ハリハリノ 玻璃の器の裏方話・平安時代にまつわることなど
 

21 年齢の話

『玻璃の器』は平安の物語ですので、年齢はみんな、現代の満年齢とは違って数え年です。
私も時々、ややこしくなる時があるんですが、数え年というのは…、

元旦から誕生日までは、満年齢+二歳
誕生日から大晦日までは、満年齢+一歳

これで計算します。数え年の見方は、現代と同じですね。
ですが、登場人物の誕生日は決めてませんので、みんな大体、小説に書いている年齢よりも一歳年下だと思って下さるといいかと思います。
小説中、「年が明け、馨君は十五歳になった」という記述があれば、満で言えば十四歳だと思っていただけるといいかなあと。
馨君だけは、生まれたのは梅の頃と書いたので、新年早々なら、馨君は十三歳なんですけども。ややこしいですからね(笑)

平安時代は誕生日は祝いませんでした。生まれた日はあまり重要じゃなかったんですね。
なぜかというと、年が明けて新年になると、みんな同時に一歳年を取るからなのです。
なので、同じく小説中、「年が明け、馨君は十五歳になった」という記述があれば、新年を迎えて他のみんなも同時に一歳ずつ年を取っていると思って下さい。
大晦日に生まれたら、新生児なのに次の日はもう二歳(生まれた年が一歳)なんていうことも起こりえた訳ですね。不思議です。

こないだ拍手でご指摘があってから、どうなんだろうと考えてることがあるんですけど、当時の十五歳って、現代ではどれぐらい大人の感覚だったんだろうなあって。
元服してるから、周りからはもう一人前として見られるし、結婚もできるんですけど、現代で年々、子供の発育がよくなっているっていうニュースを見たりすると、じゃあ昔は発育が悪かったのかなって思ったりするんですよ。
昔になると発育がよくないなら、この時代、第二次性徴は何歳ぐらいで来たんだろうか、とか。
十四歳で出産したっていう記録は読んだことがあるので(何で読んだかは忘れましたが)、少なくとも十四歳にはもう来てたんだろうなあ、とか。

源氏物語はあくまで小説だから、これを実際の資料として読むことはできないけど、光源氏が十二歳で元服して、それからの女性遍歴がつらつらと書かれてるんですよね。
でも、宇治十帖の主人公、薫は二十歳なんですよねえ。二十歳でまだまだ惚れたはれたをやっているので、単純にこの頃の寿命が三十から四十歳ぐらいだったことを考えたとしても、現代の平均寿命と比べて、年齢を二分の一にすればいい訳でもなかったのかなあ、とは思ったりします。

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玻璃の器へ (c)渡辺キリ