アストラウル戦記

 ローレンがイルオマと共にアストリィを出発してから一週間後、ヤソンとアサガは馬で、後ろにナヴィとガスクと食料を乗せた荷馬車を従えて王宮からアストリィを訪ねた。市内の避難所を回るヤソンを手伝って、荷馬車で運んできた食料を配って歩くと、最後にルイゼンのいる避難所の救護室を訪ねてナヴィは声を上げた。
「ルイゼン!」
 大きな枕を腰の後ろに入れて、ルイゼンは身を起こして窓の外を見ていた。
 ナヴィの声に気づくと、ルイゼンは振り向き驚いた表情でナヴィを見上げた。エウリルさま、アサガも。二人が救護室に飛び込んでベッドに駆け寄ると、ルイゼンは枕にもたれたまま二人を見上げた。
「ルイゼンさま、本当によかった。死んでしまうんじゃないかと思って、僕…」
 言葉にならずに、アサガは黙ってルイゼンの手を握った。その上からナヴィも手をしっかりと握りしめると、ルイゼンはわずかに笑みを見せた。
「ここには王立軍にいた軍医もいて、十分な待遇を受けています。ご心配をかけて申し訳ございません」
「ローレンもルイゼンのことを心配してたんだよ。出立前に様子を見にくるって言ってたけど」
「出立?」
 ルイゼンが尋ね返すと、アサガとナヴィは顔を見合わせた。
「ローレンが、サムゲナンに学校を作るからと言って、王宮を出ていったんだ」
「ルイゼンさまがご存じないのなら、まだ意識を取り戻していない間にいらしたのかも…」
「うるせえなあ、寝られやしねえ」
 ベッドの向こうから声がして、驚いてアサガとナヴィが後ずさった。ベッドに手をかけてムクリと起き上がったその腕から毛布がバサリと落ちて、ちょうど救護室に入ってきたヤソンとガスクがアサガとナヴィにどうしたんだと尋ねると、あれと答えてナヴィが腕を指差した。
「ナッツ=マーラ、何やってんだお前。あ、押し掛けって本当だったのか」
 ベッドの向こうを覗いてガスクが言うと、ナッツ=マーラは身を起こして顔をこすった。
「それが…」
 ルイゼンが困ったように呟くと、ナッツ=マーラが床に座り込んだままベッドに腕をかけてガスクを見上げた。どうやら毛布をかぶって、床で寝ていたらしかった。
「捕虜の見張りだ、見張り! グウィナンにはもう許可取ってあんぞ」
「許可っていうか、グウィナンという人が来て、そんなにここが好きなら一生ここにいろと」
 怒られてんじゃねえか。
 人のことは言えないか…。ルイゼンの言葉に笑いを堪えてガスクが顔を背けると、アサガが迷惑かけてないでしょうねと厳しい表情で尋ねた。
「迷惑?」
 ナッツ=マーラが顔を覗き込むと、ルイゼンはうっすらと赤くなって答えた。
「いえ…迷惑とか。世話をしてくれているし。ありがとう」
「言わせてんじゃねえよ。お前、適当に王宮へも戻れよ。こいつは体が治ったら裁判だろ」
 後が辛いじゃねえか。言いかけて言葉を飲み込むと、ガスクはナッツ=マーラを見つめた。ルイゼンはハイヴェル卿と共に、内戦の第一級戦犯として裁判を受けることが決まっていた。ガスクが言うと、ナッツ=マーラは立ち上がって答えた。
「そのことなんだけど、俺、嘆願書出そうと思ってんだ。こいつの命乞いさ」
「え?」
 ナヴィが尋ね返すと、ナッツ=マーラはニッと笑ってベッドの下から束になった紙を取り出した。
「釈放になった王立軍の兵士たちが、入れ代わり立ち代わり見舞いにやってくるからよ。そいつらに名前書いてもらってんだ。後でお前らも書けよ」
「いつの間に…それに、私は命乞いなど…他の将軍たちが罰されるなら、私も同じように罰されるまでだ」
 ルイゼンが戸惑うように嘆願書を見て言うと、ナッツ=マーラは怒ったように答えた。
「バカ野郎。お前が死んだら俺が困ンだよ。いいからお前は黙って寝てろ」
「黙っ…私は!」
 真っ赤になって言い返すと、腹の傷に障ったのかルイゼンが腹を押さえてイテテと俯いた。大丈夫? ナヴィが慌ててルイゼンの顔を覗き込むと、ルイゼンは大丈夫ですよと言って無理に笑ってみせた。
「だから黙って寝てろって言ったんだ。ともかく、嘆願書は出すぞ」
「それなら、俺も会う奴みんなに頼んでやるよ。何か事情はよく分からんがお前、初恋だろ」
 けろっとした顔でガスクが言うと、ナヴィとアサガがええっと言ってのけぞった。その年まで…。気の毒そうな表情でヤソンが見ると、真っ赤になったルイゼンとナッツ=マーラが違うと言ってガスクを見上げた。
「私はそんなんじゃ…!」
「確かに初恋は初恋だが、女は抱いたことあんぞ! 誤解のないように言っとくけど!」
 ええっと今度はルイゼンがのけぞって、また腹を押さえて身を屈める。その体をベッドに寝かせて上から毛布をかけると、ナッツ=マーラは焦ったようにガスクをにらんだ。
「お前が変なこと言うから、ルイゼンの具合が悪くなっちまったじゃねえか。もう帰れよ」
「はいはい。適当に帰ってこいよ」
 そう言って、ガスクは嘆願書に名前を書いて新しい紙を一枚取り上げた。じゃあ、僕も。ナヴィとアサガも名前を書くと、ヤソンも名を書いて紙を取り上げてからルイゼンを見た。
「新政府は殺戮を望まない。ルイゼン、君は恐らく死罪とはならないよ」
「…でも、それでは死んでいった部下たちに申し訳が」
 ルイゼンが苦しげに顔をしかめて言うと、ナッツ=マーラはベッドの端に座って口を開いた。
「だから、何度も言わせんな。お前が死んだって死んだ奴らが生き返ってくる訳じゃねえだろ」
「ナッツ=マーラの言う通りだよ。ルイゼン、僕もルイゼンには生きていてほしい。死んでいった者たちのことを思うなら、君にはこの国の復興を手伝ってもらいたい」
 ナヴィが言うと、ルイゼンは黙ったまま目を潤ませた。
「ルイゼンさま、神がまだ死ぬなと仰ってるんです。ルイゼンさまにはまだ何か役目が残っているんですよ」
 アサガが重ねて言った。ありがとう。小さな声を絞り出して、ルイゼンは顔を覆って泣いた。その肩に腕を回して抱きしめると、ナッツ=マーラは二人を見て苦笑した。
「傷に障るんだから、あんまり泣かすなよ」
「ナッツ=マーラだって、ルイゼンさまに迷惑をかけないでくださいよ」
 アサガが言い返すと、ガスクがホントになと言って顔をしかめた。何だよ、お前まで。そう言って、ナッツ=マーラはガスクを軽くにらんでみせた。

(c)渡辺キリ