10 家紋と文様の話
初めはネットで平安時代の検索をウキウキとしていたのですが、どうしても分からないことが出てきて、図書館通いをするようになりました。
で、それが高じて国会図書館まで行っちゃったのですが、でもやっぱり分かりやすい資料は町の図書館に置いてありましたね。
資料を探している時、かさね色目や文にどうしても目がいってしまうのですが、文様ばかりを集めた本というのも結構あって、イラスト描く時に使えるからスキャンするか…と思いつつ、まあ描く時でいいかとそのままにしてありました。
それでひとまず、サイトたちあげるぞ〜といろいろ素材探しをしていると、文様を提供しているサイトさまというのがちゃんとあったのですよ!! 『平安文様素材集綺羅堂』というサイトがっ!
びっくりしました。リンクするだけでこんなにたくさんの文様が使えるなんて!!
おかげさまで他でもいろいろと使わせていただいてます。
メールフォーム(注)の背景に使った家紋は『九条藤』です。
藤原家というのは当時、上から下まで一杯いて誰が誰だか分からないので、血筋で家が分かれていて、近衛家とか九条家とかが有名ですが(二条家とか一条家なんかはもう少し時代が下るので)、馨君の藤原家は一応、九条家がモデルになってます。それで『九条藤』。
平安時代の九条家で有名な人といえば、藤原九条兼家でしょうか。『陰陽師』にも出てきますが、兼通・兼家兄弟の出世争いはすさまじいもので、弟の兼家は相当ヤリ手で頭のキレる人だったみたいです。兄の兼通は反対にボーッとしてて、弟に対するコンプレックスはすごかったんじゃないかと。
そういう訳なので、藤原氏の人たちは九条どのとか呼ばれたり、職種名や名前で呼ばれたりすることの方が多いみたいです。
注)今はありませんが、この文章を書いた当時は玻璃専用のメールフォームがありました。 |