしてからローレンが答えた。
「アストリィで、私は同じことを考えていた。私はここにいるべき人間じゃない」
「ローレンさま!」
 涙ぐんでアサガが呼ぶと、ローレンは柔らかな笑みを浮かべていいんだよと呟いた。
「王制を廃止するのだから、私はここにいない方がいい。それでもズルズルと居続けてしまったのは、この国のために私も何かできないかと考えていたからだ。けれど、私がここにいることに違和感を覚える者がいるのなら、私はアストリィを去ろうと思う」
「ローレン」
 驚いてヤソンがローレンを見ると、ローレンは頷いて立ち上がった。
「内戦が始まる前、エウリルが言っていたんだ。スーバルン人のための教育を今すぐにでも始めたいと。その時は叶わなかったが、私はサムゲナンに戻って、スーバルン人だけじゃなく国民の誰もが同じように教育を受けられるように尽力するつもりだ。野に下っても、この国のために働くことはできるだろう」
 そう言って、ローレンはこれまで世話になったと頭を下げた。その目尻には、わずかに涙が光っていた。それを振り切るように頭を上げると、ローレンは皆の視線が集中する中、ゆったりとした足取りで政務室を出ていった。
「ローレンさま!」
「ローレン!」
 声が重なって、ヤソンやアサガ、イルオマたちがローレンを追いかけた。アルゼリオの漁師やダッタンの下町に住む元秘密組織の男たちも混ざっていた。ローレンが振り返ると、アサガが真っ赤になって尋ねた。
「本当に、行ってしまわれるのですか。僕たちはローレンさまについてきたんだ」
「アサガ、戦うことと国を作ることは別のことだよ。私はもう、ここには必要ないんだ」
 優しげな目でそう言って、ローレンは男たちを見つめた。
 アントニアや王太子と同じこと。
 私がここにいれば、いつか私を王座に据えて王制を復活させようと目論む貴族が出てくるに違いない。
「それに、国外に逃げた妻や娘を迎えにいかなければ。今頃、寂しい思いをしているだろうから。内戦で地方へ避難したルクレーヌとサヴィリア公から知らせも届いているし、私がここにいれば、会いに来づらいだろう」
 ローレンが言うと、アサガは黙ったまま涙を流してローレンの手を強くつかんだ。次々と男たちと握手を交わすと、ローレンはしばらく黙って仲間たちを見つめてから、またゆったりとした足取りで去っていった。

(c)渡辺キリ