ハリハリノ 玻璃の器の裏方話・平安時代にまつわることなど
 

16 内裏の壺

この時代、壺というのは壺庭のことを指します。建物で挟まれたような中庭のことです。
たとえば、内裏の建物のひとつである飛香舎は藤壺とも呼ばれていて、その由来は庭に藤棚があるからなんですね。同様に淑景舎は桐壺、凝花舎は梅壺、昭陽舎は梨壺と呼ばれていますが、やはりそれぞれに桐、梅、梨が植えられていました。
内裏に住んでいる妃たちは、住んでいる建物の名前で呼ばれていたので(女性の本名は公にしないため)、飛香舎に住んでいる妃は藤壺と呼ばれます。もし女御だと藤壺女御ですね。中宮になると、藤壺中宮です。
桐壺は光源氏のお母さんが住んでいたので有名ですが、本来、桐壺は主上が住む清涼殿から一番離れているので(相当遠い)、ここに住んでいる人は権力者の身内とは言えないですね。本来なら、寵愛もそれほどでもなかったはずです。なのに、光源氏の父帝が桐壺を溺愛したために、悲劇が起こった訳なんですね。

梨壺は女官の詰め所と言われていますが、東宮もここに住んでいました。
梨壺のちょうど北側に桐壺があって、第二章の16で、ちょっと遠回りになるのですが、桐の花を見に行こうと水良が誘ってます。が、桐壺には庭に降りる階段はなかったかも。すいません〜!
藤壺は清涼殿から一番近くにあって、弘徽殿と並んで大臣級の娘が住むようなご殿なんですが、藤と名がつくだけあって、藤原家ゆかりの娘が住む所でもありました。この時代、大臣といえば大抵、藤原さんなんですが(笑) 藤の花は何かと藤原家と縁が深くて、家紋に使われたり、藤というと藤原家を指したり、平安時代の文献には何かと出てきます。

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